『裸足でSummer』/乃木坂46の歌詞について考える
齋藤飛鳥が初のセンターを務めた楽曲『裸足でSummer』。この曲の歌詞が、どうにもこうにも素敵である。特にサビの歌詞には「恋をすること」のダイナミズムが純度高く詰め込まれている。
実はそのことは既に以前noteに書いていたのだが、サビが好きすぎて、他の箇所に目が向いていないことに最近になって気が付いた。サビ以外の歌詞もよくよく見ていくと実に深みがある。ダイナミズムがある。枕に顔をうずめて足をバタバタしたくなる。
なので、過去のnoteのことは一旦忘れて、その気付きについて書いていきたい。(そっちは非公開にしました。こっちにも大体同じことを書きます。)
それでも君に恋をしてる
まずは愛してやまないサビの歌詞を見ていこう。これは他の箇所を見る上でもあらかじめ押さえておく必要がある。
ここでは〈僕〉から見た〈君〉の様子、それに対する想いが綴られている。
〈僕〉は終始疑問符ばかりを投げかける。奔放な行動を取る〈君〉の気持ちが、〈僕〉にはわからないからだ。
〈気まぐれ〉で、人を〈振り回〉してばかり、そんな〈君〉に呆れたり、一緒にいて疲れたりする。〈僕〉はさも〈君〉に対してうんざりしているような言葉ばかりを並べる。
でも、
これだ。全てはここに詰まっている。どれだけ〈君〉に困らされたとしても、全然理解できないことばかりをしても、それでも〈僕〉は〈君に恋をしてる〉。
有り体に言えば「叙述トリック」だ。散々不満や混乱のような言葉を並べて、〈君〉に対して嫌気が刺しているのでは?とすら思わせる。そこで、〈それでも〉の一言で全てが引っくり返る。そうなることで、一層〈恋をしてる〉気持ちがいかに大きいかがわかる。これがダイナミズム。
もはや、〈行動が予測〉できなくても、〈呆れたり疲れたり〉しても、それを不満に思ってすらいないかもしれない。それさえも愛しくてたまらない、そんな風に〈僕〉が感じているように思える。
それが、この〈それでも〉の威力だ。
いつもの夏と違うんだ
さて、ここからはサビ以外の歌詞を見ていこう。まずは上記のサビで描かれた〈恋〉の序章となる、歌い出しのブロック。このタイミングでここに触れておく必要がある。
今年は〈いつもの夏と違うんだ〉と言う。毎年感じていた強い〈日差し〉もなんだか違って感じる、この時期になると咲く〈花の色〉もやけに鮮やかに見える、そう言うのだ。
これは個人的に敬愛してやまないアーティスト、サニーデイ・サービスの名曲『江ノ島』にも同様のラインがある。
ここでいう〈なぜか〉の理由、『江ノ島』と共通する『裸足でSummer』のそれはまさしく、サビで語られた想いによるものだ。想い一つで目に映るものが全て違って見える。世界のぜんぶが変わって見える。それは〈誰も気付いていない〉、自分だけのもの。
〈何度も季節は巡って〉迎えた今年の夏、それが〈入り口〉であると語られている。〈忘れてきた〉と思っていたけど、取り戻したその〈入り口〉をもって、サビで最大に達するその想いへの前兆を示している。
そして最後の〈You know〉。〈誰かを好きになる切ない入り口〉を知った〈僕〉は、自身が覚えたその感覚を、〈君〉も知ってるのだろうか?と問いかける。
〈君〉も同じように〈誰かを好きになる〉ことを知っているのならば……というささやかな希望だ。
太陽が似合うのは君だ
続く歌詞では〈君〉の人物像が描かれる。それは、〈僕〉の視点からこう見えている。
着ている〈ワンピース〉どころか、〈太陽が似合う〉とまで言ってしまう。これは先述の〈日差しの強さ〉と紐づいている。〈君〉が太陽の光すら着こなしてしまうのは、〈僕〉が抱く想いがあってこそ。
すべてがこれまでと違って見える〈僕〉の目には、〈日差し〉に包まれた彼女がより美しく映る。
サビに続くこのライン。
もちろんここでは〈僕〉は〈君〉の気持ちを知れないが、〈サンダル脱ぎ捨てた〉理由、〈一人微笑む〉理由、その〈何故〉の正体は歌詞のまた別の箇所から探ることが出来る。
が、先に2番の同じメロディをなぞる〈僕〉が描かれた箇所をさらっていきたい。彼の視点での認識と、実際の〈君〉と〈僕〉の距離をここで知ることが出来る。
これが〈僕〉と〈君〉の距離感だと言う。彼からしたら、〈君〉はみんなの憧れであり、自分なんて〈君〉には見てもらえていない、そう語るのだ。
しかし、続くサビでは以下のような〈君〉に対する〈僕〉の様子が語られる。
1サビに現われる〈君にいつも振り回されて〉という箇所も含め、実際の〈君〉と〈僕〉の距離感が察せられる。
〈欲しいものは前にある〉と言うくらいの(物理的な)距離で関われるのなら、顔も名前も認識されていないような関係ではなさそうだ。〈君〉1人に対して男がわんさかいてちやほやしている、というよりは、仲の良い友人が大勢でいて〈君〉と〈僕〉はその中の1人と1人、といったところだろう。
そうであれば、〈僕〉は自分自身を過剰に卑下しているようにも取れる。〈君〉を必要以上に遠い存在だと思ってしまっているきらいがある。
彼の認識が正しいか、正しくないか。それは彼女が〈一人微笑む〉その理由をもって判断しよう。見るべきは、最後のサビに繋がるラストのAメロの歌詞だ。
君は気付いていないけど
一見すると、ここまでの歌詞と同様〈君〉を想う〈僕〉の様子に取れる。〈僕〉の想いに〈君は気付いていないけど〉……というモノローグのようだ。
しかし、そうであるとすると、一つのムジュンがある。〈君〉への想いが募っていくと、自分は以下のようになると言う。
先程の〈僕〉は、〈君といると素直になれる〉と言っていた。〈君〉に対して〈呆れたり疲れたり〉する態度だって見せているのだ。だからこそ〈それでも君に恋をしてる〉という想いが美しいのだと既に語ったはずだ。
この〈ぎこちない〉という言葉は、それまでの〈僕〉とムジュンしている。ということは、このモノローグは冒頭からの〈僕〉のものではない、と判断できるように思う。
であれば、ここの〈僕〉とは誰だ?
いや、よく見ると〈僕〉とすら言っていない。
この言葉は誰のものか?
これは、〈君〉のものではないだろうか。
〈太陽が似合う〉とされていた、〈人の目気にせずに気まぐれ〉な、〈君〉の言葉がここで語られているのではないか。
これまでの〈君〉に当たる人物、その彼女がまた〈いつもの夏と違うんだ〉と感じていることを明かしている。
思えば、以下のような行動、これもどちらかと言うと女性の行動であると見たほうがしっくりくるような気がする。
彼と顔を合わせる予定のある日の朝は、入念に髪型を整える。何かの拍子に手と手が触れて、照れのあまり思わずパッとその手を引いてしまう。
加えて、〈会っている回数〉も違うと言う。〈大勢いる/中の一人〉のつもりでいる〈僕〉とだけ、本当は他の誰よりも〈会っている〉のだ。あなたがいる集まりなら行くし、たまの直接の誘いだって受け入れている。
そんな彼女の想いに、これまでの〈僕〉=〈君〉は〈気付いていないけど〉。
ここの歌詞は、そうした〈君〉から見た〈君〉=〈僕〉への想いが現れたラインである。つまりここだけ〈君〉と言う人物、指す人物が逆転している。
有り体に言えば「ミスリード」だ。〈僕〉だけの視点で〈君〉を追った淡い片想いを描いた歌詞だと思いきや、その実……ということが、巧妙に伏せた形で描かれている。
そうであるならば、〈何故一人微笑むの?〉の答えは明白だ。
これは、彼女が他の誰でもない〈僕〉だけに見せる、万感の想いを乗せた笑顔であるはずだ。〈君は気付いていないけど〉なんて思いながらも、彼にだけ想いを秘めて笑顔を向けるのだ。なんといういじらしさ。
そう、彼女は、冒頭において〈僕〉が独りごちた〈誰かを好きになる切ない入り口を/You know〉という問い掛けの答えを、自らの想いをもってよく理解している。故に〈I know〉なのだ。付け加えるなら、これはむしろ、〈僕〉の想いや問い掛けに〈君〉が内心〈気付いて〉いるからこその解答とも読むことが出来る。
あたしに想いを向けてくれているあなたは、〈誰かを好きになる切ない入り口〉を知っている。でも、あたしもとっくにそれをよく知っているよ。
しかし彼女は、彼に対して〈苦しくなるくらい全てがぎこちな〉くなってしまう。だから双方向に向いているはずの想いを、それに気付いている彼女から進展させることが出来ない。
だから彼女は、あたかも〈人の目〉を気にしない〈気まぐれ〉な風に見られてしまっても、〈僕〉のことを振り回すふりをして、ひっそりと彼からの想いを受け取る。
本当の想いは伝わらなくても、〈今の距離感〉のままで2人だけの時間を楽しむのだ。なんといういじらしさ。
そんな彼女の本当の想いが密かに明かされながらも、当の〈僕〉は相変わらず〈ねえ何がしたいんだ?/行動が予測できないよ〉とぼやきがちのまま、この曲は幕を閉じる。
まあ、その想いが確かなら〈いつかはちゃんと話せる〉でしょう。
まとめ
結局aiko的解釈に進んでしまったような気もするが、キリが良いので以上。
センターを務める齋藤飛鳥も、その胸中をありのまま明かすことをしないタイプの子なので(個人の主観です。あくまで)、聴き手は〈ねえ何をしたいんだ?〉と言う〈僕〉に共感しながら〈君〉に飛鳥ちゃんを投影してしまうことがあるかと思う。
それが『裸足でSummer』のキモであり、その「わからなさ」もまた心地良かったりするので、そこで足を止めることもまた正解だと思う。
しかしながら、上で書いた「叙述トリック」「ミスリード」は(解釈が正しいのであれば)、はっきりと意図的に仕込まれているものだ。そんなものは絶対に読み解いてやりたいので、今回は踏み込んでここまで解釈してみた次第である。