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言葉を話すための舌: TongueとGlot
面白いYoutuberを見つけました。
日本語とトルコ語を母語とされるRuriさんです。四つの言語を自由自在に駆使される彼女は、ご自身を
Polyglot
と自己紹介されています。
多言語話者とは
Polyglotという言葉、ご存じでしょうか?
言語学に興味があるわたしには既知でしたが、英語ネイティブでも日常的に使う言葉ではないですね。
Polyはたくさんという意味。Polynesiaは「たくさんの島=nesia」という意味。Polytheism は「多神教」。Polygamyは「一夫多妻」。
Glotはギリシア語で「舌」、そこから言語という意味となり、Polyglotは、たくさんの言葉(舌)を持つ人、多言語話者を意味します。
Glotという言葉、英語では他に関連語はあまりありませんが、言語学用語で、Glottalという「声帯を閉じる音」という意味の言葉に関連しています。これについては別投稿で詳しく解説します。
英語を喋れるようになるとは、英語の音を発声できる舌や口の筋肉を鍛えることだと実感していますので、この言葉の含蓄の深さをかんじずにはいられません。
たくさんの舌を持つという意味のPolyglotは、「たくさんの言語を喋りわけるための舌」。
喋ることに特化した多言語話者といった感じですね。
言葉とは舌から生まれる
日本語の音は喉から出す音で作られることがほとんどで、その証拠に口の形を変えなくても、アイウエオと言えてしまうほど。
日本語ばかり話していては発声における舌の重要性を気がつきにくいのですが、舌三寸や二枚舌という言葉もあります。日本語では良い意味に使われませんが。
舌が言葉を作るのです。舌の微妙な動きが外に向かって出てゆく息から作られる音を左右するのです。
中国語は舌で喋るとも言われますし、英語の音は舌の動きによって作られることがほとんど。だから、言葉とは舌そのものという考え方ですね。
Mother Tongueとは母語。Watch your tongueは口を慎めですが、文字通り、舌に気を付けなさい。A fluent tongueで雄弁。
Multilingual という言葉もありますが、マルチリンガルでは、学者さんが何ヶ国語もの文献を読みこなせるといったニュアンスを匂わせます。
スラスラ読めても喋れない人はかなりいるものです (喋れるつもりでも、喋る練習をしていないので、きっと喋ると相手には理解されません)。
日本人で英語をよく読みこなす人がいますが、喋ると気の毒なほどにカタカナ英語というようなことがよくあります。わたしはそういう方にたくさんお会いしました。読めても喋れないなんて普通なこと。
こういう人は残念ながら、Polyglotとは名乗れません。でも古代ギリシア語やラテン語ならば、読めるだけで十分。喋る言葉としては死語だからです。そういう欧米人に日本人の語学に深く通じる方は似ているのかも。
B2レベルの語学力
トルコ在住のRuriさんは、トルコ語と日本語を母語として、その上にドイツ語と英語までB2レベルというヨーロッパでの言語能力を示す基準に達せられたのです。動画をご覧になれば実力の程を知ることができます。
B2とは、ヨーロッパ連邦のCommon European Framework of Reference for Languages (CEFR) という基準で、下からA1, A2, B1, B2, C1, C2という中の基準。上から三番目で、これだけできると大学入学できるし、就職も一応できるレベル。
日本で人気のTOIECとの比較が以下のMapping Tableによって可能です。
B2でTOEIC800点くらいでしょうか。このくらいあれば、英語ならば英語の国で英語を使う仕事に就くことは可能なのでしょうか。わたしは大学で英語で仕事して二十年ですが、こういう資格は取ったことはありません。
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このB2レベルに、ドイツ語と英語の二言語で達せられたとは脱帽です。その上に母語の日本語とトルコ語というわけです。
彼女の英語動画をいくつか聞いてみました。全ての連結子音を母音を交えずに、きちんと発声している綺麗な発音でも、言い回しやイントネーションがネイティブでないことがわたしには微笑ましい。
ご本人もPronunciation(発音)という言葉を、カタカナで書くところの、プロナウンシエーションと喋ってしまうと正直に語っておられます。動詞のPronounceを引きずってしまっているのですね。こういうことは英語学習者にはよくあることです。正しくはプロナンシエーション(カタカナにすると笑えます)。
彼女の英語はとても流暢ですが、すぐにネイティブではないと分かります。
英語の国に住んでいないで、インターナショナルスクールにも通わないで、BusuuやITalkieなどの有料のオンライン講師を活用してここまでのレベルになられたそうです。
語学習得のためには、もっとアウトプットを
彼女はかなりの数の動画を作成されていますが、言語能力の獲得には、アウトプットがもっと必要だと口を酸っぱくして主張されています。
つまり、学校での語学は、読むのと聞くことが中心。つまりインプット過剰。アウトプットが全然足りない。
初学者は確かにインプットが圧倒的に必要ですが、基本文法を学ぶなど基礎を終えたならば、それ以上を身につけるには絶対にアウトプットがもっと必要。
語学の場合は、「喋る」そして「書く」という訓練が必要なのです。
読書をしても、読みっぱなしでは読んだ内容は自分の脳に吸収されずに忘れてしまいます。でも読んだ内容を人に語り、書いて伝えることで、学んだ知識や情報は身につくのです。このアウトプットがないといけない。
このことを以前、漫画のヒストリエを引用してこちらで語りましたが、
語学においては、ほとんどの人が絶対的にアウトプット不足なのです。
わたし自身もこういう事実を痛感して、知らない分野における英語語彙を増やそうと、英語ブログを書いているくらい。
読むのは一人で出来るけど、アウトプットは一人ではうまくゆかないことが多いからです。
文系人間のわたしは、音楽や芸術や歴史といった分野ならば、上記のCEFRのC1レベルで英語を駆使していると言えそうですが、医学化学物理数学など理系の言葉には普段出会わないので、苦手です。最近は法律用語に親しもうと努力していますが、理系用語はますます難しい。
病院にゆけば、全然知らない単語だらけです。英語は医学用語がめちゃくちゃ難しい。ラテン語やギリシア語による合成語だらけですから。読めても発音が通じないこともあります。
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これらはほんの一例です
高校生の息子が理系専攻で、理系分野を学んでいますので、彼と一緒にそういう知らない分野について英語で学べるのは楽しいことです。
日本語で理解できても英語で学んだことはなかったからです。先日は火山噴火の仕組みを息子と一緒に勉強しました。知らない言葉ばかりで本当に勉強になりました。
一緒に勉強して語り合う。これがインプットをアウトプットに変える私たちのやり方です。
語学の場合はある程度まで行くと独学でもよさそうですが、コミュニケーションの手段である言語の場合は、誰かからのフィードバックが絶対不可欠。
どこがおかしいのかわからないままでは裸の王様のようなもの。自分はよくてもどかおかしいのか分からないのです。
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誰も指摘してくれないならば、間違ったアクセントでずっと喋り続けてゆくことになります。裸なのに気がつかないようなものです。
わたしは口の筋肉を鍛えるために一日三十分ほどの英文を音読していますが、時々英語の先生(同僚)に自分の音読を録音したものを聴いてもらっています。
フィードバックは本当にためになります。
アウトプットを独りよがりにしないこと
英語ネイティブはあなたの英語が多少間違っていても、英語の先生でないかぎり、あまり間違いを指摘してくれることはありません。
会話においては意思疎通できれば良いからです。アクセントがおかしくても文脈から理解できてしまうのです。親切な英語話者はあなたのアクセントの癖を逆に学んで好意的に間違ったアクセントや発音を理解してあなたを理解してくれる!?
だから上級者になりかけくらいの人の英語の上達が滞るのは、誰か間違いを指摘してくれる人がいないから。長年英語を使っている人でもいつまで経っても英語発音がおかしいままなのは、誰もそのおかしな発音を正してくれる人がいないから。
英文を山ほど書いても書けても、書いたものを添削してもらう必要があります。おかしな部分を指摘してもらえないとダメなのです。そして全ての英語を喋れる人が外国人に英語を教える能力を持ち合わせてはいません。おかしいと言えても、どうやって相手のおかしい発音を矯正する方法を知らないからです。
AudibleやNetflixで英語の音に浸り切るのもいい。でもそれもあくまでインプット。インプットされた内容をアウトプットしないと本当には身につかないのです。
Ruriさんはそれを理解されていて、オンライン講師を利用して新しい言語を学ばれました。動画の作成もアウトプットため。素晴らしい。
英語でアウトプットすると、あなたの知っている英語語彙の中の受動的にしか使われない語彙が、能動的な語彙になるのです。
PassiveだったVocabularyは、Activeなものとなり、会話や書き言葉として使えるようになるのです。
彼女の動画を見て、わたしの中で、これまで非日常語だった言葉、PolyglotはActive Vocabularyの一部になりました。こうしてNoteにも書いたし笑。
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英単語をたくさん知っていて読めても、
英作文や英会話に使えないのならば、多言語話者とは言えないのです。
インプット過剰の克服
Active Vocabularyを増やしてこそ、真の外国語話者です。読めるだけ聞けるだけでは不十分。
わたしは日本語ネイティブであり、かなりの量の本をこれまでに読んできました。ですが、わたしの豊かな読書経験もインプット過剰でした。
つい数年前にブログを始めて毎日日本語で書くようになって、アウトプットする方法を見つけました。それ以来、わたしの読書も変わりました。
一冊一冊への理解と愛着も深まるようになり、また書く能力も上達、つまり読んでくださる方に理解される文章を書けるようになりました。日記という独りよがりではない、誰かのために読んでもらえる文章を書くようになって、わたしのアウトプットは変わりました。
読んだ内容を自分の言葉で説明できて初めて、自分の知識になったと言えるのです。
新しい英単語も熟語も、実際に使ってみて初めて、自分の血肉となります。
語学の場合は誰かに添削してもらう発音やアクセントの間違いや癖を指摘してもらうことが大事です。
今回はRuriさんから語学学習におけるアウトプットの大切さを再認識しました。外国語に関してはいつまでも謙虚に学び続けないといけませんね。
独学には限界がある。
人は誰かと生きてこそ、人らしくあることができるのだと今更ながら思います。学び続けることは誰かのためでもあるのですから。
アウトプットし続けよう
独学による唯我独尊、そんなものは何の役にも立ちません。
「徳は孤ならず」。
学んだこと体現したことを語り伝えることで、我々の世界は成り立っているのです。そのためのnoteでもあります。
わたしが書いた言葉が世界中のいろんな土地の人の元へ届くといいな。そんな思いで今日もアウトプットしています。
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