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才能と努力と人生
ごく稀に「才能がある」と恐れ多い言葉を頂戴するんですが、才能がないのは自分自身が一番理解している。
なら、なぜ才能のない僕が漫画家になれたのか。
デビュー当時は偶然みたいなものだと思っていたけれど、今なら少しわかる。
僕は僕の描くマンガを好きなわけじゃなく、マンガそのものが好きだからだと思う。
自分が描いておもしろいと思うマンガと読者におもしろいと感じてもらえるマンガとでは大きく異なる。
だから、マンガを描く自分に酔うようなら漫画家にはなれなかったし、万が一の運に恵まれてデビュー出来たとしても、漫画家を今まで続けることは出来なかった。
それは、とても実感としてある。
なので、僕はマンガそのものが好きだから僕の描いたマンガを読んだ人が、マンガっておもしろいなって思ってもらえたらとても嬉しい。
その気持ちだけでずっと描いているし、これからも変わらずに描き続けていきたい。
あとひとつ、「努力も才能」って言葉をよく見かけるんですがそれは違うと思う。
必死で努力して報われるなら誰もが報われていないとおかしい。
努力は手段なのだから考えて努力しなければ身になる努力にならないだけの話。
しっかりと考えて努力する。
それでも、必ず報われるとは限らない。
僕も何度も失敗しているしこれからもするんだと思う。
考えて努力して報われなかったのなら、考え直して間違いを改めて違う努力をする。
それを繰り返していくことが、なによりも自分自身を成長させてくれた。
僕が今までに出会ったおもしろいなって思う人たち(業種関係なく)は総じて答えを持っていない。
おもしろくするためにはどうすればいいのか常に考えもがき続けている。年齢など関係なく。
人生にも同じことが言えると思う。
僕の場合は決して賢いとは言えないので、40年間じたばたしながら考え続けて、ようやく最近になって少しばかり生きていることが楽しくなってきた。
どうせなら、悪くなかったなと思いながら人生を閉じる日を迎えたい。
もしも、人生が上手くいかないのなら考え直して潔く手持ちの答えを捨てる。
ちっぽけな自尊心のために、ずっと同じことしか言わなかったり、間違えても言い訳ばかりしているようなら何かを変えることは永遠に出来ないと思う。
けれど、それもひとつの考えかたで生きかたでもあるから自分自身が満足してるなら、それはそれでまったく問題ないと思う。
ただ、僕がもしも答えを持っていたとしたら、とっくの昔に人生を閉じていた。
だから、僕は答えなどいらない。
描き続けるだけ。
終