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古色を出すための研究 その2

世相を考えながら

 現在、制作中のフォトストーリー仮題『スクエア』で、1972年と設定した場面があります。その時期に撮影された設定の写真が、ストーリーのなかで重要な役割を演じるのです。なので、古色を出すために、さまざまな研究を日々積み重ねております。

 フイルムしかなかった頃の写真は、かなり贅沢な趣味でした。デジタル化以降とは、ランニングコストが全然違います。フイルム代のほか、現像にもプリントにも費用がかかりましたし、金銭だけでなく、ラボに現像に出して仕上がるまでの時間的コストもかかりました。だから一回シャッターを押すごとの重みが、いまとはまったく異なりました。そういう時代相まで含めて再現したいので、さまざまに工夫しているところです。

モノクロからカラーへ

 フイルムからデジタルへの切り替わりは、まさに革命的な出来事でした。おそらく、それと同じくらい画期的だったのがカラーフイルムの普及だったことでしょう。
 モノクロの場合、よほどの大失敗でないかぎりプリントする際の焼き方で再調整が出来ます。また、画面の一部分だけ露光を減らす「覆い焼き」などプリント技法で撮影時の失敗を補うことができました。
 カラーの場合、まずもって自家現像が出来ません。増感や減感など特殊な処理も出来なくはないけれど、それをやって貰えるプロラボの玄関をくぐることは、アマチュアにとってはハードルが高いことでした。
 ちなみに減感とは何かというと、ISO400のフイルムを詰めたのにISO100のつもりで撮影してしまった場合、二段分の露出オーバーになります。それに気づいたら撮り終えたフイルムに識別用の番号を書いておき、現像するとき二段分の減感を指定するわけです。
 増感は、その逆です。現場に高感度フイルムが無い場合には、とりあえずISO100のフイルムを詰めてISO400の設定で撮影、現像に出すときに二段分の増感を指定するというような使い方をしました。
 カラーフイルムが一般家庭のスナップ写真にまで普及するのは、1970年代後半くらいだったと記憶していますが、アマチュアはネガフイルムを使って撮ることがほとんどでした。およそ二段分くらいの露出オーバーやアンダーだったら、プリントする際にラボの方で勝手に補正してくれて、撮った人は露出決定の錯誤に気づかなかったことと思われます。ポジフイルムの場合は寛容度(ラチチュード)が低いので、露出決定の錯誤はモロに出ます。それゆえ、あえてアンダーにしたり、オーバーにしたり、そういう高等な表現をするのにはポジが適していたのでした。無難に撮るならネガ、表現を究めるためにはポジという具合に役割が分かれていました。

70年代に営業写真館の新米助手が撮ったという設定で

いろいろ加工してあります

 カラー写真が普及した初期段階に営業写真館の助手になった19歳の青年が練習のために自分の妹を撮ったという設定の写真です。営業写真館のカメラですから中判6×6(ロクロク)で、決まり切った日の丸構図じゃないと逆にオカシイので、そのように撮りました。営業写真館で使うのはネガフイルムなんですが、練習のため露出決定がシビアなポジを使っているということで近距離からレフで光を起こしています。基本的には新米なのでヘタクソだという風に見せたいけれども、背景のソメイヨシノの花を白飛びさせないのは写真館で叩き込まれた真面目さの現れです……という具合なんですが、如何でしょうか?
 ほかに意識したのは、撮影者と被写体の関係性です。兄と妹ですから恋愛感情はありませんし、兄に対して媚びた表情はしないでしょう。撮る側からしても「肉親の情」こそあれ、妹に対する執着は無いという設定です。
 練習ですから、記念撮影っぽくキッチリ撮らなきゃイケナイのでしょうが互いに肉親を相手にしてますから、ついつい緊張感を持続させられず緩んだ表情になった……みたいな表現のつもりです。

2023年3月撮影

 無加工だと、まるっきり現代の撮影だという印象です。

順光でカッチリと

敢えて棒立ちして貰いました

 営業写真館のカメラマンが屋外で集合写真を撮る場合、ほぼ全ての場合で順光です。並んだ人たちの誰かがピンボケにならないよう、絞れるだけ絞る撮り方をします。その練習のために撮った設定ですから、順光でカッチリと撮りました。この場合、人物はピント合わせの指標みたいなものですから、なんら作為のない棒立ちです。モデルのたかはしまいさんは、本来は躍動感あるポージングが得意な人なのですが、昔の人を演じるために、ずいぶんと温和しくして貰いました。

オールドレンズとフレア

むかしは失敗と看做されたフレア

 ハッセルブラッド500C/Mの標準レンズを、アダプターを介してニコンのフルサイズ機につけて撮りました。なにせ古いレンズですから、このように画面全体を白っぽくしてしまうフレアという現象が発生しやすいのです。
 原因は、レンズに入った光が内部で反射することです。これを防ぐためにレンズフードを装着したり、斜めに射し込んでくる光を画角の外側から遮るハレ切りをしたり、いろいろ手段がありました。むかしは、そうした手段を尽くさなかった結果がフレアであり、フレアが起きた写真は失敗と断じられました。いまはレンズの性能があがり、フレアの発生は抑えられています。そうなると、フレアはオールドレンズならではの表現手段というように評価されはじめています。個人的には、わざとフレアやハレーションを起こして面白がるのは悪趣味だと思っていますが、過去の写真であるかのように演出するうえでは、有効な表現手段ではあります。そんなわけで、好きではない撮り方ですが、わざとフレアを起こさせてみました。しかし、肝心の古色を出すという目的には適っていないようで、むしろ現代的な写真表現に見えてしまいます。うーむ。

 ともあれ、フォトストーリー仮題『スクエア』の人物が登場する場面は、あと一回の撮影で終わる予定です。

現代を幸福に過ごしているヒロインです

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