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18 音楽中毒なのは…
こんにちは。green green 🌿です!
最近はちょっとサボりがちですが、
夜、音楽を聞きながらの散歩が私はとても好きで続けていました。
夜の空気は、自分の世界に運んでくれる気がします。
いつもイヤフォンを欠かせない私、音楽について考えてみました。
私の記憶のなかでの印象的な音楽との時間、
それは、
母の部屋でクラシックを聴いている場面。
(厳密には両親の部屋だけど、なぜか今までそう思っていた。)
働いていた母は、
休みの日、
家事を延々とやっていて、
午前中は、母の部屋で、クラシックをかけながら
掃除をしていた。
母のそばにいたかった私は、かけている曲に浸って過ごしていた。
母が違う場所の掃除に行ってしまっても、
そこで音楽を聴いていた。
特に出掛けない日曜の午前中は、クラシック♪というパターンだった。
最近、母とクラシック音楽、
それが自然と結び付いていたんだなとふんわりと思い出していて、
ふと、
もしかしたら、音楽が母を補っていたのかも…と思った。
正と負の法則、
マイナスがあれば、何かがプラスで補ってくれているという。
逆もしかり。
10代、20代、30代、40代、そして今。
その時々で、音楽ジャンルは様々だが、
洋服に興味がないときも、
本を読まない時も、
子育てに忙しいときも、
音楽だけは絶対必要だった。
20代のころ、予定のない土曜日の仕事帰りは、
必ずタワーレコードによって、長々過ごしていた。
20代後半には、クラシックになり、
その後、娘とK-POPにはまり、
今はほぼ洋楽かな~という感じだが、
音楽が手放せない。
アラフィフとなってもイヤフォンが手離せない…
いつも音楽聴いてるよねって言われると、
もうこれって中毒だよね~と笑って説明していたけど…
いつまでも私は母を音楽で埋めていたのか?と考え込んでしまった。
ウーン、最近は違うと思うけどね…。
20代の後半のこと、
前にnoteにも書いたが、病気が見つかり、
大きな病院に紹介され、説明を聞きに行く日にちが指定された。
できればご両親のどちらかが付き添ってくださるといいですねと、医師に言われて、
当時はまだスマホのない時代、
職場の公衆電話から母の職場に電話をした。
母は、あっさり無理!と即答して電話を切った。
父も外せない予定があり、いないからと。
いやぁ、私は、病気よりそっちがショックだった。
そっちに悲しくて、ちょっと涙目になってしまった。
その頃、私は一人暮らしをしていたので、
ポツンと残されて落ちていくような心地だった。
数日後、母から病院の説明に付き添えるようになったと連絡があり、
病院で待ち合わせをして、医師の説明を聞いた。
お昼に地下街でお蕎麦を食べ、
デパートに寄り、ぶらぶらと過ごして別れた。
時々、話しながら母が何回か私の肩に手をかけてくれた時、ほっとする温かさを感じた。
母は、当時、大きな会社の保健士をしていた。
同僚の保健士の方と家族ぐるみでのお付き合いがあったので、
上司の方も私を知っていた。
どういうきっかけだったか…あとでわかったことだが、
私が付き添いを頼んだ日、
その日は、
一年で一番忙しい健康診断の日だったらしい。
だから、母は、付き添いは無理!と即答をした。
そして、
おそらく…上司の方は私の事を知り、
大変を承知で、付き添えるようにしてくださったんだと思う。
そう、あとで気付いた。
入院した病院は、交通が不便な所で、バスでしか行けず、
家からも遠かったが、
母は毎日毎日、仕事帰りに見舞いに来てくれた。
毎日来てくれた母。
こんなに来てくれるなんて思わなかった。
私は母とのわだかまりがずっとあって、
とにかく母と合わないという思いが先行していて
20代後半、その入院の最中まで気付かなかったが、
私はずっと母を求めていて、ずーっと寂しかったんだなぁと入院のベッドで気付いた。
病院の夜、
病気で入院された方は、きっと経験をされていると思う。
黙ってはいても、
カーテンを閉めてはいても、
皆さんの心の声が病室には充満しているように感じた。
ある人は、残される知的障がいのある息子さんを残して自分が逝ってしまうことに。
ある人は、手術後の病気の予後があまりよくなく、入院が延長になっていることに。
ある人は、何度も入院を重ねて、きっとまた、同じことで戻ってくるだろうことに。
私はそのなかでは一番軽い方だった。
だから、
もしかしたら全く勘違いかもしれないが、
皆さん不安ながらも、それぞれの状況を思い合って、そして自分にたち戻り、受け止めて、眠る。
そんな日々だったのではないか…
手術が終わり、回復に向かうにつれ、
今までの母とのことを自分のなかで許したい
もっと受け入れたいと考えるようになっていった。
それからも、
母とはいろいろあって、
しばらく会わない時期もあったりしたが、
うちは、誕生日だけは大切にする家だったので、
その機会をめどに心を整えていった、そんな気もする。
私が結婚してからは、誕生日の日を祝うことは
かなり減ってしまった。
「年老いていく親と過ごす残りの時間は意外と少ないんです。年に数日、その中でも、接している時間はもっと少ない。本当に限られていますよ。」
とテレビで誰かが言っていた。
そこで、
10年くらい前からかな?
父と母と私、
お互いの誕生日には、ランチをするようにしている。
母と私のランチの時、母が私の知らなかった弟とのエピソードを聞かせてくれた。
その話を聞いた時、私のなかで母をやっと許せた!
私には冷たい言葉が多いと感じていた母だが、
弟には優しい母親だったんだ!と気付いたことで、
今までのことが、
さーーーっと消え去って、許せてしまった。
他の人には理解しがたいかもしれないけど…。
母親らしさって、いまだによくわからない。
私の娘にとって私は、母親というよりは、友達のような感じかもしれないし、
意外と全然違うかもしれない。
息子には、どうだろう?
大変な時代があったけど、私と母ほどはこじらせなかったか…。
男の子ってのもあるのかな?
親を気遣って言わないことも多いかもしれないし、
まだ、この先何が起こるかわからないけど、
親とは?
他の人の描く親ってどんな感じだろう?
ドラマのようなものを想像したりしてる?
人それぞれ、かなり異なると思う。
私が長いこと悩んできたことも、
ある人からしたらとても幼くて、
きっと大したことではないんだろう。
でも、何かしら、親との事って、
大小はあるにしても何もない人なんていないと思う。
過去の事をnote に書きはじめてから、
ああ、あれはそういうことだったのかもしれないな…と気付いたりして、
少しずつ自分のなかのいろんな執着が薄れてきたように思う。
そして、母への気持ちも整理されて、
最近では、会うこともやっと重く感じなくなった気がする。
アラフィフでやっとこんな事を思うって、ねぇ。
でも、子どもの手が離れ、
落ち着いて自分の事を考えられる余裕ができてきた今だからこそなのかな?
私のタイミング。
最近、
仕事時間の長い日、
患者さんの集中する仕事終わりのころが体力的に
キツくなり、
上司に15分途中休憩をもらえるかお願いしてみたら
すんなりもらえることになった!
ただ、中途半端なこの時間、ゆっくり休める場所がなく…
イヤフォンで、お気に入りの音楽リストを聴いて過ごした。
それで、ものすごくリフレッシュした。
音楽の力!
活力がわく。
そして、仕事に向かう。
何とかまだ、頑張れそうかな~。
本日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。