嫌いな人から学んだこと(企画参加・noteリスペクト)
山根様の企画「嫌いな人から学んだこと」に参加致します。
昔の仕事の上司です。
私はとある仕事についていて、指導を受けるメンター的な上司がいました。その方はとても能力の高い人で、皆に一目置かれ、エネルギッシュで、誰も思いつかないようなやり方で仕事をこなしていける人でした。
その方には大変お世話になりました。いろんなことを教わり、初心者の私に実践の機会を与えて頂いて、感謝していました。
違和感を感じ始めたのは少し時間が経ってからで、突然連絡をしてきて依頼事をされる(無償労働)、私の成果物を自分のものとして扱う、これくらいならお世話になったので、いいかなと、快諾をしていました。
それからまた時がたち、指導のなかに嘘や罵倒、人格否定が入るようになりました。さらに、仕事として担当したお金を入れてもらえない、私の姿勢をわざと試すような圧迫面接気味なかかわりをしてくる。
こうなると違和感から、困惑、苦手意識に変わっていました。
もしかしたら私はただ搾取されているだけなんじゃないか? と。当時はすごく悩みました。その結果、その上司から離れることを決意。仕事そのものを辞退することに。
あれからまた時がたち思い返し、冷静な心情で振り返ります。
感謝と、憧れを持ちつつも、苦手と、自分が壊れていくような感覚。私が到底到達できないような大所高所から下りてくる言葉を、ありがたいと受け止める気持ちをもつと同時に、実態は少しも私は成長出来ず、時間もお金も志も削り取られていった日々。
アンビバレント(両価性)な気持ちは自分自身を保てない解離となっていて、その上司ではなく私自身の問題であったのだと気づきました。
離れた当時はその上司にとにかく恐怖のようなものを感じて、逃げないと潰れてしまう、そんな心境でしたが、その上司は取り繕わずに素の自分を出せる相手として、私に接していたのだと思います。「何をしても許してもらえる」と、私を信頼していたのでしょう。
無償労働が嫌なら嫌と言えばよかったし、人の成果物を自分のものにしちゃだめよと言えばよかった。
誰も完璧な人なんかいなくて、私も上司に「こうあるべき」と歪んだ理想像を勝手に抱いていたんじゃないかと思います。それはただの共依存でしかありません。
自分の軸をしっかりと持たなければ、という学びとなりました。
人生とは学びの連続で、山根様の企画によりこんがらがっていた自分の過去のとらえ直しができました。山根様、ありがとうございました。