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浅尾・岩瀬、山口鉄・西村。彼らは野球を6回までのスポーツにした。

 リリーフ投手がプロ野球の「主役」になることはそれほど多くはない。今でも先発投手がブルペンに回ると、「中継ぎ降格」なんて言われたりする。読売ジャイアンツの上原投手がこのような報道に苦言を呈したことがあったが、これが今の野球の現実だろう。

 それでも、2010年~2013年の時期は6人の中継ぎ投手が主役に躍り出た期間だと思う。そして彼らを中心に戦った2つのチームは、「強いチーム」を作る上での一つの答えを示していたように思う。この6人のうち4人が今季限りで現役生活を終える。中日ドラゴンズの岩瀬仁紀投手と浅尾拓也投手、そしてジャイアンツの山口鉄也投手と西村健太郎投手だ。

■「岩瀬でやられたら仕方ない」。高橋⇒浅尾⇒岩瀬で果たした連覇

 2010年10月22日。クライマックスシリーズ・ファイナルステージ第3戦で岩瀬投手がジャイアンツの阿部選手から決勝ホームランを浴びてこの試合を落とした。すると試合後、落合監督は「岩瀬で負けたらしょうがない」(日経新聞)とコメント。これがこの時代のドラゴンズの戦い方を示している。

 落合監督時代のドラゴンズは「アライバ」を中心に守り勝つ野球を展開することで有名だった。2007年まではチーム打率も毎年.260を上回っていたが、2008年からはより投手力に頼った戦い方をしていたように思う。その中でチームを支えたのが、浅尾投手、岩瀬投手の2人だった。この2人の継投が特に輝いたのが2010年と2011年だった。

 この2年間のドラゴンズ打線は決して強力とは言えなかった。それまでの落合政権を支えた福留孝介選手やタイロン・ウッズ選手は既にチームを去り、特に2011年は和田一浩選手と森野将彦選手の2人が揃って絶不調。この年のチーム打率はなんと.228にまで沈んだ。それでもこのチームが連覇を実現できたのは、「浅尾⇒岩瀬」の盤石の勝利の方程式が存在していたからに他ならない。

 浅尾投手は不動のセットアッパーとして君臨。

2010年:72試合/80.1回/12勝/3敗/1セーブ/防御率1.68/47ホールド/WHIP0.87
2011年:79試合/87.1回/7勝/2敗/10セーブ/防御率0.41/45ホールド/WHIP0.82

という圧倒的な成績を残し、2010年には最優秀中継ぎ投手、2011年は同賞に加え、中継ぎ投手としては異例のMVPとゴールデングラブ賞を獲得した。150キロを超えるフォーシームと鋭く落ちるフォークを中心にスライダー、パームを駆使しながら打者をねじ伏せる。クイックの上手さや軽快なフィールディングも持ち合わせ、この2年間は全く相手打者を寄せ付けなかった。

 浅尾投手からのバトンを受けた岩瀬投手は絶対的なクローザーとして、

2010年:54試合/48.0回/1勝/3敗/42セーブ/防御率2.25/3ホールド/WHIP1.25
2011年:56試合/48.2回/0勝/1敗/37セーブ/防御率1.28/7ホールド/WHIP1.23

の成績を残した。伝家の宝刀スライダーは健在で、とにかく心臓の強さを見せた。

 この2年間は2010年に素晴らしい活躍を見せた髙橋聡文投手、鈴木義広投手、小林正人投手らが浅尾投手、岩瀬投手にリードしたままバトンを渡す戦い方で投手戦を制していたドラゴンズ。結果として、球団史上初のリーグ連覇を成し遂げた。

■原監督をジャイアンツ3連覇に導いた「スコット鉄太郎」

 連覇を置き土産に落合監督がドラゴンズを去ると、そこからは原監督のジャイアンツがセ・リーグを支配した。しかしドラゴンズだけでなく、2012年のジャイアンツも実は転換期を迎えていた。それまで不動の4番を務めたラミレス選手は横浜DeNAベイスターズに移籍し、小笠原選手も2011年シーズンから衰えを見せ、もはや主軸としての計算まではできない状況。阿部選手、長野選手、坂本選手らの優秀な野手に加えてベイスターズから村田選手が加入したものの、これまでどおりの戦い方ができるのかは不透明だった。

 そのような状況の中で原監督を救ったのが、「スコット鉄太郎」と呼ばれたマシソン投手、山口鉄投手、西村投手の3人だ。2011年のドラゴンズは「投手王国」と呼ばれ、チーム防御率2.46を記録したが、実は2012年のジャイアンツは驚異の2.16だった。特にマシソン投手、山口鉄投手、西村投手の投手リレーは圧巻だった。

 マシソン投手は2012年に来日。春季キャンプでは制球難が明らかになり、開幕には出遅れたものの、その後は1軍で欠かせない存在になった。来季2年契約の2年目を迎えるマシソン投手は150キロオーバーのフォーシームと鋭い変化球で打者を圧倒するスタイルで、

2012年:40試合/42.0回/2勝/0敗/10セーブ/防御率1.71/8ホールド/WHIP0.98
2013年:63試合/61.9回/2勝/2敗/0セーブ/防御率1.03/40ホールド/WHIP0.89

 という活躍ぶりを見せた。2013年は最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。

 山口鉄投手は2008年に67試合に登板すると、2011年までも毎年60試合登板を達成。それでも特に2012年、2013年の2年間は別次元の境地に達していた。

2012年:72試合/75.1回/3勝/2敗/5セーブ/防御率0.84/44ホールド/WHIP0.72
2013年:64試合/66.2回/4勝/3敗/6セーブ/防御率1.22/38ホールド/WHIP0.96

 の成績を収め、2012年、2013年ともに最優秀中継ぎ投手に輝いた。

 そしてそのあとを投げた西村投手は派手さはなかったものの、それまでに既に武器となっていたシュートやフォークなどの変化球を駆使しながら特に2012年、2013年は安定した成績を残した。

2012年:69試合/71.1回/3勝/2敗/32セーブ/防御率1.14/12ホールド/WHIP0.88
2013年:71試合/71.2回/4勝/3敗/42セーブ/防御率1.13/10ホールド/WHIP1.09

 2013年は最多セーブのタイトルを獲得している。

 「オガラミ」の時代は終わってしまったが、「スコット鉄太郎」という新たな軸ができたジャイアンツは、強力なライバルであったドラゴンズの衰退もあり3連覇を達成。2012年は日本一にも輝いた。

■6回で試合を終わらせられる強さ

 この記事では今回引退を表明している4人を中心に取り上げたが、少し時代をさかのぼればJFK(ウィリアムス投手・藤川投手・久保田投手)のような例も挙げられる。彼らはそれぞれ右打者・左打者関係なしに「1イニングをリードをキープしたままベンチに帰ってくる」という仕事を淡々とこなせる素晴らしい野球人だ。彼らの存在は「7~9回は大丈夫!」という状況を作り出せる。そして年間を通じて安定しているため、それに合わせた、それを前提にした戦い方ができるのだ。

 7~9回は彼らに任せればいいのだから、6回までは先発投手が踏ん張るか、極端な話6回は残りのブルペン陣で抑えれば問題ない。すると、「先発投手は5回を投げ切れればOK!」という発想すら生まれるのだ。すると、計算のできる戦力が大幅に増える。なぜなら、7回を投げ切れる先発は少なくても、5回までなら投げ切れるピッチャーは少なくないからだ。2012年~2014年の両チームでも、ドラゴンズは岩田投手、山内投手、川井雄太投手らが、ジャイアンツは宮国投手、小山投手あたりがこのような立ち位置だったか。プロ野球は登録枠があり、その中でもブルペン待機できる投手の数は限られている。むやみやたらに「5回までしか厳しいです!」タイプの先発を登録するわけにはいかないが、この2チームは6~9回の計算が立っていたため、これが可能だった。ドラゴンズとジャイアンツの野球は、5回までリードをしていればかなりの確率で勝利に近づいていた。そのことを理解していた相手チームは「5回までに何とかして打たなければならない」という心理状態に陥っていたのは想像に難くない。

 さて、残念ながら怪我や年齢のこともあり、「浅尾・岩瀬」「スコット鉄太郎」のどちらも計算できない日が来てしまった。そこから両チームが低迷をしてしまっているのは、偶然ではないだろう。既に書いてきたことを逆の視点からとらえれば、「7~9回の計算が立たなくなってしまったがために6回をその他の投手でしのぐ余裕もなくなった」という状況になってしまったのだと感じる。そしてこのような状況では、5回までしか投げれない先発投手を戦力として考えるのは厳しい。まだまだ6回以上を安定して投げることが厳しい若手、体力的にも5回が限界のベテラン投手、5回までなら抑えられるがそれ以降に崩れるピッチャー。鈴木翔太投手、柳投手、松坂投手、内海投手、大竹投手、吉川光夫投手などが挙げられるのだろうと思う。しかし彼らも2010年~2014年のブルペン陣なら…と考えると、今とは貢献度も変わっていたように思えてならないのだ。

 このようにして考えると、今回引退をしてしまう岩瀬投手、浅尾投手、山口鉄投手、西村投手が単に8回、9回を抑えていたわけでないことが分かる。彼らは、自らの仕事を安定して果たすことでチームの戦い方に大きな好影響を与え、他のチームメイトすら大きな戦力に変えていたのだ。後ろが安定すればチーム力は上がる。勝てるチームを作るための一つの答えであるのは間違いないだろう。


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