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06 大切にしてくれた人のことを語り続ける
こんばんは、green green 🌿です。
自分がこれからどんな風に生きていったらいいのか?
ヒントはきっと過去にあると思うので、
まずしばらくは、私の土台を作ってくれた小さい頃にさかのぼってみているところです。
娘が2歳になる前に、義父が亡くなった。
かわいがられていたことも全く覚えていない娘に
義父からどんな風に可愛がられていたか…
伝えるのは私の大仕事だと思った。
実は、私の祖父も私が2歳になった秋、亡くなった。
祖父との思い出は、顔や声の記憶もあるのは、ワンシーンのみ。
祖父が病気で寝ているそばのタンスのなかにチョコレートを隠してあるのを知っていた私は、
寝ている祖父に頼んだ。
「おじいちゃん、チョコレートちょうだい!」
寝ている祖父が祖母に「あげなさい」と言った。
チョコレートを食べながら、うすぐらい部屋で祖父のそばに座っていた。
ただそれだけの記憶しかない祖父。
そのほかにもある祖父のイメージは、
おそらく8mmカメラの映像や、
祖母の友人たちや親戚のおばちゃんたちの話から私が想像したものだ。
両親が働いていたので、その間、小さい私の面倒は祖母や祖父が見てくれていたらしい。
うちは農家で、
祖父がなくなった後、
忙しい時はいろんな人がうちに出入りしていた。
親戚や近所のおばちゃんたち。
私は多くのおばちゃん達に囲まれて育った。
出荷の作業の時も小さいながら、祖母のそばにいて
豆をちぎったり、ごみをまとめたりしてた記憶が残っている。
何か手伝いになっていたかどうかは微妙だけど…。
その時、周りのおばちゃん達が私に話してくれたこと、
それが、
祖父がどれくらい私のことを可愛がっていたか!ということ。
もう何度も何度もいろんな人から、繰り返し繰り返し聞かされた。
大きくなってからも、それは繰り返された。
でも、もう聞いたからいいよ~なんて思わなかった。
聞くたびに、私の内面を潤してくれるようなそんな言葉のシャワーだった。
両親からは、
私は小さい頃泣いてばかりいて、保育園に迎えに行くと、泣いている声が聞こえるから、こっちが泣きたかったよ。と何度も何度も言われていた。
そのため、私は迷惑な存在なんだという認識がずっとあった。
一方で、
おばちゃん達から何度も何度も聞かされる話、
祖父にそれはそれは大切にされた自分 をリピートされることで、
おじいちゃんが大切にしてくれた私だから、
自分を大切にしよう!と思った場面が成長していく中でいくつもあったって思う。
私の子どもたちには、義父がどんな人で、どんなことが好きで、こんなところが似ていて、こんな風に可愛がっていたと
覚えている限り、思い付く限り、話してきたつもりだ。
そして、子どもたちも何度も聞いていることなのに、嬉しそうに聞いてくれた。
息子は、義父がなくなった後生まれたので、義父には会っていないが、
絶対に会えていたら一番の理解者になったはずだと私は思っているので、その事も何度も何度も伝えている。
子どもたちの何か…になっていたらいいし、
ならなくても、
義父のことはとにかく私が大好きで
大切に思っているので、ただ話したいだけでもある。
祖父の私への愛情の姿を話してくれたおばちゃんたちも、ただ、あきれるほどにあんまりにもかわいがっていたから話したい、話さずにいられないって感じだった。
おばちゃんたちの話が嘘じゃないって感じたからこそ、私の心に届いたんだろうってこれを書いていて思った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。