残る争点は、なんと「広告」!

… の、国民投票法。 でも、国のミライを左右するような案件で、「広告」がクリティカルな存在になるなんて、驚きです。

「改憲手続きを定める改正国民投票法は、(5月)11日昼の参院本会議で、共産党を除く与野党の賛成多数で可決、成立した」

のだそうです。

改憲に反対する人からは、コロナのドタバタの中でそんなことするなよ、というツッコミもあるようですが、確かに、憲法改正という一大事にもかかわらず、メディアでの取り上げられ方は、結構ショボい感じ。

特に、テレビでは、法案成立の事実だけはニュースで取り上げられたものの、中身に関する解説は、今のところほとんどありません。

なんででしょうか?

コロナも大事ですし、オリンピックも大事ですが、憲法も、かなり大事なテーマなはず。ていうか、ある意味、何にもまして大事かもしれない。にも関わらず、あまり話題になっていない。

そこで少し考えてみたんです。なぜ、話題にされないのかって。

付け焼き刃の確認なので、間違いがあったらご容赦。
その場合、間違いをご指摘いただけるとありがたし。
そして以下、いつにも増して長文です・・・。

最初にちょっと整理をします。

日本ではこれまで、国民投票なんて一度もやったことがありません。だから、国民投票をするには、改めてやり方を決めなくちゃならない。
どうやったら、「国民みんなが公正に投票できるのか」のルールを決める。
これが今回話題になっている国民投票法です。

でもって、今回の話題は、「 改正 国民投票法」。

じゃぁ、この「改正」とはなにか。

普通の人は、「既にある国民投票法を改正する」だと思いますよね。

でも違うんです。それならば、「国民投票法改正」。この言葉も、よく見かけます。「国民投票法改正案が可決された」という風に。

私も、よくわかっていませんでした。

実はこの、頭につく「改正」は、2007年に成立した国民投票法の原案が、「憲法改正のための国民投票法」と言い、それを省略して「改正国民投票法」となったもの。なのでこの「改正」には、「改憲」のニュアンスがくっついている。

それに対して今回は、「より公正な投票ができるように改訂する」という意味で、2度目の改正を行なった、という話。

なので、正しくは、「改正 国民投票法 改正案 が可決された」となる。

う〜ん、分かりにくい。

改憲に反対している人たちは、前に着く「改正」に反対しているので、セットになっている国民投票法にも反対しているわけです。

そんなこともあって、この二つの出来事はどうしてもニコイチで見られがちですが、この法案と憲法改正は、別々に考えるべきだと、わたしは思います。

これを一緒くたにすると、一層ワケがわからなくなる。
改憲に反対する人の中で、感情的に「ダメなものはダメ!」となるのも、ここに原因がある感じ。

なぜか。

だって、この法案のポイントは、初めて実施する国民投票が公正に行われるかどうか、であって、改憲そのものとは、実は関係がない。

もちろん、憲法改正に取り組みたい自民党としては、そのためにこの法案を成立させなくちゃならない。だから(?)「改正国民投票法」と、ニコイチで話をしている。でも、それはそれ、これはこれ。

公正な国民投票ができるなら、改憲の是非は、それに託せばいいんです。
それこそが、公正な判断。それこそ、民主主義。
ダメな憲法改正案なら否決されるし、ちゃんとしたモノなら(国民がそう思うなら)、変えるべき。

逆に、国民投票法が可決されたからといって、改憲が容認されたわけでは、全くない。

で。

今回の国民投票法では、通常の選挙よりも、「公正な投票がしやすい」ルールが設定されました。

・「共通投票所制度」の創設
・「期日前投票」の事由追加・弾力化
・「洋上投票」の対象拡大

などです。

要するに、出来るだけ多くの人が投票できるための工夫。もちろん完全ではないですけどね。
ただ、これまでの通常の選挙よりもかなりマシだと、わたしは思います。共通投票所制度なんかは特に。

仮にこの法案に反対するのであれば、「不公正が残るから、こうして欲しい」ならわかります。でも、「改憲反対だからダメ」は、話が噛み合ってない。
むしろ、この法案は、改憲派には不利かもしれません。いわゆる浮動票が流れ込みやすくなるわけですから。
闇雲に反対することは、自ら「投票の権利(民主主義の根幹ね)」を放棄するにも等しいと、思います。

とは言いつつ、まだ大きな問題が残っている。それが、なんと広告
それが最後の争点になっている。

え、なんのこっちゃって?

話は簡単です。
改憲推進にしろそうでないにしろ、金持ちサイドがジャブジャブ広告をしたら、それは不公平だろ? だから、「公正な投票のためには」なんらかの規制をしなくちゃならない。
要はそういう話です。

もちろん、私たちが判断の拠り所とする、改憲案そのものに関する十分な広報は要ります。これは、然るべき組織がする(はず。ここはメディアに大いに期待したい)。

でも、それに対して、「こっちに投票して欲しい(投票誘導広告)」や「俺はこっちに投票する(意見広告)」が、金にあかせて野放図にできるとしたら、そりゃ不公平も生ずるわけで。

公職選挙法では、通常の選挙運動については、広告活動に厳しい規制が設けられています。けれど国民投票では、賛否を訴える運動については、原則自由(驚き!)。戸別訪問もできるし、チラシの枚数に制限もない。

だから、規制がいる。

特に、影響力の大きな「放送」に関しては。

改憲に関するCMは全てNGなのか、それとも総量規制なのか、はたまた同量実施義務なのか。

実は、今回の法案可決に際しても、その点(だけ)が、先送りになっています。
(このご時世、インターネットはどうなのよ、という話もありますが、そこはまだ未着手のもよう)

自民党は「今回の法案成立をもって、大手を振って、憲法改正の国会発議ができる」とし、立憲民主党は「いやいや、ここが決まらなきゃ、発議なんてもってのほか」となっている。

冷静に考えれば、金にものを言わせて情報操作できるなんてあり得ません。
すでに国民投票が行われている諸外国でも、ここは厳しいコントロールがなされている、らしい。(大統領選を見る限り、アメリカは違うみたいだけど)。

この部分の決着がどうなるかはまだわかりませんが、ここで気になるのが、肝心の放送業界の動向です。

実は、そもそもの改正国民投票法が一度改正された、2019年の5月の衆議院の憲法審査会で、民放連の担当者が、

「賛成と反対のCM量を均衡させるための自主規制はしない」
「特定の広告主にCM枠のほとんど全部が買い占められるというようなことは想定できない」
「視聴者の心情に過度に訴えかけることで、冷静な判断を損なわせ、事実と異なる印象を与えると放送事業者が判断するCMは流さない」

といった発言をしています。

これには国会でも、「世論が誘導される可能性が残る」と懸念が示されました。

皆さんは、どう思いますか?

わたしはこれを知って思ったんです。

「広告量の規制や制限をすると、利益機会損失になるから、嫌がっているんじゃないの?」と。

だってアメリカの放送業界では、大統領選挙は、めちゃくちゃ大きな利益機会らしいし。

でも、さすがにそれはないでしょう(と思いたい)。
じゃぁ、一体なんで反対するんでしょうか。

民放連は、その理由を「言論の自由をスポイルするから」と説明しています。「言論に対しては言論で対処する、『言論の自由市場』で淘汰されることに任せるべきです」と。

う〜ん、そうかぁ? なんかよくわからないぞ。

逆に、出稿量は自由にしつつ、「不適切なCMは、既存の考査で排除する」とした場合、この基準こそ、悩ましくはないですか?
それこそ、民間の恣意が紛れ込んで、ツッコまれそうな気がする。

このあたりの思惑が、テレビの扱いがショボい原因だと思うのは、わたしの思い過ごしでしょうか。

翻って、選挙(今回は選挙ではなくて、国民投票ですが)の報道について。
広告ではなくて、報道。言うまでもなく、そっちこそ、放送局の本線です。

改憲という巨大なテーマだからこそ、その報道姿勢こそ、今後の放送局の存在意義の浮沈を占うのではないか、と、わたしは思っています。

大体からして、いつもの選挙報道って、変だと思いませんか?

国政選挙では、選挙特番を編成して、各局が鎬を削ります。誰が勝ったか負けたか、大騒ぎ。

でも、なんで、投票後(中?)に特番をやるのでしょう。だって、特番をしたところで、もう、何も変わらないのに。
結果、つまり民意は、焦らなくったって翌日になればわかる。そういう意味では、今の選挙特番は、なんの役にも立たない。投票率向上にも貢献しない。
単に、勝った負けたの人間ドラマ(政局ドラマ?)を煽るだけ。

これ、意味ないですよね。

結果なんて、後で落ち着いてレビューすればいい。既に決まっちゃったことなんですから。
特番をやるなら、選挙の前にやらなくっちゃ。

争点は何で、その結果によって何が変わるのか、キチンと解説する。
それこそが、選挙報道の責任だし、ひいては投票率を上げることにもつながる。
もちろん、議席数の予想なんてしてちゃダメですよ。そんなのは百害あって一理なし。

え? 選挙報道は、法律で規制されているのではないかって?

そんなことはありません。

公職選挙法では、「虚偽放送は論外としても、選挙運動(候補当選のため投票を促す行為)をしなければ、選挙に関する報道や評論は自由にでき、結果として、ある候補や政党に有利不利が生まれるのは致し方ない」とされています(すみません。これ孫引きです)。
仮に制限があるとすると、放送法4条の、「公平・中立原則」という倫理規範ということですが、これも、特定候補に肩入れするのはNGということで、「選挙の争点を公正に伝える」ということを、制限するものではありません(すみません。これも孫引き)。

わたしは、選挙(この場合は国民投票ですが)に関しては、広告云々もさることながら、本線である報道こそ、資金石ではないかと思うのです。

放送局は、投票の前に、しっかりと、わかりやすい情報提供をする責務があると。しかも、憲法改正などという、一大事においてはなおさらのこと。

でも現時点では、改憲騒動に関して、わかりやすい情報提供がなされているとは、ちょっと思いにくい。
これは、わたしの不勉強のなせる故、でしょうか。(その可能性は十分に高いですが;苦笑)

ちなみに、こうした話になると、必ず出てくるのが「公平と中立」というお話。でもこれも、ワンフレーズで言うのが混乱のもと。

メディアの公平性とは、「どちらの言い分も、偏りなく伝える」こと。
中立性とは、「どちらの言い分も理解した上で、いずれにも与しない」こと。

この二つはかなり違う。でも、どちらも「双方の言い分」をしっかり示すことが前提なんです。

そういう意味でも、メディアには、投票の前に、どしどし「判断のための情報」を発して欲しい。それでこそ、論議も深まり、関心も高まる・・・はず。

どうでしょう?

現実的には、憲法改正の国民投票は、早くとも数年先の話。なので、時間はまだあります。
それまでに、放送業界としても、もっとわかりやすい形で、報道姿勢を示して欲しい。

とりあえずは、秋の衆議院選挙ですかね。

単なる政局話ではなく、中身の解説をする。分かりやすく、興味深く。
そこにこそ、各局の個性も生まれ、「マスメディアの存在意義」も発揮される。

なんといっても、放送は、自他とも認める「影響力」をもっているのですから。

でも、難しいかなぁ。


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