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阿南市 表原立磨 市長は「道の駅凍結」の総括をすべきである と私が思う理由

”広義の採算性” は見えていますか

 阿南市の現市長、表原立磨(表原たつま)氏は、任期早々の2020年に、新野町に計画中の新しい道の駅の凍結を決定しました。この意図を明らかにするために、まず彼の市議時代の活動について分析しました。
 特に焦点を当てたのは、橘町豊浜地区の造船所跡地問題です。市が購入した造船所跡地の取得の経緯と利用方法を問題視し、彼は平成28年から令和元年にかけての6回の市議会でこれに関する質問を提起していました。

造船所跡地の質疑のスタート
2016年(平成28年)12月 阿南市議会 表原市議の質問

 2016年(平成28年)12月、市議会において表原市議は「造船所跡地」に関する質疑を開始しました。この質疑では、土地の購入経緯、プロセス、根拠、それによる阿南市の固定資産税の減収、現地の震災時の安全性、進捗状況などが追求されました。表原市議は再質問や再々質問を行い、綿密に追及しました。
 この際、彼は山梨県南アルプス市の「完熟農園」の事例を引用し、見通しの甘さによる失敗例を用いました。この他県の事例を自身の主張を裏付けるために使用する手法は、後の新野「道の駅」に関する彼の質疑においてもみられました(2018年(平成30年)12月市議会での「新潟県燕三条地場産業振興センター」の引用など)。

橘町にちなむ過去の経緯の説明
同日議会 岩浅市長の回答
橘町にちなむ過去の経緯の説明
翌年 2017年(平成29)年12月議会 産業部長の回答
”橘は、阿南市の発展のために絶えず犠牲になっている”
同日議会 岩浅市長の回答

 繰り返す表原市議の質問に対し、当時の岩浅市長や産業部長は、過去の経緯を説明する場面が展開されました。岩浅市長は、市が約束違反をしてゴミ処理場を2代続けて橘町に設置したことや、発電所による市への税収の貢献に対して地元への恩恵の還元が少ない状況など、過去の橘地区に対する頭の上がらない状況を鑑みることの重要性を説きました。
 翌年2017年(平成29)年12月議会で岩浅市長は「そういう観点から、表原議員にはぜひ見ていただきたい」「阿南市の発展のために絶えず犠牲になっているのは橘じゃないか、とずっと言われています」と指摘した。

 表原市議は「過去を責めることには余り生産性を感じておりません」と述べました。過去の市を責める必要はないものの、岩浅市長のコメントのような過去の橘地区に対しての苦労や貢献の大きさへのリスペクトや称賛の表現があまり見られないことが気になりました。表原市議は採算性や事業経営の仕組み作りに多くの注意を払っています。

 お金を提供する人々は、その施設が地域のストーリーに組み込まれた中で地域へのリスペクトを感じた後に、支援の意欲が生じ、これが結果的に採算性に繋がると考えます。数字や採算性はその中の一つの側面です。
 前提として、市にとって「造船所跡地」事業の背後にある最も基本的な要素は、橘地区への敬意や感謝の念であるべきだと思います。

 単に議事録にリスペクトに関する感情表現が少ないことをさほど問題視するつもりはありませんが、あえてここで取り上げた理由は、この ”狭義の採算性” へのこだわりが、新野「道の駅」凍結にも関連する問題がはらんでいる可能性があると考えられたからです。

表原市長が道の駅を凍結した当時の新聞報道
出典:2020年(令和2年)2月20日 徳島新聞

 2020年2月、表原市長が新野「道の駅」の凍結を決定した際、新聞記事ではその決定の理由としてやはり「採算性」が強調されました。しかしながら、新野地区はLEDメーカーの発祥地である。視野を大きく見て、同地区の市の税収につながる貢献度合いと、市から同地区への還元度合いの ”採算性” で見たとき、はたして適正な状態と言えるでしょうか。表原市長は ”狭義の採算性” にこだわりすぎて大局が見えなくなっていないでしょうか。

 「日本の電気学の祖」とされる橋本宗吉のゆかりもある光産業の原点としての歴史があります。また、世界遺産に手が届きそうな平等寺も存在し、光産業はその平等寺の門前町の企業です。「道の駅」は車を利用した遍路道のコースとしても活用できる可能性があります。振興のネタは極めて多いように感じられます。これ以上に大きいネタが ”中心部” 富岡地区にはあるでしょうか。

 表原市長は市議時代に、他県の「新潟県燕三条地場産業振興センター」の事例を引用して新野「道の駅」に対する論評を行いました(2018年(平成30年)12月市議会)。そのとき現地に脈々と受け継がれている「金物のまち」のDNAの存在を指摘しています。では、上述の新野地区の光産業絡みのDNAは十分に考証されましたでしょうか。

 新野地区は現在、阿南市をリードし、その存在が市全体に対して貢献しています。一般的な「阿南市の礎は牛岐城」という説は実際には誤解であり、実際には「光時代の阿南市の礎は平等寺」というほうが適切です。牛岐城を市の象徴のように扱い過大評価しているのを見ると、市内各地区のDNAや特質を市が公正に分析できているとは言い難いように思われます。

 要するに、かつての橘地区と同様に、いま市は新野地区に対してリスペクトを示す必要があると言えるでしょう。その指標が ”狭義の採算性” や資料上の数字や他県の事例で十分に測れるとは思えません。従って、表原市長がこの「リスペクト」に関する感性をどれほど持っているか、その点を検証する必要があると私は考えます。

プロセスが不透明

 橘町の「造船所跡地」については、市が2016年に購入したものであり、その購入プロセスや過去の経緯、跡地の利用法に関する課題は、同年に市議活動を開始された表原市議にとっては現在進行中の課題であったと言えるでしょう。

20年前に道の駅が提起された様子
2002年(平成14年)9月 阿南市議会 林孝一市議の質問

 一方、新野「道の駅」事業は、20年前から提案されているものです。具体的には、2002年の市議会で林孝一市議が道の駅を提案していました。20年間にわたり、先人たちによって議論が繰り広げられてきたものを、その途中で1期目の表原市長がストップをかけました。


”道の駅は、11人が4回の委員会で決めた”
2021年(令和3年)6月 阿南市議会 林孝一市議の質問
”20年前から提起されている”
2021年(令和3年)6月 阿南市議会 林孝一市議の質問

 2021年(令和3年)6月の阿南市議会での林孝一市議の指摘内容。
 ● 「道の駅」は、道の駅整備基本計画策定委員会で決めたもの。
 ● 学識経験者を含め11人のメンバーが、4回にまたがって実施。
 ● 加藤委員長から当時の市長に基本計画書が渡された。
 ● 委員には阿南青年会議所の理事長がいる。
 ● 過去に表原市長も阿南青年会議所の理事長をしていた。
 ●  ”信用されなくなりますよ”

 20年来の話である新野「道の駅」を触るには、あまりに先人の活動を軽視した短絡的な強権行為に過ぎないかと思う。凍結後の市の発表や報道をみても進展状況の続報が見られず、そこまでの責任感を伴う凍結の必要性を裏付ける根拠や、具体的にどの部分に疑義が生じたのかがいまだに把握できません。
 別の西川市議が行った質問によって、新野町で開催された「出前市長」での表原市長の説明の存在が一部明らかにされましたが、もしその市議が質問しなかった場合、一般市民には現在でも不透明なままではなかったでしょうか。

凍結は本当に必要だったのか

表原氏が初めて「道の駅」を取り上げた質疑
2018年(平成30年)12月 阿南市議会 表原市議の質問

 表原氏は市議だった2018年(平成30年)12月議会で、初めて新野「道の駅」を取り上げています。
 このとき彼は、黒木賢二郎特定事業部長から「御質問の経営面や財政面に関してですが、具体的な建設費が確定しなければ検討しづらい状況でございます」「阿南市としてどのようにリーダーシップを発揮させていくのかとの御質問ですが、現時点では建設地や導入施設、管理運営手法などが定まっておりません。ある程度事業が進捗し、導入施設や管理手法などを検討する段階で、先進事例などを参考にし、最適な手法を検討してまいりたいと考えております」と回答されている。
 さらに凍結時も「2020年度は建設地を絞り込む段階」(2020年(令和2年)2月20日 徳島新聞)とされていた。

 このように建設費の本格的な算出もまだ行われていない段階で、早くも採算性を問うのは順序が誤っており、この段階で凍結という過激な対応をする必要性があるのか疑問が生じます。

 表原市長が新野「道の駅」の凍結を決定したのは2020年2月ですが、3年が経過した2023年の現在、見直し作業はどのように進展したのでしょうか。その間の市議会の議事録や新聞報道を見る限り、進展状況は依然として見られず、彼は1期目を終えようとしています。

 このように曖昧な状況が続く中、2023年8月下旬現在、表原市長は自身のInstagramにおいて新たな約束として「新野地区での複合型防災公園」を掲げています。なぜ道の駅計画を凍結したのか? 「道の駅」の総括および関連性は? 任期終了にあたって責任を持って説明してほしいと思います。このまま説明が無いと、かき回しただけで終わったと市民に思われかねないと思います。

時代の潮流に背いている

徳島県の道の駅と最寄りのICからの距離

 もしも「防災公園」が「道の駅」の代替案として考えられる場合であっても、平時の地域振興の観点から高速道路の役割を無視することは適切ではありません。それは阿南市全体において大きい損失だと考えるからです。
 その際には、阿南市の理屈や視点ではなく、市外の視点を重要視することが必要です。つまり、高速道路を利用するドライバーにとって徳島県内の他の「道の駅」やサービスエリアと同様の施設であると認識できることが重要です。

 阿南市は、阿南駅周辺の整備や那賀川町道の駅の充実など、沿岸部や富岡地区への投資に対しては、新野「道の駅」のそれとは違い、まるで正義であるかのように、甘やかされているかのような印象を受けます。しかし、阿南市外の様子を見ると、特に近年の新しい交通関連施設は、高速道路のインターチェンジを前提とした道の駅やそれに類する施設の設置が主流だ。このような中で、富岡地区にこだわりつづける阿南市の路線は、時代の潮流に目を背けたドメスティックな内向き志向を感じる。

新野「道の駅」付近の交通量と阿南駅の乗降客数の比較

 阿南駅の乗降客数は2,248人ですが、一方で新野「道の駅」付近の阿南安芸自動車道・福井道路において国が予測した交通量は10,668台です。将来性に関する懸念要因は阿南駅周辺整備事業のほうが大きいように見受けられます。阿南駅周辺整備も2023年8月現在、新野「道の駅」と同じく建設費もまだ決まっていない段階です。同じ状態かつ財政状況に大きい変化もないと思われますのに阿南駅周辺整備事業にはストップをかけていません。
 表原市長が市議会で多用する論法である他県の事例に照らして、全国の駅周辺整備は全てが成功例と言い切れるのでしょうか。新野「道の駅」を凍結した一方で、阿南駅周辺整備を円滑に進めている姿勢は矛盾していると思います。「中心部」には甘く「周辺部」には随分厳しい目線をしているように感じられます。

※阿南駅の乗降客数の出典:
https://shingakunet.com/area/ranking_station-users/tokushima/

※福井道路の交通量の出典:https://www.skr.mlit.go.jp/kokai/project_evaluation/h26/2nd/pdf/09.pdf

高速道路時代の、阿南市各地と徳島市との所要時間
※暫定供用時の制限速度70km/hでの移動時

 これからの高速道路時代において、高速道路から遠隔地域である阿南駅や富岡地区にこだわる意味が本当にあるのか疑問が生じます。例えば、阿南駅と徳島駅を普通列車で移動した場合の所要時間は、高速道路で徳島沖洲インターチェンジから阿南市内陸部や美波町中心部まで到着する所要時間よりも長くなることは計算上明らかです。阿南駅を中心とする考え方はもう成り立ちません。

阿南市内陸部にとって、中心が富岡である必要がない
※4車線化完成後の制限速度100km/hでの移動時

 これは、富岡地区が中心拠点として維持されると、阿南市内陸部や県南部の連帯が困難になり、結束力も低下する可能性があることを示しています。そのため、高速道路の遠隔地域を重視して整備することは非常に効率的ではなく、適切ではない方針だと考えます。

 富岡地区は「周辺部」に位置する存在とみるのが正確であり、市がどれだけそれに抗い、従来からの方針を堅持してもその性質は変えることは難しいでしょう。阿南市において、最も重要な交通関連施設は阿南駅ではなく、むしろ高速道路の各インターチェンジや新野「道の駅」となることは明らかです。新野「道の駅」ないし「防災公園」は、むしろこの市の首都機能であるべきであって、防災面に意義を矮小化する向きにはやや疑問も感じます。

 阿南市は都市のパラダイムを根本的に見直し、高速道路時代に適応した方針への転換が必要です。その際には、従来の中心地を富岡地区と規定した都市計画法や阿南市総合計画、定住自立圏構想などのあらゆる基礎的な決めごとであっても例外なく見直されるべきだと思います。


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