伝承館を訪れた。

前回に引き続き、震災関連施設へ。
荒浜を訪れた翌日に仙台NHK放送局へ。
そして翌々日には、石巻へ。

NHK放送局では地震発生当時のニュース映像(4日間分)がノーカットで見ることができた。当時の自分のことを思い出しつつ、また違った目で見ることができた。被災地に行った直後だからかもしれないけれど、被災した現地の人たちに向けての具体的な物資の情報報道とかは少ないなと感じた。大枠として今何が起こっているのか、どの辺りでどの様なことが、とかそういうことが‘‘報道‘‘ではメインなのかな。じゃあ、被災した時にはどうすればいいのだろう。やっぱりラジオなのかな?市区町村がどのような対応をするのかは調べておこう。あ、でも大きな支援は自衛隊なのか?どういった順番でなにが行われるのかを調べておこう。自分でレポート作ったら頭に残るかな?
以前、自分のことに無頓着な私に、母が防災バックを渡してくれた。これらが調べ終わったら、私も離れて暮らす母にラジオか何か、情報ツールに必要なものを買って渡そう。(そのためにはまず稼がねばならない!?)

石巻では、二つの伝承館を訪れた。
伝承館では、今までの東北地方の太平洋岸について、石巻の地形と津波の影響、それぞれの土地での津波についての言い伝え、なぜ津波にのまれながらも火災が起こるのか、個々人の体験談などを知ることができた。

石巻の斜め上、女川町あたりでは今までもたくさんの津波の被害を受けていたそうで、それは地形の関係だった。湾奥での津波の波高は高くなりやすく、斜面を上った高さを示す遡上高では津波の何倍もの高さを示してる地域もあった。そういう地域(リアス式海岸)では、地震=津波が来るということが染みついており「己の身を一番に考えて早く逃げろ」といったような口承がのこっていたそう。(伝承館の人に方言で教えていただいたが忘れてしまった・・・)一方、石巻のエリア(砂浜海岸?平野海岸?)では、昔の大地震時は大きな被害があり、それらの石碑などはあれど、口承は少なかったそう。津波の到達予想時刻でも、街にはたくさんの人が残っており、伝承館では、津波に流されたが運よく助かった人の話も聞くことができた。死者、行方不明者の人の数は知っていたし、今回の死者の多くは津波にのまれて亡くなった人が多いのも知っていたが、私の想像よりもかなりの人が避難行動をしていなかったことに少し衝撃を受けた。流されたが助かった人達の話は、本当に‘‘運よく‘‘‘としか表現できない。

避難行動に関して、教育ビデオなどで小学校の頃教育を受け訓練なども行っていたけれど、当時は「授業なくなるからラッキー」ぐらいで受けており、こうやって体験談を見聞きするのとは全然違うなと思った。
伝承館の人の話で、石碑などよりも口承の大切さを説いており、荒浜に訪れて聞いた被災した女の子の話も重なり、人から人へという大切さを強く感じた。
また、東日本の震災の後「震災があったら、なにがなんでも私は家に帰るんだ」とずっと思っていて、家から電車で学校や職場に通うようになっても、そこから家までの徒歩ルートの確認と所要時間、実際に歩いてみたりしていた。津波は関係ない地域だからそういう危なさはない、ならば帰ろう!というゴリゴリの自己判断。あほんだら。
今回、家で家族の帰宅を待ち(帰ってきたら一緒に避難するからと言って家に留まった)亡くなられた方の話や、避難所で家族の安否もわからないが無事を信じて皆の指揮を取り持ったり、積極的にその場を支えあうために尽力
した人の話を聞いて、意識が変わった。
どんなに、不安で心配でも、誰かを信じること。向こうでも無事にやっているだろうと、今はお互いの場所で頑張り、落ち着いたら会おうと信じ続けること。そういう力強さを知ることができたから、私も有事の際にはそういう風に動こうと思えるようになった。

また、火災に関しては工場やガソリンスタンドなどの要因も勿論だが、車×海水の話が印象深かった。車にはガソリンの他に、モーターなど乗ってるし海水は電気を通すからね、と言われ学校で習った知識なのに忘れているわ、そこまで想像が及ばないわで、自分にびっくりした。
いろんな知識を持っておくことや関連つけて考えることができるようにしなければ・・・
石巻では、津波の影響で沿岸付近は火災が起きるようなものはすべて流され、内陸側に押し寄せた。なので、そこでは火災が起こらず、押し寄せて留まった場所で水も引かないまま火災が発生し、鎮火には三日間を要したとのことだった。流され、火災に巻き込まれ、遺体が焼け焦げて見つかった話も聞いた。 阪神淡路大震災のでは、火災原因として家の倒壊が原因で火事が起こったり、延焼しやすくなったりなどした、と学んでいたので津波の影響で火災が起こるなんて目から鱗だったなぁ。

NHK放送局でも、伝承館でも、「ともに」というワードを強く感じた。
報道側の方々は「暖かくしてお過ごしください。」では配慮が足りないとし、被災現場と共にどうかそこにいる人たちの心が折れないような言葉かけをしていた。伝承館では「早く逃げろ」ではなく、「一緒に逃げよう」と言えばよかったという人の声が多くあった。
また石巻では、学校や工場などの集団避難や、それに関係のある人たちがそれぞれの知り合いに声をかけ、またその人たちが知り合いに声をかけと連鎖が繋がり、学校などに関係がない地域住民なども早期避難をすることができ、多くの人が助かったという話もあった。

ともに、かぁ。


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