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モダニスト作曲家ニールセンのフルート協奏曲

カール・ニールセン(1865-1931) というデンマークの作曲家をご存知でしょうか。

彼の地では広く知られていて、文化人代表としてデンマークの100クロナー紙幣の図柄にも選ばれています。

同じ北欧フィンランドのジャン・シベリウス(1865-1957) と同年生まれ。同じ頃に作曲家を志し、交響曲の作曲家として生きた作曲家。

ニールセンの最後の交響曲第六番は、示し合わせたかのように、シベリウス最後の交響曲第七番と同時期に作曲されます。

ニールセンは最後の交響曲の数年後に亡くなりますが、シベリウスはその後三十年以上を生きて(九十二歳で天寿を全う)、第八番交響曲を模索してほぼ完成させたらしいにも関わらず、発表を断念して総譜を炉にくべて全てを灰にしてしまったと伝えられています。

いずれにせよ、ニールセンとシベリウスの作曲家人生はどことなくパラレルな関係にあるというのは興味深い。

最後の交響曲以外の交響曲もそれぞれ等式に発表されていたりするのにお互いが出会うことがなかったらしいのは、どこか同じ狭い街ウィーンに住みながら一度しか会わなかったらしいシューベルトとベートーヴェンのようです。

第七交響曲の後に筆を折ったかのように空白となったシベリウスの晩年の三十年は、新しい時代の音楽にもはや作曲家が共感や理解を示すことができなかった帰結ゆえでした。ニールセンは新しい時代に足を踏み入れながらも新たな地平が見えた時点で退場しましたが、シベリウスは新しい世界で行くべき道を失ってしまったのでした。

調性音楽の終わり

数百年の伝統を誇った西洋音楽は第一次大戦を境として、音階の中の十二の半音の一つを特別な音として定める調性音楽を否定して、中心となる音のない無調の音楽の世界へと足を踏み入れます。

調性音楽とはドレミファソラシドのある音を基準の音として定めて、そこからどんなに離れても最後には元の音に戻ることで落ち着くという音楽。ハ長調というのは、ドレミのドの音を主音を定めて、主音に五度の関係にある、対象的な響きを作り出すソやファの音との対比を強調した音楽。音楽が展開して主音ドから遠くに離れていっても最後にはまた主音のドに戻ることで音楽は落ち着きを取り戻し完結するのです。

現在今も愛されている映画音楽を含めた大衆音楽は、全て古い技法とも呼べる調整音楽に基づいて書かれています。

ですが、こうした音楽の可能性は二十世紀初頭に極め尽くされ、進歩と発展を旨とする西洋音楽は新しい可能性を調整の否定に求めます。

調性音楽はどんなに斬新なハーモニーを駆使しても、対比の響きである五度の和音の関係に基づいて書かれていて、主音からどんなに遠くに離れてしまった音楽でも重力の働きのように主音に帰るのです。ジャズでお馴染みのII-V-Iのコード進行はまさにそれ。

でも芸術音楽はこれを古い技法として、別の道へと進んでゆくのですが、五度の関係に基づかない音楽は曖昧模糊となるか、耳障りな不協和音となるのです。耳障りさは西洋音楽の心地良い強弱ビートの繰り返しさえも否定して、まさに芸術のための芸術、聴き手には不安しか感じさせない音楽へと西洋音楽は変わってゆくのです。

第一次世界大戦を境にして

奇しくも1914年に過去数百年間の植民地主義の矛盾が爆発して勃発した第一次大戦は世界を未曾有の危機へと陥らせたのでした。

しかしながら、近代兵器のためにこれまでにない悲惨を世界は経験して、その不安の時代を体現する音楽として不協和音と歪なメロディ、攻撃的なリズムの音楽は芸術音楽の世界に認められてしまうというアイロニー。

分岐点は1914年から1918年まで世界中の国々を巻き込んで続いた第一次大戦なのでした。

第一次世界大戦の前戦
塹壕が掘られて兵士はそこに隠れて撃ち合い、ときには戦車とも直面する

第一次大戦ののちのありとあらゆる人間の手が作り出す芸術文化は変容することを強いられたのだといえるでしょう。

こんな悲劇的な戦争はこれまでなかった
大戦以前の戦争は職業軍人の戦いでしたが、
第一次大戦は国民全てを巻き込んだ総力戦となったのです
皮肉にもこういう事態と時代を的確に表現した音楽が調性の壊れた音楽だったのです

建築家は機能美を重視した建造物を志向して、文学者では危機的世界の不確かさを表現し、画家たちはキュビズムやフォーヴィスムといった伝統的な美を排除したような作品を創作し始めるのです。

そうした芸術的傾向が本格化したのは1920年代。

ちょうど我々の生きている2023年の100年前の出来事。これらの文化運動はモダニズムと総称されます。

モダニストな住居
住まいはまさに箱そのもの
機能美の極み

モダニズム音楽とは

さてようやく冒頭のニールセンです。

ニールセンは新しい時代を体現する音楽として、モダニズム音楽の可能性を極めてゆきます。ゆえに後世の我々にはモダニズム音楽の代表的な作曲家として知られています。

モダニズムの作曲家には他にも、ハンガリー出身でアメリカで不遇の中で客死したバルトークや、斬新なリズムと響きを古典的な形式の中に封じ込めたプロコフィエフ、フランス五人組のミヨーやオネゲル、モルダヴィアのオペラ作曲家ヤナーチェク、そして過激なリズムの饗宴であるバレー音楽「春の祭典」のストラヴィンスキーなどがいます。

絶対的無調音楽という新時代の究極の音楽を理論化するするアルノルト・シェーンベルクと彼の弟子たちももちろん同じ潮流から出てきた人たちでした。

ニールセンはこうした時代の洗礼を受けた作曲家として、新しい時代の不協和音の音楽を生涯をかけて追求してゆきます。

ですが百年後の現在において、ニールセンを始めとするモダニズムの作曲家はもはやコンサートホールで持て囃される作曲家たちとは言い難い。

耳に不快で衝撃的な音楽はやはり娯楽として聴くには、一部の鍛えられた鋭敏な耳を持つ人たち以外には楽しくはないからでしょう。

フィンランドのシベリウスはそうしたモダニズムに背を向けた人でした。

新しい音楽を同様に探しながら教会旋法などの手法を取り入れた交響曲を作るも時代遅れの音楽だと作品に烙印を押された彼は、余生の三十年の沈黙の中で過ごして密かに書いていた第八番交響曲を破棄したのでした。

似たような感じでモダニズムに背を向けた作曲家に亡命ロシア作曲家ラフマニノフがいます。古い殻の中で創作を続けた彼の作曲は現代において誰よりも人気のあるものとなっています。

時代に淘汰されて本当に人々に愛される古典となったのは、時代遅れな音楽の中にあえて留まったがゆえに時代遅れだと当時は過小評価されていたシベリウスとラフマニノフだったとはアイロニカルですね。

時代の潮流モダニズム音楽の代表者ニールセン

国民主義者として母国フィンランドのローカルカラーを打ち出す音楽を描いたシベリウスと違い、モダニズムというグローバルな音楽思潮に身を委ねたニールセンの音楽にはシベリウスのような抒情がほとんどない。

ニールセンを聴いても、グリーグのようなノルウェー情緒やシベリウスのフィンランド情緒はどこにも感じられないのはニールセンの音楽が意図的に無国籍な音楽だから。

綺麗なメロディが少しばかり出てきても、美しいメロディを描くことは禁忌なのだと言わんばかりにすぐにメロディは歌えない歪な響きに変容するのです。

ニールセン音楽を特徴づける強烈なリズムも気持ちのいいものではない。

複数のティンパニをふんだんに使って暴力的なリズムが躍動する彼の交響曲は一部に熱狂的なファンを生み出したのは事実でしょうが、メロディに歌える要素か皆無で美しいハーモニーも敢えて使わない彼の音楽は決して人気曲にはなり得ないのです。

ロックやヘヴィメタルなどのビート音楽を愛される方にはウケる音楽なのかもしれませんが、伝統的なクラシック音楽を愛する人たちには決してメジャーな音楽にはならない音楽。それがニールセン。

モダニズムという二十世紀の大いなる芸術的実験の遺産なのだけれども、わたしはTSエリオットの詩はミュージカル「キャッツ」の元ネタとなった子供のための詩にしか興味ないし、ジョイスは下品だと思うし、カンディンスキーやピカソのキュビズムやマティスのフォーヴも好まない。

この頃のピカソで唯一面白いと思うのは「三人の楽師 Three Musicians」と題された一枚だけ。音楽家というよりも楽師という訳が好きです。

モダニズム運動真っ只中の1921年の作品。

3Dなピカソの「三人の楽師」

きっと自分が音楽をする人間なので、テーマが馴染み深いからかもしれないけれども。

ピカソの絵の中の彼らが演奏するにふさわしい音楽はやはりモダニズムのニールセンやミヨーやストラヴィンスキー、またはその頃急速に発達を遂げたジャズでしょう。

次のたった一分間の動画、二次元で三次元を表現しようとしたピカソの名作を立体化させた楽しい試み。

車のタイヤでトランペットをペッタンコにしてオブジェにしてしまうのはプロジェクトへのすごい意気込みと遊び心を感じさせてくれます。

その昔、銀河英雄伝説というアニメのBGMに採用されたのは代表作の交響曲第四番のフィナーレ。戦争映画のBGMとしてはとても優秀な音楽。ニールセンをこの場面に使ったことは非常に意義深いと言えるでしょう。

第四交響曲 (1916) と続く第五交響曲 (1922) は第一次世界大戦の暗い影が反映された音楽なのだと言われています。

まるでティンパニ協奏曲のように競争する二台のティンパニ。モダニズム作曲家ニールセンの真骨頂でしょう。

フィナーレ全曲はこちら。

第四番はクラシック音楽界の帝王と呼ばれたベルリンフィルのカラヤンの録音を通じてクラシックファンに知られるようになりましたが、カラヤンを持ってしても、ニールセンの音楽は大人気にはなりきれなかったようです。

カラヤンのライヴァルと見なされたアメリカの大指揮者バーンスタインは第三番交響曲と第五交響曲をニューヨークフィルと1960年代に共に録音しています。大変な名演ですが、バーンスタインの録音としては人気はあまりないようです。

そもそもニールセンなんて作曲家、デンマーク人以外ほとんど誰も知らない。

そんなニールセンなのだけれども、最晩年に管楽器のために協奏曲を作曲しました。

管楽器奏者五人のための室内楽が人気を博して、それぞれ彼らのための協奏曲を書くことを思い立ったのです。

作曲家が途中で他界してしまったために五曲全部は完成されず、クラリネットとフルートのための二曲だけが結果として遺されたのでした。

管楽器のための音楽を複数完成させようと最晩年に取り組んで完成できなかった作曲家には、他にクロード•ドビュッシーとカミーユ・サン=サーンスがいるけれども、いずれも二十世紀初頭のモダニズムの時代でした。

音楽から旋律性が失われて、過激なリズムがもてはやされた時代に旋律楽器である管楽器が注目されたのは少しでもモダニズム音楽を聴きやすくさせようという試みだったのでしょうか。

フルート協奏曲 (1926) にもモダニズムの要素はもちろん健在です。

歌う楽器であるフルートが主役にしてはスタッカートがあまりに多用されてモダニスティックですが、それでも楽器がよく鳴る歌が時々挟まれていて、フルートの音色の美しさか最大限に味わえるのです。

オーケストラパートは彼の交響曲を彷彿とさせる打楽器的な響き。でも小編成で室内楽的と言えるでしょう。

わたしはニールセンの音楽はあまり好きではないのですが、自分がフルート吹きということもあり、この曲にだけは親しんでいます。

先日コンサートでこの曲に偶然出会えて、初めて実演で本格的にこの曲を目の前で聴いて、ニールセンの音楽を少しばかり見直しました。

三楽章ではなく二楽章構成の二十世紀モダニズムな作品だけれども、フランスのジャック・イベールのフルート協奏曲と双璧となるフルートのための協奏曲の名作でしょう。

モダニズムでもやはり音楽は歌を忘れてはいけないのだとそう思わせてくれたのでした。

残響たっぷりなコンサートホールに朗々と鳴り響くフルートは本当に美しい。

オルガンでもピアノでもヴァイオリンでも、この澄み切った音色は決して再現できない。名手の音の中に溢れているヴィブラートたっぷりな響きがわたしの耳を虜にしました。

フルートのコンサート、とてもいいですよ。コンサートホールでないとあの豊かな倍音は決して体験できない。録音には絶対に入らないものですから。

機会があればフルートのコンサートに足を運ばれてください。

歌う楽器のフルートなのだから、
もっと四分音符や二分音符でも使って
もっと歌えばいいのに
音符はひたすら細かい音ばかり。
でもそれだからこそ、
ときどき現れる伸びる音が非常に印象的に感じられることも事実
中期のヴァイオリン協奏曲よりも
ずっと簡潔で
より歌心に溢れた洗練された書法で
書かれている傑作

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