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身近な自然を観察

(上記の挿絵は私が描いているイラストで、以下で公開中です)

日本という国土には四季折々の変化があり、日々の暮らしの中で近所の公園を通りすがる際ふと足を止めるだけでも、お金をかけずに気軽に自然観察を行うことが出来るのです。最近は道端にどんぐりがよく落ちておりまして、秋の到来を感じさせてくれます。夏ざわざわと鳴いていたセミも、いつのまにかりんりんと秋の虫の声にバトンタッチしました。虫もこの季節を過ぎるとしんとなり、冬になってゆくのです。先日まだ鳴いていたセミに、息子が「相手が見つからないんだねえ」としんみりとつぶやくのを聞いて、セミの生態からなぜ鳴くのかを知っていると、生き物への共感力もふつふつと湧いてくるのです。

私がたまに足を運ぶ里山でも、暖かい季節では親子で川をガサガサして生き物の観察をする光景をよく目にします。やんごとなき事情で街がしんと静まり返るかわりに、自然のある場所では密状態。キャンプの出来ない場所なので日帰りなのでしょうが、簡易テントがずらっと並ぶ珍しい光景を、今年の夏は目の当たりにしたのでした。野生の動物に給餌する親子も例年より気持ち増えてしまったかな?と複雑な心境であったりもいたしました。

誤解を恐れずに個人的な考えを明かすならば、本当に自然環境保全を目的に何かを取り組むならば、レジ袋有料も大事なのかもしれませんが、なぜゴミをその辺にポイ捨てしてはいけないのか、どのような素材の商品パッケージがよいのか。どの状態の廃棄物をゴミの日に出すのがよいのか、その後どのような工程があれば自然環境保全につながるのか。行き過ぎた分業の社会では、私たちが意図的に見ないようにしているところに、社会問題の根があるのかもしれません。そこに合点がゆき、将来この社会問題を自ら担いたいというお子さんたちが現れてくれることを願う自分です。

自分は里山を歩くプロというわけでは全然ありませんが、カメラを持って歩いていると、生粋の自然大好きな子どもにもたまに会います。炎天下大きなカエルを片手に持って、もう片手で草むらをがさがさしている子がいて、「ひからびちゃうかもよ」と言うと、「じゃあこの中に入れておこう」と持参した容器に入れた子。ヘビを見つけたときに「見たい見たい」と詰め寄ってきた子供たちに「観察だけよ、アオダイショウは毒はないけれど噛むし驚くからつついたらだめよ」と言うと、その通りにじっと見守る。大きな公園にゆくとガイドさんたちがいるので、何かを教えてもらうのもよいでしょう。先日行った公園では「珍しい虫がいるよ!見てみて」と声をかけて下さり、自分もテンション高くなり。

本来人間は自然の中にあるものだけで、自然の中の一部として生きていた、そして過去自然を必要最低限お借りするだけで生きていけた存在であったことに思いをはせる、そこに戻ることの是非は別として。分業社会の全体を展望できる視界を垣間見る。そこに自然観察の醍醐味があるように感じます。



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はるかぜるりい
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