阿南市の交通、大転換!
阿南市はこれから、高速道路の時代を迎えます。これが従来の富岡や沿岸部の交通優位性にどのように影響を与えるのでしょうか。データで見てみましょう。
道路交通
内陸にできる高速道路と、沿岸部でそれに相当する道路。それらの需要・交通量はどのようになるのでしょうか。
阿南市にいると 表舞台 のような印象の強い富岡・見能林あたりの平野ですが、国の調査では、津嶺山の東側を走る阿南道路よりも、津嶺山の西側の長生町を走る高速道路(桑野道路)のほうの交通量が多いと予測されています。
それより南の福井道路となると、さらに差が顕著です。両道路は近接しているため、高速道路を使わない理由を探すほうが難しいでしょう。
高速道路の開通以後は、橘や津乃峰、見能林の住民は、県南に向かう場合、内原町の桑野インターチェンジに向かうことがスタンダードな考え方になることは間違いありません。
例えるならば、日和佐道路と、それが完成する以前の旧道である国道55号の現状のような関係になると思われます。
鉄道の終焉
富岡のまちができた背景を探ると、富岡駅(現在の阿南駅)の存在が、大きい役割があります。同駅の完成前は周囲には田んぼが広がっていました。駅を前提にした町なのです。
廃線の議論が出ているなど、牟岐線は現状ですでに役割を終えていますが、高速道路がトドメを刺すと言っていいでしょう。
徳島駅から阿南駅まで列車で移動する時間で、高速道路なら美波町日和佐の薬王寺に到着してもまだ時間が余るようになります。これを体感した人が鉄道を依然として使うでしょうか。
高速道路は標識が示す70キロメートル等の速度でこの予測ですから、実際の流れはさらにやや速い移動時間の実態がみられることでしょう。
というとよく、この高速道路は無料であるから、地元の軽トラなどが遅い速度で走行して速度低下するだろうという意見がありますが、日和佐道路や徳島自動車道などの実態をみると、仮にそうした場合であっても、標識の速度を下回るのは稀であり、そこまで頻発はしません。一般の人が過剰速度を求めすぎている とみるのが正解だろう。
阿南駅を中心とみて、駅周辺を前提にしたまちづくりは、もはや成立しない。阿南駅のまわりをいくら再開発しても、焼け石に水である。
かつての昭和の商業の勢いの再興を、とノスタルジー全開でいろいろ模索する動きは全国各地でみられる光景であろうが、それはもう絶対に不可能な願望であることは数字を見れば明白だ。まして富岡はこの立地だ。富岡天下は、昭和の鉄道時代の一過性だったのである。
富岡・沿岸部重視 本当に必要か?
阿南インターチェンジから徳島沖洲インターチェンジまで行く時間と、富岡の阿南市役所まで行く時間が同じになります。
阿南市内陸部や徳島県南部にとっては、あえて富岡に向かう優位性はなくなり、中心拠点すら富岡でなくてはならない必要性はなくなると言っていいでしょう。
同じ買い物をするのでも、選択肢の多い徳島市方面に行くことを選ぶのが普通の人情だと思われます。もともと徳島都市圏は阿南市も含まれています。道路整備が十分に整った他県では、徳島市と阿南市程度の距離であれば十分に、一体化したエリアとしての消費行動、経済活動がなされています。
結果的に徳島市の商業は、県南部に商圏を拡大して成長するとともに、これまで広く県南部から集客していた富岡の商業の客足は減少し、富岡や沿岸部は衰退に向かうことが予想されます。
ややもすれば阿南市内陸部や、もっといえば薬王寺程度の位置であれば、住民の日常行動上の中心拠点は徳島市である、というような状況になると言っても過言ではないと考えます。
阿南市沿岸部は、通過路としても選ばれなくなります。その所要時間差は、ちょっとした寄り道 などと表現できる程度のロスではないのです。選択肢の圏外になります。
内陸の高速道路と沿岸部の国道は、小松島インターチェンジの次は桑野インターチェンジが、近接した合流点・結節点となります。立江櫛渕や阿南、長生の各インターチェンジはいずれも県道に接続されますので、桑野インターチェンジこそが、その意味では阿南市内でもっとも重要な交通拠点なのです。
小松島インターチェンジから桑野インターチェンジまでの所要時間は、高速なら14分、沿岸部の既存の国道なら35分。もはや話になりません。
ちなみに日和佐道路の、旧道との所要時間差は5分である。読者のあなたは日和佐道路の旧道を使っていますか。
国土交通省 四国地方整備局 > 日和佐道路の整備効果
https://www.skr.mlit.go.jp/tokushima/report/info23/h230711/h230711-2.pdf
阿南市の従来のやり方を全否定するかのような、この危機的な阿南市内や県南部の拠点性低下の流れは、この市が発足以来、不合理な土地(富岡、沿岸部)ばかり重視して開発し、内陸部を放置してきたツケなのです。
もしも阿南市が、この変えられない流れに対抗するのであれば、それは県南部からアクセスの容易な阿南市内の各インターチェンジ周辺を商業地として、いやもはや、阿南市のあらゆる中心機能を内陸部に移転させ、新都心として力を入れることしかないだろう。富岡を切り捨てる英断ができるかどうかが焦点である。
出典
https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-hyouka/r3sai.html
https://www.skr.mlit.go.jp/kokai/project_evaluation/h26/2nd/index.html
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