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おもいが交錯する季節

今日は少し違った切り口で書きたいと思います。


友人たちから来シーズンについて決まったという話が耳に入り始める。
決まって良かったね。心からそう思う。

きっかけ

私が指導以外の事業を考え始めたのは2023年10月下旬。
レノファ山口FCから来季の契約はしないと告げられてから数日経った時のことだった。

なかなか次のクラブが決まらなかったこともあって、真剣にサッカー界の課題について考える時間を持つことができた。

アカデミーのコーチたちの報酬は少ない。さらに単年契約がほとんどである。
予算の少ないクラブ側から見れば、本当は能力の高いコーチを雇いたいが現状では安く契約できるコーチが魅力的だろうし、契約料が上がってくればその時は新たに安く契約できるコーチを探せばいい、というクラブが多いのもまた事実。
若いノンキャリアのコーチたちはその現状をどう感じるのだろうか?

そんな現状を考えていた時に、いままでサッカー界を去っていったコーチたちの言っていたことを思い出した。

「将来食っていけないからそろそろやめるよ」
「結婚するからコーチやめて就職するんだ」

若くて優秀な人材が、スポーツ業界から去っていく。これは何もサッカー界に限ったことではないのかもしれない。

どうにかできないか?何か方法はないのか?

そんな時、そこに自分の経験を注いでいくということもありなのではないか?という思いが芽生えた。
この時の思いがきっかけだった。

3人の監督との出会いと別れ

そんな念いを少しずつ行動に移していたある日、山本富士雄さん(アトレチコ鈴鹿 2025シーズン新監督)伝いで、アトレチコ鈴鹿の三浦泰年さん(ヤスさん)からオファーをいただいた。
まだ指導者として生きていきたいという気持ちも大きかった私は、オファーを受け鈴鹿で2024シーズンを過ごした。

2024シーズン、鈴鹿では3人の監督と仕事をすることになった。

ヤスさんはシーズン開幕前に辞任してしまった。短い間だったが毎日のTRとミーティングは非常に頭を使って楽しかった。

そして斎藤登さんが後任監督で来られた。
登さんはチームの練習と指揮をほとんど任せてくれた。それは自分にとってとてもエキサイティングだったし素晴らしい経験になった。サポーターの皆さんに勝利をあまりお届けできなかったことは本当に申し訳なくて全ては自分の責任だと思っている。

そして7月から朴康造さんが就任。
竹を割ったような性格とお茶目な性格が共存しているナイスガイ。めちゃくちゃ気が合い、楽しかった。いい結果が出せなかったのは途中就任で難しい状況をうまくサポートできなかった自分の力不足。朴さんは博識でサッカー以外のことをたくさん教えてくれた。

こうして3人の監督と接する濃い1シーズンを過ごす中で、自分の将来への道筋が見えてきた。

両輪を回すためのコンサルタント

チームの勝利とクラブの成長は相関関係にあることは皆さんよくご存知の通り。そして選手の育成とクラブの成長も同じ。

卵が先か、鶏が先か?ということもよく議論になるが答えは「同時」だ。
両方取り組むのだ。

両方必要なのは、みんな分かっている。
しかし何から、どのように、どうやればいいかが分からない人が多い。
(※注:分かっている人もいます)

もちろんクラブごとに抱えている課題は違うので、そこにあった方法を見つけなければならない。

レオーネ山口でもレノファ山口でも、潤沢な資金もなく有能な選手は県外流出するのが当たり前だった。
両方の難しさを知るものとして力を発揮すべき場所はここなのだ、私はそう思った。

解決と好循環

  1. クラブの売り上げ増加

  2. 優秀なスタッフが離職しない

  3. クラブの一貫指導実現可能性がUP

  4. 選手育成の成果が出る

  5. 地域に必要なクラブとなる

  6. 地域との協働が生まれる

こうして1→6そしてまた1へと好循環が生まれる。
そんなクラブを日本国内に一つでも多く誕生させる。
そして日本サッカー界、スポーツ界の業界規模拡大。
それが私の使命だと信じている。

そしてその実現を信じて、
毎日苦手なSNSを必死で使いこなそうと努力している。



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