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はろー憂鬱


丸四年経った。

初めて心療内科を訪れたのが、2020年の2月だった。

憂鬱は気まぐれに訪れて、まるで台風の様に過ぎ去って行く。

幾度となく繰り返すそれは、私を大いに疲弊させた。

どうして死にたいなんて思ったんだろうと笑う日もあれば、希望なんて1ミリも見出せない日もある。

それでいて、自分がうつ病であると実感はできない。

これは自分の甘えなのではないだろうか?

自問自答を繰り返し、繰り返し、繰り返した。

病院の待合室。

みんな普通の人だ。

病気だなんて分からない。

あぁ、私は今まで何を見てきたんだろう?

何も見えてないくせに、全て見えた気でいた。

恥ずかしい。

ただの人間が、神様にでもなったつもりだったのだろうか。

自分を恥じ、責め、嫌悪する。

そんなことを繰り返していたら、また憂鬱がやってくる。

私は自分が可愛くて仕方がないのだ。

過去も今もきっと未来も。

いかに自分を守るかで頭がいっぱいなのだから。

そんな自分を襲う憂鬱と、私はどう戦えばいいのだろう。

戦おうとする事が間違いなのだろうか。

手を繋いで歩くべきなのだろうか。

友達よりも頻繁に訪れる憂鬱と、友達のように過ごすことが出来るだろうか。

出来なくても、する以外の選択肢はないのかもしれない。

呼ばれてなくても来てしまうアイツのことだから。

この間、久々に大学時代の友人に会った。

1年ぶりだったと思う。

離れたところに住んでいるので、中々会えない。

適応障害になったという。

職場のパワハラが原因らしい。

聞けば散々な上司だった。

彼女は休職後、復職したが、私は退職した。

彼女のように休職もしたし、復職もしたが、ダメだった。

私は結局退職してしまった。

休息は、私に安らぎを与えてくれた。

しかし、それと同時に考える時間も与えてしまった。

人というのは、考えれば考えるほどネガティブな思考に陥るらしい。

ネガティブに負けないよう、悩みをノートに書き連ねたりもしたが、中々手強い。

答えの出ない日々。

でもそれが当然かもしれない。

生きてる間はみんな中途半端なんだって、誰かが言っていた。

そりゃそうだ。

その通りだと思う。

考え方、というものに大きく左右されていると感じる。

ハッとさせられる言葉を聞くと、さらにそう思う。

考え方のクセは、中々直らない。

けれど直したい。

私だって、いい方向に向いていきたい。

ポジティブに考えたい。

自立したい。

病気も治したい。

うつ病は、完治しない病気だと言われているけれど、寛解状態を続けさせることくらい出来るはずだ。

たまに憂鬱が訪れたとしても

「はろー」って、

「また来たの」って、

受け入れてあげて、一緒に生きていけるような、そんな人になりたい。

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知春
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