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LEDの地元は 富岡中心に納得しているか

 阿南市は、「光のまち」(LED文化)を代表する存在として富岡に注力し、特に牛岐城址公園をLED文化のシンボルと位置づけています。しかし、LED産業の地元(原点)である新野町は、本当にそれに納得しているのでしょうか?

そもそも富岡である理由を考えているだろうか?

 牛岐に設置された「光のドーム」は、市の広報媒体などで市の象徴的な写真として頻繁に使用され、"阿南の" と冠されながらも実際には富岡地区主体かつ中心の夏祭りでLEDが活用され、また阿南駅前の施設も「光のまちステーションプラザ」と命名されています。

 しかし、最も重要な点は、光産業の発祥地である新野町をはじめとする原点の内陸部が、阿南市の中心が富岡であることに本当に納得しているのかということです。

牛岐に観光客を招いて、なにをお見せするつもりなのか?

 この市が製紙時代からLED時代への転換を進める際に、新野地区や内陸部の声を適切に聴取し、反映し、阿南市の方針を修正する機会は設けられたのでしょうか。

 従来の市の中心とされる富岡における既得権や惰性によって、新野地区や内陸部へのリスペクト(感謝や尊敬の念、繁栄の還元)が疎かになっていないか、という点に注意が必要です。

牛岐のまわりに、これ以上のものがあるのか?
富岡は、本当に阿南の看板を背負う覚悟はあるのか?

新野に「LED発祥地」看板を求める議員

 2013年(平成25年)6月12日、阿南市議会で行われた質疑応答の場面。当時の市議、林孝一氏が新野町におけるLED(会社)産業の起源を強調し、“LED会社の発祥地がある新野町の平等寺~新野駅の間に、LED(会社)発祥の紹介のための立て看板を設置してはどうか?”と提案しました。
 これに対し、粟飯原佳明産業部長は慎重な検討が必要とする答弁を行いました。

 LED会社の発祥地の声を足蹴にするとは、公僕である産業部は一体どの立場に立っているつもりなのだろうか。
 光産業の原点の新野地区では、光産業の象徴的な存在は、新野に位置づけることを望んでいるといえます。地域の願望と市の方針との間に、一致していないギャップが存在しています。

高校再編にみる、富岡中心への反対

 2012年(平成24年)5月24日に行われた旧新野高校と旧阿南工業高校の再編に関する説明会。当時の新聞記事には、旧新野高校側からの大きな反対の声が響いた様子が報じられています。
 反対住民は「阿南市街地に高校が一極集中する。地域全体のことを考えてほしい」(読売新聞徳島版2012/5/25)、「一極集中の配置はおかしい」(徳島新聞2012/5/25)とコメントする。

この怒りを見て、富岡中心の流れに、新野が本当に納得しているように見えるだろうか

 この説明会で注目すべきなのは新聞記事の写真を見ても分かるとおり、反対意見が相次ぎ、横断幕やのぼり掲示が目立つ場面も見受けられました。近年の阿南地域において、稀なほどの大規模な住民反対運動が巻き起こりました。
 この高校再編は県の事業ではあるが、県と市の違いにかかわらず共通しているのは、富岡中心路線です。
 富岡中心論・富岡集約路線のまちづくりが本当に納得されているのであれば、こうした反対運動は生じていなかったはずです。

「出前市長」での新野の声

 2021年(令和3年)7月1日、新野公民館で行われた「出前市長」イベント。防災の切り口から、バックアップ・サブ的な拠点を新野に設けるよう求めている。
 その際、市役所のウェブページに掲載された質疑応答のイラスト(画像5)が示すところによれば、参加者から「(市の)中心機関が沿岸部に集中していることが問題だ」との声が上がりました。
 庁舎のサテライトオフィスや道の駅を、防災性の高い新野地区に設置し、市の第二の防災拠点とする提案も行われました。

イラストで表現された市民の声

 このイベントの「アンケート集計結果」によれば、以下のような意見が見受けられます。

〇 各地域の相乗効果を生むような政策(トレードオフにならないよう)。
〇 阿南南域の活性化のための防災事前復興。
〇 市南部の過疎対策。
〇 高規格道路の実現。

アンケート集計結果

 こうした意見から明らかな通り、防災の観点だけでなく、市南部地域の成長も求められています。

 常識的に考えて、市南部の成長や過疎対策などを願う地元市民が、その地域が産み出した光産業の恩恵を富岡にのみ集中させる現行構造に対して、積極的な賛同を示しているとは言い難い状況です。

まとめ

 阿南市は、その発足当初から今日に至るまで、大きな変化を遂げている。市の発足当初においては、富岡地区が市内の他の地区よりも経済的な収益を上げていたからこそ、その恩恵を繁栄の形で還元する対象も富岡地区であり、さらに中心拠点がおかれる大義名分が存在したという視点を忘れてはならない。

 重要なのは、大きな産業が特定の土地に根付き、繁栄を築いた後、その土地が中心拠点として発展していくという普遍的な事例が存在している点です。
 すなわち、従来とは異なる新たな産業が台頭すれば、中心拠点もそれに応じた地域に移転され、取って代わるべきです。
 この哲学を無視することは、自治体の発展戦略において健全とはいえません。

 現代の阿南市を牽引する要因は、間違いなく光(LED)産業だ。市の発信する様々な媒体でも多くの部分で、光産業を讃える記述が見受けられる。
 しかしながら、光産業は内陸部の新野町発祥であり、その産業は同じく内陸部の長生町出身者や新野町民が創業しました。また現在の本社所在地の上中町も内陸部に位置し、いずれも従来の中心部の富岡とは隣接もせず、縁は薄い。

 これら内陸部の町々は都市計画区域に含まれていない地域です。すなわち従来の富岡中心モデルではこの地域を都市化の対象として捉えていません。
 しかし、現在の阿南市は、これら内陸部の成功を活用して、富岡地区などの沿岸部の成長を支えている構造が存在しています。

新野で起こりつつあるLEDや竹を活かした観光名所作りの動き。
それらの広告塔を富岡・牛岐に位置づけてきた従来の市の方針とは大きく異にする流れだ。

 現代の阿南市が成功を収めた背後には、内陸部が果たした功績が大きい一方、行政側はその地域の潜在力を軽視していました。私たちが今必要とするのは、内陸部への尊重と感謝の念を持ち、還元することであるべきだろう。

 それも、申し訳程度に、内陸部に光産業の記念碑や看板を設置したり、都市計画区域を拡張して都市全体の一員として内陸部を迎え入れる程度の対応では十分とはいえない。
 むしろ、阿南市の中心拠点を内陸部に移転するべきである。それほどに大きい貢献を、内陸部はしていると言えるでしょう。


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