猫ミーム
猫ミームというものが廃れてから、しばらくの時が経った。もはや覚えている人も少ないだろう。初めのうちはよかった。額面だけ見れば可愛い猫が音楽と共に踊る動画なのだ、それは癒されるに決まっている。だがその癒され時代はすぐに幕を閉じた。ネットに巣食うひどく猥雑な夢の記録を愛する者たちが、猫にスペルマをかけたのであった。こうして性の病理に犯された猫は、愛されていた民衆から打ち捨てられ、明日の餌すら得られぬ日々を過ごすことになった。
そう思っていたのだが、おれはこの前猫ミームを見た。その話をしよう。
おれは私立文系大学生で、その日は金曜だったのだが、講義は三時からの一コマだけであった。こんな日は何をすべきか。おれはすでにそれを決めていた。まずは朝の七時に起きるのだ。講義は午後からなのだから早起きをする必要はないだろうと思うだろう。しかしちがうのだ。パイプ足のデスクの傍らにコーヒーを置き、窓を開ける。すると窓からは労働に駆り出される歯車どもが駅に吸い込まれるさまが見える。おれはそれを見てモラトリアムにふけり、心の中でひそかに冷笑をするのだ。
その次は散歩だ。散歩。ヘヴィメタルを聴きながらテンションを上げる。心地よいギターリフがワイヤレス・イヤホンの奥から響く。高一の頃から続けているルーチンなのだ、いまさらやめられはしない。この胸の高鳴るようなドラムの音はメタリカの「イフ・ダークネス・バド・ア・ソン」だな。デレレンデレレンデレレン。やはりその通りだ。
そうしているうちにおれはある道に着いた。そこは並木道で、ジグザグになるようにベンチの置かれている、いくつかあるうちでも特にお気に入りの散歩ルートであった。おれはそこを進む。メタリカのギターリフ。デレレンデレレンデレレン。曲が終わった。その時だった。
全裸のジジイが、おれの右手側にあるベンチに座っていたのだ。ジジイのペニスは天を仰いでいた。するとジジイは立ち上がり、大の字になった。そうしてジジイは急に飛び跳ね、「はっぴー、はっぴー、はっぴー!」と言った。ジジイの表情はどこか物憂げで、キンタマはぷらぷらと揺れていた。
ジジイを無視し、おれは散歩を再開した。イヤホンから聞こえる曲はマリリン・マンソンの「ザ・ビューティフル・ピープル」だった。少なくともあのジジイは美しい人間などではないなと思った。曲が終わった。すると今度は、左手側のベンチでジジイとババアが話していた。この二人も全裸で、ジジイのペニスは勃起しており、ババアの乳首は立っていた。
ババアが言う。「ハンニャンミャアアンミャア」ジジイは理解しているのかしていないのか、「ミャア」と言った。
ババアは言った。「ミャウミャウミューハニワーミョウミョウニュ」ジジイはまた「ミャア」と言った。
ここまでの光景を見ておれは確信した。これは猫ミームなのだ。おれは果たして、この道をこのまま進んでも良いのだろうか?そんなことも思ったが、もっと色んな猫ミームを見たいと思い、おれは進んだ。
ペレレペレンペン、ペレレレペン。ワイヤレス・イヤホンからの音ではなかった。よく見ると、右手側のベンチの傍の空間が心なしか歪んでいた。あの奇妙な移動は、きちんとした法則として世界に受理されなかったのだろう。可哀想だが、仕方のないことなのだ。おれは歩みを止めなかった。
道を進んでいくと今度は左手側のベンチに全裸のジジイが座って新聞を読んでおり、そいつにヤギのような顔をし、腰ほどまである真っ白な髭を生やしたたジジイ──こいつも全裸だ──が何やら説教をしていた。
ヤギのようなジジイは新聞を読むジジイに対して、わけのわからぬ言語を用いて説教をし、それに対して新聞のジジイが「オメ何言ってんだべか?」と言うやり取りをおれが三回ほど繰り返して見たところで、ヤギのようなジジイが怒ったのかその場を去っていった。ヤギのようなジジイの顔は、どことなくおれに似ていた。
新聞のジジイはふんと鼻息を鳴らしたあと、「だからバルバロイはいやなんだ」と言い、新聞を読み直した。もちろん、ヤギのようなジジイも、新聞のジジイも、ペニスは勃起していた。ふとおれも自分のペニスが気になったので目をやると、勃起していた。
おれはこの奇妙な偶然性をひどく不気味に思ったが、意思が進むことを拒んでも、身体はなぜか言うことを聞かなかった。
おれは進む。道を進む。
次第に並木道が何もない光の道になっており、ワイヤレス・イヤホンからの音楽も聞こえなくなっていた。
そうしてどれほどの時が経ったのだろうか?おそらくとっくのとうに講義の始まる三時は過ぎていた。だがおれは道を進む。進む。進む。
ふと道の奥に一人の男が見えた。そいつは恰幅の良い中年男性で、そいつも今までこの道で見てきた人間たちと同じく全裸で、ペニスが勃起していた。
中年男性はペニスに手をやり、擦り始めた。
シコシコ。シコシコ。シコシコ。シコシコ。シコシコ。シコシコ。シコシコ。シコシコ。シコシコ。シコシコ。
イクー
そいつの顔はおれの顔だった。
気がついたときは既に時計は零時を回っており、朝デスクに置いたコーヒーはすっかり冷めていた。そしておれは一人の女と交尾しており、その中にスペルマを出していた。
「もし何かあったら、責任取ってよね?」
そう不敵に笑う彼女の笑みは、おれがあの並木道で見かけた乳首の立ったババアに似ていた。
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