Piggies Live Memories 1996-2001
あらすじ
2022年10月23日。全てはここから始まった。
私は「後世のピギーズファンのための文献として役に立てばいいな」というふとした思い付きから、ピギーズ再結成後のライブ情報をまとめた記事を製作した。
データが大好きな私。この記事を作った時に、手前味噌ながらなんという素晴らしいものを作ったのだと非常にいい感触を得た。
自分がおもしろいと感じることを思いついた時の瞬発力と行動力には定評のある私。
それからわずか3日後。勢いに任せ、事もあろうか「ピギーズ結成からの全てのライブ情報を探そう」と思い立ってしまった。
ピギーズ解散までの活動時期は1996年から2001年。まずはネットで情報を検索。ネットが普及していなかった時期でもあるため、ネットで得られる情報には限界があった。
次に、当時のいろんなバンドのリリースのブックレットに掲載されているフライヤーの画像や、中に入っているフライヤーなどで情報を探そうとした。
いくつかは見つかったが、当然限界はすぐに訪れた。
そして、当時の音楽情報誌のライブ情報コーナーに掲載されていないかと考え、1996年から2001年までのDOLL、インディーズマガジン、EATマガジンなど、思いつく限りの音楽情報誌をフリマサイトやネットで買い漁った。
しっかり管理しながら購入してはいたが、セット売りなどにより大量のダブりが発生したり、なぜかなかなか見つからない特定の号などを1冊数千円で購入したりなど、我ながら、後先を考えない素晴らしい(別名:呆れるほどの)行動力であった。
無事にピギーズの活動時期である1996年から2001年までの音楽情報誌を集めた。ただ、一人で探しているとつまらない、そして心が折れることは明白であった。
当時マチさんが行っていた「まいにちレコード」という企画を非常に興味深く、そしておもしろいと感じていた私。どんどん便利になっていく現代社会。しかし、どれだけ技術が発達しようとも、どれだけお金があろうとも、「今すぐに手に入れられることのできない」もの、それが「継続」。
「継続は力なり」の言葉通り、ピギーズライブ情報探しのついでに「まいにちDOLL」という形で継続的に公開をしていくことにした。
DOLL~インディーズマガジン~EAT MAGAZINEと進めていく過程で、ヒロッキーさんが「DOLLじゃなくてぴあ見たらええやん」と教えてくれた。
またトミさんが「Lマガジンにもライブ情報載ってたよ」と教えてくれた。
ぴあ関西版やLマガジンの入手をどうするか困っていた時に、アイダホさんが「国立国会図書館にないんですかね」と教えてくれた。
そして国立国会図書館での遠隔複写を駆使して膨大なデータを収集し、スタートしたのが「まいにちぴあ関西版」「まいにちぴあ中部版」「まいにちLマガジン」であった。
そこから1年以上に渡り、私は毎日せっせとピギーズライブ情報を探し続け、その様子を公開し続けた。
私の考えと美学
ピギーズライブ情報を探す上で、私が大事にしていたのが、
「拡散希望!ピギーズのライブ情報を教えてください!」というように
「不特定多数の人に向けて情報の提供を呼び掛けることをしない」
ということだった。
以下の動画を見て欲しい。
ある音楽フェスで、一人の男性が変な踊りをしている。はじめはみんな「変なやつがいるな」くらいで特に気も留めずにいたのだが、そこに1人の男性が加わり、2人で踊り出す。そこから3人、4人と増えていき、最終的には熱狂の渦となったという一部始終を撮影した貴重な映像だ。
ビジネスの世界ではファーストペンギン、セカンドペンギンなどとも呼ばれるこの現象。
この男性は、はじめから「みんな一緒に踊ろうよ!」というつもりは毛頭ないだろう。何よりも自らが楽しいから踊っていたのである。しかしそこに共感する人たちが集まり、たくさんの人を巻き込み、みんなで踊ってより楽しくなった、というものである。
私は、この現象が非常に美しく素晴らしいものだと考えている。そして、私自身が楽しみながら、私が好きなことでのファーストペンギンになりたいとも考えている。
そういう思いから、はじめから他力本願で「情報を提供してください!」ではなく、まずは自らの力の全ての注ぎ込み情報を探し、その姿を公開することで、共感してくれた方が自発的に協力してくれるような形にしたかったのであった。
これは私の美学でもある。
結果的に、私が思い描いていたように、たくさんの方々からたくさんの協力を頂き、ピギーズライブ情報探しはさらに捗ることになった。知り合いの方はもちろん、今までに関係性もなかった方から情報を頂いたりもしたことで、SNSの素晴らしさを知ることにもなった。また、SNS以外のオフラインでも情報を頂いたりもした。私の楽しさも飛躍的にアップした。
多大な協力を頂いた方々には、本当に心から感謝しています。未来のピギーズファンに代わり、私から御礼申し上げます。
しかし一番の目的である「ピギーズ結成からの全てのライブ情報を探す」を遂行するためには、「私の美学」とか言ってる場合ではなく、手段を選らばずにやらないといけないことも理解している。
不特定多数の人に呼びかけることで、ピギーズのライブ情報探しをしている人がいるなんて知る由もない方などにも周知してもらったり、自らは連絡はしないというような方々にも積極的にこちらから情報を引き出していく必要がある。1人だけの力では達成出来ないことは多々ある。次のフェーズはそこに手を入れていくことになる。
キッカケとなった「成仏」
前提として、私はこの「ピギーズ結成からの全てのライブ情報を探す」が完遂出来るとは思っていない。
元となる確固たるデータが無い以上、いくら集めたところで「もしかしたら抜け落ちているかもしれない」となるため、理論上100%完成することは無いのである。
完成しないことを悲観するのではなく、
・私のピギーズ情報探しは終わらない
・私は未来永劫ピギーズライブ情報探しを続けることが出来る
というポジティブな考えで進めている。
ある日、私はキタムンさんのお店に遊びに行った。
ピギーズのライブ情報探しをしていること、私のピギーズライブ情報探しは終わらないという旨を伝えた際に、キタムンさんが私に投げかけた言葉がある。
「成仏させてあげないと」
私の行動を手放しで肯定するわけでもなく、頭ごなしで否定するわけでもなく、自らの考えを端的に投げかけてくれたキタムンさん。今考えてもさすがとしか思えない。
基本的に私は頑固である。誰かに何かを言われても、私の中に確固たるものがある時は、早々に自らの考えを変えることはない。
しかし、他人の考えや意見などは基本的に積極的に聞く。まずは一度受け入れる。そこから吟味や取捨選択をし、納得した場合には取り入れるようにしている。もちろん、その時の自らの考えで「捨」を選んだ場合でも、いつか「取」になる可能性もあるため、そのまま自分の中に置いておく。
このキタムンさんに言われた「成仏」という言葉。
その時は私は「捨」を選んだ。
「成仏=終了」と考えた私は、未来のピギーズファンのためにここで投げ出すことは出来ないと考えたからだ。
「成仏」という言葉はずっと私の中にあった。
それから時が経ち、改めて脳内吟味会議の議題にあげたところ、
例えば成仏させたとしても、成仏させたものに思いを馳せることは出来るのではないか。
「成仏は一つの区切りでしかない」という答えに達した。
ちょうど国立国会図書館で遠隔複製を依頼し収集した「ぴあ関西版」「ぴあ中部版」「Lマガジン」の膨大なデータのチェックが終わり、次に収集するデータの目星がなくなった時、ひとつの区切りとして、ピギーズライブ情報をフィジカル化させることにした。
今の私が思う「成仏」の形。
それがこのPiggies Live Memories 1996-2001という冊子である。
冊子への思い
本冊子を製作する上で、最も重要視したのは「私の思いなどを一切排除したものにすること」であった。
イントロ・アウトロはもちろん、何かしらの説明や著者などもすべて排除し、純粋にピギーズのライブ情報だけを掲載したものになっている。
前述の通り、本冊子は一つの区切りであり、私の集大成となる作品ではない。そして私はまだまだやりたいことがある。
いつかいつの日かの集大成の私の作品が完成した際には、全ての思いを盛り込んだものにする予定だが、途中経過の作品である本冊子では全て削ぎ落とした。
作品の背景やそこに込められた思いなどには、様々な考え方がある。
① 作者の背景や思いを明確にしっかり伝える
② 作者の背景や思いをあえてマスクすることで、受け取り手の考察への余白を残しておく
私個人としては、大部分が①で、ある程度②があるという作品が大好きである。背景を知ることでその作品がもっと好きになり、そして考察も出来るというものである。
①を行わず②を行う作品も、作者の美学であろう。
②に関しては「特に何も考えられていない」場合も存在してしまうことで、全く異なった考察をしてしまうこともある。それもそれで楽しいのだが。
私個人としては、背景も伝えた方が楽しんでもらえるのではないかという思いがある。しかし本冊子自体には盛り込みたくない。濁らせたくなかったのだ。
色々考えた結果、「冊子には背景や思いなどは一切盛り込まず、冊子をOPP袋に入れ、OPP袋に本ステートメントへのアクセス可能なQRコードをシールで付ける」とした。
これにより、冊子自体への余分な思いや背景は盛り込まれず、本ステートメントは見たい人だけが見れるということが実現できると考えた。
OPP袋が紛失された場合でも、冊子自体は私の思い描いた形で残る、ということになる。
本冊子の配布について
本冊子は100部印刷、配布方法については「ピギーズのライブで手渡し」のみとすることにした。
私が認知しているピギーズ大好きでピギーズのライブに来ている方々には私から手渡しするし、もし欲しい人がいればピギーズのライブに足を運び、私に声をかけてもらえれば手渡しする、という形である。
ロビタンが製作した「ピギーズの帯」の配布方法と似ているかと思う。
ピギーズのメンバーは一切関わっていないので、物販においてもらったりなどをお願いしたり、欲しいけれどライブにはいけないという人に郵送なども行う予定はない。
これは、あくまでも現時点での考えであり、変わる可能性はゼロではない。
「冊子が欲しいからピギーズのライブに行こう」と思ってくれるような人が一人でもいれば、それはピギーズへの助けになるので、非常に喜ばしい事である。
しかし、もったいぶる気はさらさらないので、データ自体は公開する。
以下からプレビューで見ることも可能だし、PDFデータをダウンロードして印刷してお好きなように組み立ててもらえれば、冊子になる。
「プリンタが無い」という人は、コンビニのネットプリントなどを利用してもらえれば。手間暇かけたからこそ価値が出るものもある。
https://drive.google.com/file/d/107bfOIWt6YV-4PqrMT2O1euR0oP1lCW3/view?usp=sharing
上記データは実際に印刷をかけた冊子よりもデータの解像度を意図的に落としている。ライブ情報を見る分には十分ではあるかと思う。
やはり現物・オリジナルを所有している人が正義なのである。
最後に
前述のように、本冊子は完成形ではない。
誤字誤植もすでに発見しているし(致命的なものはなさそう)、新たなライブ情報が発見される可能性もある。
本冊子は一つの区切りに過ぎない。
私のピギーズライブ情報探しは、まだまだ終わらない。
・フライヤー
・雑誌やファンジン
・あなたの記憶の断片
1996~2001年のピギーズライブにかかわる情報があれば、ぜひ教えてください。
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