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ゲーム配信って、昔のゲーセンに似てるよね

時代の波に乗り遅れたな、と感じることがある。

ネットなどで話題になった当初は見向きもせず、後になって触れて、ああもっと早くから始めて話題に乗れば良かったと後悔すること。
例えば、ゲームで発売前から話題になっている新作や、ソーシャルゲームを始めとしたスマホゲームなど、私は話題になっても全く触れず、別のゲームを延々プレイして、おかげで時代の波に乗り遅れる。
まあ、そういうのを「時代遅れの人」というのだが。

そんな私が最近始めたのが「ゲームのライブ配信」。自分がプレイしている画面をネットにリアルタイムで放送して、多くの人に見てもらうこと。
歴史としては2000年代前半から始まって、PS4などのゲーム機では標準装備されるなど、誰もが自分のプレイを簡単に見せられる環境となっているが、それを今になって、私も初めて触れた。

これが、私のゲーム配信場所。TwitchとYouTube Gamingを使っているが、今はまだ、こういう配信をしようという方向性は決めていないし、テストを繰り返している状態なので観覧者も数名程度。

それでも、ゲームのライブ配信を始めて思ったことがある。これって何となく、80~90年代のゲームセンターに似ているなということ。


「見られている」から面白い

ゲームセンターと似ているのは「誰かに見られてる」という感覚だ。

ゲームセンターではゲームをプレイした時、その後ろで誰かがそれを見ることがある、ゲームを見物する「ギャラリー」が付くということ。

人のプレイを見る目的は、まだプレイしたことのないゲームの内容を知るため、ゲームを攻略する参考のため、自分にはできないような稼ぎやスーパープレイを鑑賞のためなど様々。
その中でも「鑑賞」は、ゲームをプレイしている側にとって「見られてる」という感覚や「自分の凄いところを見せたい」という想いがモチベーションに繋がったり、ゲームの腕を上げる理由の一つになることもある。
でも逆に、稼ぎに失敗したり凡ミスでゲームオーバーになったら恥ずかしい思いをする、その途端にギャラリーが減って、モチベーションが下がることもあったり。

この辺が、ゲームの配信と全く同じだと思った。

ゲームをライブ配信している時は、画面に鑑賞している人数が表記される、つまり「どれだけ見られている」を知ることができる。数字で人の動きが見えるのが、当時味わったギャラリーの動きとよく似ている。
それに対して、数字が上がるとモチベーションが上がる、ミスすると恥ずかしくなる、見る人がいなくなると寂しくなるなど、人に見られているという感覚は当時のものに似ている。

結局、ゲームは「人」が関わる

ゲームって、ゲームセンターから家庭用、そしてネットを使ったものへと大きく変化しているが、プレイヤーにとっては、誰かと一緒にプレイ することや見られることなど「人との干渉」が常にあるし、それにプレイが大きく左右される。
結局ゲームって、80年代から全く変わっていないというか、楽しむための根本は全く同じだと思った。

それとも、私が何事も過去の記憶と結びつけしまう「時代遅れ」の感覚だからなのか、何にせよ、当時からゲームを続けてきたものでも、今も似たような感覚でゲームを楽しむことができるのは、嬉しいことである。

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つかさん
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