ひめいち【Vol.2 紫陽花号/'24データ更新版】
◇奇跡のご当地検定試験を考える
■姫路・播磨という地域
「姫路って お城しかあらへんやん」
姫路検定というと、「憶えることあんまりないんとちゃうの?、姫路城しかあらへんやん」という声が聞こえてきます。
たかがひとつの地方都市での範囲、しかも世界遺産「姫路城」のネームバリューを思えば仕方ないのかもしれませんが、過去10年(第9回~18回)のひめいち問題を調べてみますと、344問中、純粋に姫路城そのもののことだけを問題にしているのは42問しかありませんでした。
つまり試験問題の90%近くは「姫路城」以外からの出題だったということになります。
少し例を挙げると、日本最多の古墳が存在する兵庫県の中でも、特に多い播磨。姫路市内だけで遺跡の数は約1200!とのことです。
(姫路市埋蔵文化財センターHPより)
前回の試験で神戸市の五色塚古墳が解答となる問題が出されたように、出題範囲は ”播磨国” 全体に及びます。(神戸市垂水区はかつて "播磨" でした)
また、姫路・播磨と一見無関係な問題が出ることも少なくありません。
播磨全体ということは、城に限ってみても白旗城や明石城や赤穂城や三木城も城山城も長水城も入って来るのです。
また、播磨地域の総合文化誌「BanCul」の記念号で、播磨事典(上・下)なるものが刊行されているのですが、この中で紹介されている、姫路・播磨出身や縁のある著名人は、上下巻併せて(青山鉄山から和辻哲郎まで)466人でした。
播磨はいにしえより豊饒の国。天候が良くて平野が多くて海の幸にも恵まれてとくれば、多くの人が暮らす、行き交う、関わり合う。で、道が開ける、お金が落ちて回って、文化が根付く、姫路検定試験の出題範囲が広がる、受験者の負荷がどんどん重くなる、ふ~っ。という構図になるわけですね。
さらに言えば、姫路検定とひとくくりにはなっていますが、例えば「播磨の遺跡検定」や「播磨国風土記検定」、「播磨灘海の幸検定」、「姫路城主検定」(歴代の殿さまだけでも50人近くいました)、「播州弁検定」、「播磨 神社仏閣人物土産検定」・・・どれも問題なく成立するくらい幅広く奥が深いのです。いちいち説明しません、できません。
これら全部も一部として含まれ、こんな中から、しかも高レベルの問題が出されているのが姫路検定試験1級 "ひめいち" なのです。
範囲の広さ、深さはひめいちの醍醐味ではありますが、受験する方はたまりません。が、しかし、まさに、あなたの知的好奇心のターゲットとして不足はないはずです。
「姫路城しかあらへんやん」への回答は、これくらいでよろしいでしょうか。よろしいですね。
■奇跡の検定試験
1,1,1,0,1,0,2,0,1,0・・・何の数字だと思いますか。
どこかの弱小球団の最近の試合得点ではありません。
奇跡の検定試験というと若干オーバーな表現かもしれませんが、姫路検定1級の過去10年の1年ごとの合格者数なんです。(第11回~20回)
全国ご*当地検定調査隊でもある案内人にしてみれば奇跡のような数字です。
(*注:個人的組織です)
合格者が一人かゼロか、2020年度に複数合格となりジンクスは破られましたが、それにしても凄いと思いませんか?。
10年間に合格者ゼロが4回もあるなんて。
合格者ゼロという事は、要するに100人受けても、1000人受けても、10000人受けても合格者ゼロの可能性があるということです。難しすぎて誰一人合格できない。これは一年間懸命に学んできた受験者にとっては辛い、むなしい、オーマイガァ!と思ってしまう事実です。
しかし、次の年には合格者が現れる。これはこの検定試験が成り立っていける、続けることが出来る最低の条件です。合格者ゼロが数年続く試験なんて誰が受けるの?・・・という話になります。
出題者さん側の絶妙な問題作成スキルに感服してしまいます。あっぱれ。
そして、これに立ち向かっていった273人の挑戦者たちも ”あっぱれ” ですね。
どうでしょう、ひめいちが ”奇跡の検定試験” というのもあながち大げさではない・・・ですよね。
■ 第1回からの受験者データ
全体の受験者データ(上表)からも ”奇跡” は見えてきます。
さて、前号からここまで姫検1級は難しい難しいと言い続けてきました。
でも、100人受ければ3人が合格しているのも事実です。
世界が広がる知識を得られて合格を目指す。楽しいではないですか。これほど受け甲斐のある検定試験はどこを見てもありません。
姫路・播磨を愛するみなさん、目指すだけでも凄いと思いませんか?。
アインシュタインの言葉にこんなのがあります。
学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるかを思い知らされる
自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる
”学び” の真理、ですね。
■MYひめいち物語(その二 挑戦への序章の巻)
この辺りでお断りしておきますが(特に断らなくてもよいのですが)、私は記憶力が人並み以上に良いわけでは決してなく、資格検定が大好物という検定マニアでもありません。漢字検定は準2級、TOEICは480点、世界遺産検定も2級で電気主任技術者試験は第三種。(結構な検定マニア?)
言いたいのは、要するに各資格のてっぺんを獲ったことがなく、いたって普通の、中クラスの、ノーマルな一般人なのです。
そんな私がひとつくらいてっぺんの検定合格をと自分ながら頑張ったのが、姫路検定1級(ひめいち)でした。
前回は、初めて催されたひめいち受験を断念したところまでだったのですが、この初回の1級試験は(今思うと)意外な結果になりました。
107名(現在の約4倍)という多くの人が受験したのも驚きですが、合格者が8名も出たのです。合格率は7.5%!。
数値上は難関に違いないのですが、一回の試験でこれほど多くの合格者が出たことは、後にも先にもありません。(初めてなので先がないのは当然ですが)
「しもた。受けといたら良かった」と、思うほど甘いものではないとも分かっていたので後悔はありませんが・・・ほんとは少しありました。
初めての1級試験に、得体の知れないラスボスに立ち向かっていった諸先輩方に敬意を表します。
それにしてもこの地域、学び好きで姫路・播磨好きの方が何と多いことか。
で、忙しかった仕事に少し余裕が出来て、ようやく「やったろやないか」とあらためて1級への道を目指し始めたのが2016年。初めて3級~2級を受験してから10年が経っていました。
人生の中で、人は何度かすごく頑張った時期というのがあって、それは勉強に限らず、仕事でもスポーツでもボランティアでも畑仕事でも将棋とか楽器とかの趣味でも、何だったら競馬でもパチンコでもなんでもよいのですが、これらすべてが自己実現という目的に向かう課程だと(本人が気づく気づかないは別にして)思うのです。何年かかるか分からないけど頑張ってみようと決意したのがこの時期でした。
ほんといえば3年くらいでなんとか、とも思っていましたが。
初挑戦の2016年は第13回検定試験、「姫路観光文化検定試験」から「姫路検定」に名称が変わった年でした。
初陣にしては健闘した・・・はずなのですが、実力不足を痛感した結果になります。
(次号に続く)
■過去問を解く(第9回試験より)
案内人の手元にある最も古いひめいち試験問題は、第9回試験。
今回はこの中から難問をピックアップします。
■第9回(2012年度)より
2012年の大河ドラマは「平清盛」。このように、いわゆる時事問題的な出題はよくあります。○○ブームとか、その年の出来事など、姫路・播磨に関わりがあれば要チェックです。
(答)①【夢前町の能登殿屋敷】
夢前町莇野の補陀洛寺境内に平教経(清盛の甥)が隠棲していたという「能登殿屋敷」があったそうです。今は屋敷はありません。
②【上郡町小野豆】平経盛が落ち延びたという集落です。平清盛の異母弟なのですが、壇ノ浦の合戦で敗れた時に戦死したという説もあります。
小野豆で落人たちが源氏の落ち武者狩りに見つかった際の話など、真に迫った部分もあり、真実は例によって ”謎” です。
その他、播磨の平家ゆかりの地としては、【神河町川上の壇の地蔵】(安徳天皇の冥福を祈るためのお地蔵さん。福田寺にあります)や平知盛 vs 源行家+木曾義仲が合戦をした【室津の室山の戦いの地】、また、源義経が夜討ちをかけ平資盛をやぶった【加東市の三草山の戦いの地】。さらに清盛の四男知盛ゆかりの【佐用町(知盛塚)】など、こうしてみればたくさんありますね。
答えは二つで良かったんですが、播磨は意外に平家とつながりがあるんです。そうそう、忠盛、清盛の親子、清盛の孫の行盛は播磨守を務めました。
以下同じですが、このサイトの解説は冗長性に富んでいます。憶えておいた方が良いと思われることはできるだけ載せとくようにしたいので、答が二つと限定されていてもこれでもかと提供する場合があります。
何しろひめいち問題はどこから飛んでくるか分かりません、"狭間" はやたら多いのです。
受験者が「ん!?」となる問題ですね。もしかして「んん!?」かな。
憶えていれば簡単ですが(あたりまえ)、推理するとなると難しい。
景福寺といえば、
・池田輝政入封時に建立された
・寛延の大一揆を引き起こしてしまった松平明矩の墓が景福寺山にある
(明矩の結城松平家は、映画にもなった「引っ越し大名」の家系です)
・幾人もの著名な文化人が巣立った旧制姫路中学校の最初の学舎
(旧制姫中出身の文化人は憶えておいて損なしです)
などが思い浮かぶ名刹ですが、なんといっても江戸期後半の120年間、姫路藩を治めた譜代の名門酒井家の菩提寺というのが有名です。
(答)・喜代姫(徳川11代将軍家斉の娘で藩主酒井忠学の正室)
・喜曾姫(忠学・喜代姫の娘で藩主酒井忠宝の正室)
・婉姫(藩主酒井忠績の正室)
婉姫の墓碑の説明には、文久2年(1862) から亡くなる慶応3年(1867) まで城内の東邸(東御屋敷?)で暮らしたとありました。
「 ”鬼追い” だけでええやんか」と思ってしまうのですが、呼び名とすれば
(答)追儺式、修正会、修二会 といろいろあるようです。
少し調べたのですが、”追儺” は元々、年越しの鬼追い行事で現在の豆まきにつながるとのこと。修正会は正月の法会、修二会は二月に行う法会ということでした。なるほど。
問題自体はそう難しくありませんが、繰り返し問題の例として取り上げました。約10年ぶりの建物/建築家問題ですね。
第9回と18回、微妙に違うのが、公共施設(3つ)と近代建築物(過去のものも含め)5つというところでしょうか。
(答)・姫路文学館/安藤忠雄
・星の子館/安藤忠雄
・県立歴史博物館/丹下健三
・姫路保健所/黒川紀章
・京見会館(勝原区)/遠藤新
過去のもので・ヤマトヤシキ/村野藤吾 など
上から4つが "公共" ですね。
※遠藤新は、世界三大建築家フランク・ロイド・ライト(旧帝国ホテルなどを設計)の弟子。他の県内の作品としては「甲子園会館」(現武庫川女子大の学舎/国登録文化財)等があります。
繰り返し問題はよく出るというほどではないですが、わりと出ます(どっちやねん)。
複数回出題されたテーマとしては、歴代赤松家当主や姫路城大柱の素材、前号で紹介した忠臣蔵などがあります。
早い話が、過去問は押えておけ!ということです。
また、この2012年は、大河ドラマに「軍師官兵衛」が決まった年で、関連問題が結構なボリュームを占めていました。(回答数として16)
他に第9回に出題されたのは、市内の代表的な古墳、播磨国風土記の地名由来、市内の古民家などなど。また、小論文は川合定恒事件について、でした。
そういえば、川合定恒事件も前回の小論文に関連していましたね。
なお、この第9回試験の1級合格者は1名。あっぱれ!。
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