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自分の特徴と向き合い認めること

こんばんは。harunoです。
超絶真面目な記事か続いていますが、
 最近感じた壁も含め、自分を見つめて受け入れることの難しさを感じることが、社会人になってふえたなぁと感じます。
そんなあれこれと、軽い分析?を徒然なるままに。。。

全て失敗しないと受け入れられない

はい、これ。ものすごく困っています。
頭では医者の言うことも
リワークスタッフさんの言うことも
その時は、めっちゃ分かるんですよ。
でもこれは、会話の中で、あくまでも
頭では。
これが大前提で厄介者。
理論はわかる。
だけども気持ちが全くついていけなのです。
耳タコです。ってこともたくさんあるし
飽きずに伝えてくれる場があるのに。
なのにおなじことを繰り返してしまう。
ただ、失敗するとものすごい勢いで
なぜなぜ分析が脳内で始まって。
『周りの言うことが合っていた』
と。そこでなるのだ。
衝動的とか、そーゆうのもあるのかもしれない。
でも私の場合、誰かの言う私を大切にした優先順位よりも、世の中の優先順位が気になってしまって
たとえ、多少しんどかろうと、
気力で切り抜けようとしてしまうのだ。

『周りはもっと自分勝手に生きている』

それはきっとそうなんだとおもう。
誰かが調和をとったり、拾ったり、
そーやって仕事ってまわると思ってたしチームなんだと思っていた。

だけど、それはワタシのやりたい気持ちはそこにあったとしても
私の体と心と脳にとっては
優先順位が最低へと下落することがあるのだと。

その気持ちの折り合いが何時までもなかなかつかないのだ。

 精神障害者(適応障害)であることの認識

病院へ行くまでは、
正直無抵抗で。
あーだめだ。薬に助けてもらわねば。
と、比較的すんなり行ったほうだ。
しかし、何が受け入れられなかったかというと
『仕事を休む自分』だ。
誰も嫌いな人などいなかった。
(ちょっとしたパワハラモラハラはあったが)
いかんせん、仕事は大好きだった。
なのに、涙が止まらなくなったのだ。

そして、3ヶ月休んで、結婚式もあるタイミングだったこともあり、
 健常者として働ける自分
で、挙式を迎えたかったし、
親戚にもバリキャリだと思わせてたこともあり
それまでの復職はマスト。
ゆうても、時短から始められる。

しかし、ふりかえると当時言われていたこと。
『結婚式』はいまなのか?
そもそも結婚し続けるのか?逃げるのも一つ
とにかく今はやすみなさい。

にも関わらず
働かずして生きている自分
それが許せなくて。
寝ているか、家事を頑張るか、式の準備を頑張るか
結局、なにかしら活動を止めることが出来なかった。

それは、
夫への後ろめたさ
親族へバレたくないプライド

こういったところだろう。
心配されたらそのほうが疲れる。
そう思っていたくらいだ。

医師ももう一度戻ってくるだろう
と思いつつ
式さえ、超えれば少し落ち着くかもしれない
そういった考えで復職を許してくれた。

しかし、以前のようには当たり前のように働けず、
『できない自分』とむきあう必要がでてきた。

結局、日々壊れたように泣きながら
結婚式準備も完璧にしたくて諦められず
時短の意味など無く、動き続け
誰かにずっとイライラしていた。
それは、自分であり、環境であり。
グルグル回っては結局 
自分はいらないし居場所なんてない。
という、とんでもなく
希死念慮と自己肯定感の低い答え
にたどりついてしまう。

居場所は作るものだから家庭だけでも死守したい
そう思って、夫婦でいるために。
夫が好きなだったバリキャリな私に戻りたい。
そうおもっていたけれど、
 元の位置に戻るなんてことは出来ない
今できること、働き続けることを大切に

産業医に最後の休職前に言われた言葉。
やってみて、もがいて倒れるまで
やはりわかっていなかったんだ。

わたしは、ここで、活躍できない。
ちゃんと休もう。
こうなったのは、
行かねばならなかった外部打ち合わせ
それにどう頑張っても家から出られなくなった日。
いつもの私ではない。怖い。逃げたい。
そんな感情に振りまわされたら
また休んだほうがいい
そう上司に言われた。
期待に応えられない自分を受け入れられなかったが、ここでようやく
ちゃんと治さねばならないし、できるはずのことができなくなっている。
その自覚が芽生えた。

自分が、ADHDであることが受け入れられない


asdは号泣しながらも、wais-4を受けていたのと
うっすら私って【HSP】だから、生きづらいのか?
と、自分でも調べて、困りごとの存在と人より疲れることを理解した瞬間があったから
占いで、当てられた
そんな感覚だった。
しかし、アスパーガールを手にして読むも、
こんなことはない!!ここはちょっと当てはまる。。。と、ムラもありなんだかすんなり腑に落ちはしてなかったのだ。
しかし、治せないことが何より受け入れられなくて。 
幼い頃から【普通】に憧れていた私。
目立ちたくなかった私。

やっぱなれないんだな。
悲しみにくれた。 
さらにADHDは復職をめざして頑張りだした時に
しんどそうだから言うね
と主治医に告げられた。
認めたくない!だって周りのADHDってもっと時間守れないし、マイペース崩さないし、違うよ!!
そんな気持ちで埋まっていた。
だが、本を読むとたちまち
困りごと
がいくつかあてはまるのだ。
それでも何処かで隠したくて、否定したい自分がいた。
勉強して、本も読みまくって、

過剰適応
というキーワードをもつ本と出会い(先週の出来事)
あるあるが満載すぎて

無理してこなしてきただけだったのか。

と、受け入れられることがすこしできた。

さらにこれを原因に言われた言葉
あなたは仕事が好きでも、向いているかは別なの
続けられることが大切。だから変えなさい

あぁ、私って仕事できる人に根性でなってたからこんなにつかれたのか。と理解。
それと同時に大好きで結婚するまで生活のすべてを捧げていた仕事が【向いていない】と言われる絶望感。
だって上司は
これ、やってみなよ!きっと向いてるよ!
と、たくさんのことをやらせてくれたのだ。
そしてそれは、私にとって確かに楽しくて。

向いてなかった
この事実が、身体が証拠となってしまったけれど
本当だったなと悲しいながらに
過去の失敗(?)からしか、納得ができなかった。

本で読んだケース
自分でも職場でどういったカタチで起きていたか それをノートにまとめた。(物理的に紙に)

すると、泣きそうなくらいエピソードが
出てきまくる。

あぁ、周りに恵まれて、無意識に支えられてた
だからそこにいれたんだな。

感謝の気持ちでいっぱいになった。

そして、そこには戻れない事実が
今となってはこわい。

ここで、
自分の価値観の整理
をする本と出会い、判明した
私は愛情や人とのつながりがマストでつぎに誠実であることがどうやら上位にある。
これは、【金、知識】といった欲がなくて、
実は仕事のどこを愛していたかというと、
結局は人だった
そして、誠実に仕事と向き合えるチーム
と気付かされた瞬間だった。

これを異動して失ったらぶっ倒れたのだから、
よほど大事な価値観で。

今となっては、家庭という
愛、家族とのつながり、友人とのつながり
そちらの方でいいじゃないか。
と、家庭優先の生活ができる仕事になればと
気持ちを入れ替え始めている。

バリキャリになりたかった理由は
過保護な親から完全に自立したかったこと
周りに迷惑をかけたくなかったこと
そして何より、仕事が楽しかったからだ。

ある程度の仕事であれば
迷惑もかからないかもしれない。
家庭優先にすれば余裕がで
一生物の
 愛やつながりを大切にできる
と思考を変えてみている。

出来ない自分なりにできる仕事に戻ろうと思うが

障害者雇用、障害者手帳
この類には抵抗があり、その面ではまだ、うけいれられてないのかもしれない。

きっと、また復職し失敗したら
あの時うっすらわかってたのにな
とおもいつつ、その道をえらぶのだろう。

失敗しないと
受け入れられない
しかも、下手すると、何度も。

これはADHD特性としても本によっては載っていて
もう逃れられなくて。
経験からしか
優先順位や、遂行の意味を見いだせない。

遠回りしてもいいか。
よこに、愛する人さえいてくれれば。

今はそう思う。

その、愛する人を、失うリスクも倍だと記述されていることが
何より怖いことではあるが。。。

きっと、どちらもグレーゾーン寄りで
困りごとに振り回されてなければ
 診断は無かったかもしれない
だけれども、これがあってはじめて
 努力じゃなにもならない
の場所がわかって。今となっては
言ってくれてありがとう。だ。
もっと早く知りたかったな。。。欲を言えば笑

まとまり無くてごめんなさい
これが直近失敗して受け入れてきたことたちです

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