ぺんぺんさんとDJ ERIKOとピギーズと私

「出会い」


私が原田夫妻と初めて会ったのは2022年8月28日。
大阪で行われたカンフーガールレコ発にピギーズが出演していたライブだった。

DJ HARADA=ぺんぺんさん

ライブの合間にひさし君と談笑していたら「DJはじまった!」と私を放置してDJを見に行ったり、皆が口を揃えて「今日のDJ最高!」と言っていたりで、私にとって非常に印象に残るDJだった。現に本当に素晴らしいDJだった。
ライブ後、ぺんぺんさんと談笑している時に私の伝家の宝刀「ピギーズ免許証」を出してワイワイしていたのだが、ぺんぺんさんがふと傍にいた女性に「これ見てみ。」と声をかけ、私はその女性に免許証を見せた。初対面3秒後である。その女性がぺんぺんさんの奥さんであり、DJ ERIKOだった。


「再会」


時は流れ2022年10月22日。
ピギーズが出演していた神戸での桃尻乱舞2022で私は原田夫妻と再会した。

この日、WIMPY'Sのアルバムのアナログ盤の初売りだったのだが、そのインサートにコラムを掲載しているのがぺんぺんさんだった。

ぺんぺんさんと結構じっくりお話しすることが出来た。年齢を聞き合って「同じ年だけど学年では1個違い」という名言が生まれたのはこの日である。人は何歳まで学年で計算するのだろうという人類最大の疑問にぶつかった記念すべき日である。

DJ ERIKOは当初私のことを覚えていなかったが「初対面で免許証見せられたこと無いですか?」と言ったら「あー!」と思い出していた。

お話してるうちに、そんなDJ ERIKOは90年代の関西パワーポップ~ポップパンクシーンをリアルタイムで体験しており、さらには自らの1998年の企画にピギーズを呼んだこともあるという、ただのレジェンドだということを知ることに。まだ私はDJ ERIKOという名前を知らず「ぺんぺんさんの奥さん」と呼んでいた。


「縮まる距離」


じっくり話して急激に距離の縮まった(と思う)ぺんぺんさんと私はSNS(旧Twitter/現X)で親睦を深めた。
ちょうどこの頃に私が始めたピギーズライブ情報探しに関して、DJ ERIKOが昔のフライヤーやファンジンをちゃんと整理して大事に所有していたものを、ぺんぺんさんが掘り起こして提供してくれたりしていた。

そこからも定期的にSNS(旧Twitter/現X)でやり取りをしていたのだが、ひさし君も交えてSNS(旧Twitter/現X)で談笑している時に、Las Señoritas Estrechasの7インチの話になり、ピギーズのライブ情報提供のお礼としてプレゼントしようと決意した。


「全てはここから始まった」


2023年2月4日。ピギーズ・ウインピーズ・オーバーコーツ・カンフーガール共同企画「POP GOES THE WEST!」で私たちは再会した。

この日はぺんぺんさんがDJ ERIKOに特に相談もせずに、勝手にDJ ERIKOの出演を決めたというとんでもない逸話があり。
DJ ERIKOのDJも、ぺんぺんさんに負けず劣らず素晴らしいプレイであった。

そして前述の約束のLas Señoritas Estrechasの7インチをぺんぺんさんにお渡しした。ぺんぺんさんはお礼として何かを差し出してきたが、アンテナ感度の高い(≒デリカシーの無い)私は、受取る前に何かを当ててしまうという、サプライズ潰しの才能のある私にとっては稀に良くあることをしていた。

この日も「ピギーズのライブに一人で来ている人に声をかけてしまう不治の病」を患っている私が声をかけた青年(あだっちゃん)は原田夫妻が既に関係値があったり、よくライブで見かけるなぁと思っていて原田夫妻と話していた女性が今でもライブでよく会う、神出鬼没の丹波の鬼こと、でんぷんさんこと、空手さんだったりと、新しい出逢いがたくさんあった。

ちなみに後日、DJ ERIKOが流していたレコードを整理していたぺんぺんさんが「DJ ERIKO、レコードの扱い雑過ぎる!」と嘆いていた件はめちゃくちゃ笑わせてもらった。


「ERIKOチャンレンジ」がはじまる。


前述のぺんぺんさんからのサプライズプレゼントは国宝級のものだった。
ぺんぺんさんがDJ ERIKOに「免許証の人にこれあげてもいい?」と聞いて「あーそうやな、ええよ」と許可が出たので、私の手に渡ったということ。

渡してくれたぺんぺんさんにはもちろんのこと、許可をしてくれたDJ ERIKOへの最大限の感謝を込めて「DJ ERIKOが知らないけれどドストライクと思われるレコードをサプライズでプレゼントする」ということを思いついた。
それが「ERIKOチャンレンジ」である。


「ERIKOチャレンジ」未遂


2023年4月5日。BEATNIK TERMITESの来日ツアーの大阪公演、ピギーズも出演しているライブ。ド平日の天気は雨。

ファンダンゴの前でみんなと談笑していたら、合い合い傘で向こうから歩いてくる原田夫妻の姿が。
私はこの日に原田夫妻が来るとは思ってもいなかったので、ERIKOチャレンジの準備をしていなかった。ERIKOチャレンジチャンスを逃した私は、心の底から悔やんだ。

今思えば、このままERIKOチャレンジを未遂のまま終わらせていたら、どれだけよかったであろうか。神のお告げだったのかもしれない。


「ERIKOチャレンジ」の時が来た。


2023年11月3日。SONIC SURF CITY来日ツアーの大阪公演、ピギーズも出演しているライブ。

この日は原田夫妻が来ることは事前にわかっていたので、遂に「ERIKOチャレンジ」が実現することが確実になっていた日だった。

私の持つすべての知識、いろんな背景を考えて、今の私に考えられる最大限でありベストオブベストのチョイスである。自信しかなかった。

私はカバンにプレゼントするレコードを仕込んで、ライブハウスの前で談笑していたら、原田夫妻が歩いてきたので、即座に「ERIKOチャレンジ!!」とレコードを手渡した。

DJ ERIKOはそのレコードを知らなかったが、ぺんぺんさんは知っていた。
私にとっての渾身の1枚。まさかそれを既に知っていただなんて思いもよらなかった。完全にぺんぺんさんを舐めていたことを思い知らされた瞬間であった。
それだけならまだしも、家に帰ってそのレコードを聴いたDJ ERIKOから
「好みじゃない」
との辛酸なコメント。

  • 全く知らないレコードを渡されて

  • 針を落としたら完全にドツボで

  • 感動!ビックリ!

というストーリーを脳内で構築しており、全国放送かつ何度も再放送するレベルの自信作が、音を立てて崩れ去った瞬間であった。
「ERIKOチャレンジ」は見事失敗に終わった。
勝手に知らないと思い込んで、勝手にドツボだと思い込み、勝手にストーリーを作り上げて自惚れていた私。己の未熟さをこれでもかと体感することとなった。
「今回がダメだったから次回再挑戦!」という気持ちにもならないほどに私の心は折れたのである。

ただ「ERIKOチャレンジ大失敗」という事実は、めちゃくちゃ美味しかった。


「YUKIチャレンジ」


2024年4月5日。DIRT BIKE ANNIEの京都公演、ピギーズも出ているライブ。

「ERIKOチャレンジ」のお礼にとぺんぺんさんが「YUKIチャレンジ」をすると言っていた。
そしてこの日、お渡しするとのこと。
ライブ終演後、ぺんぺんさんに「YUKIチャレンジ!!」とレコードを手渡された。

お気付きだろうか。
私はERIKOチャレンジを「ライブ前」に実行した。
ぺんぺんさんはYUKIチャレンジを「ライブ後」に実行した。

私のように「早く渡したい!伝えたい!」と熱量そのままに突き進む行動は、スピード感もあるものの、配慮に欠けていたり、それにより人を傷つけてしまうこともしばしばある。
今回でいうならば「自分の楽しみのためにライブ前に相手の荷物を増やす」という自分よがりの行動である。

しかしぺんぺんさんはライブ後に渡してくれた。ライブが終わるまで自分で持っていてくれたのだ。私はハッとした。いつまでも「永遠の17歳」とか言ってる場合じゃない。こんな大人になりたいと思った。

これが、デリカシーがあるかないかの差である。
これが、真のホスピタリティーである。

そんなことを思った直後、ぺんぺんさんは外国人観光客の女性の服に空手の文字が書いてあるのを見つけ、私のことそっちのけで、興奮してその女性と空手の身振り手振りを交えて話しだした。私にYUKIチャレンジのレコードの説明をしている時より、ぺんぺんさんのテンションは明らかに高かった。(原田夫妻は、お子さんが空手を熱心にやっているので、空手に対しての熱量が高い)

その姿を見て、まだ私もこのままでいいかな、と少し安堵した。

私信
ぺんぺんさんへ。
S.P.E.C.T.R.E.はオシャレすぎて、私の好みではありませんでしたw
ただその次のTHE BARTLEBEESがめちゃくちゃ好みで目ん玉飛び出ました!!
ありがとうございました!これからもよろしくお願いします!

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