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センチな朝

良いことは意外と憶えてないのに、嫌なことは結構憶えているのは、あれ、なぜだろうか。
それをトラウマとかって言ったりもするけど、そこまでいかなくても、なんか忘れられない思い出っていうと、嫌なことが多い。
たとえば、自分によくしてくれた優しい先生よりも、超厳しかった鬼のような先生の顔のほうが憶えている。
人生、良い思い出で埋め尽くされればいいのに、と思う。
もちろん、楽しい思い出だっていっぱいあるんだけどね。当然。
でも、嫌なことはいつだって鮮明に記憶にあるのだ。
人間は忘れる生き物、なんていったりするけど、あれはちょっと違う。

嫌なことほど、忘れないのが人間だ。

——


6才の息子は来年、小学1年生になる。
つまり、来年の春で6年間通った保育園を卒園する。

我が家は共働きで、俺の出勤が遅いので、
送りは俺、迎えはカミさん、といったコンビネーションでこの6年を乗り切ってきた。

最初は本当に嫌だった朝の送り。
でも、あの時間が俺と息子の絆を深めてくれたと言ってもいい。
ここに書いているエピソードも、ほとんどがその朝に生まれている。

そんな、ある日の朝。
保育園までの道、ちょっと感慨深くなって、息子に聞いてみた。

「おまえ、来年の春、卒園だね」

息子「そうだね」

俺たちだって、いつもバカな話ばかりしてるわけじゃない。
たまには男同士、センチメンタルになる日もあるのだ。


「この6年で思い出に残ってることってあるの?」


ちょっと聞いてみた。
遠足、運動会、夏祭り、それか、何気ない友達との日常とか。
彼にも沢山の思い出がこの6年で出来ただろう。


息子「朝かな」

「朝?なにそれ?」

息子「パパとの朝だよ。保育園に行く朝」

「あ?お、おお。そうか。朝のどんなところだよ」

息子「超いっぱい喧嘩したこと」


・・・・・。


いまでこそ、ちゃんと保育園へ行ってる彼だけど、
3、4才のころ、超早めの反抗期かのごとく、
「行きたくない」と言って俺を相当困らせた。

そして、俺は相当キレた。

正直、蹴飛ばしたことも、蹴飛ばされたこともある。

これでは親失格ではないか、と自分を責めた時期。

カミさんのいない空間。

俺と息子だけの朝の時間。


早く仕事に行きたい俺と、保育園に行きたくない息子。
あの時、彼は何を思って行きたがらなかったのか。
あとで聞いたらイジメられてるわけでもないし、
つまらなかったわけでもないらしい。

それが5才くらいからすっかり無くなった。
だから今の彼をみているとさっぱり理由はわからない。
もしかしたら、そういう年頃だったのかもしれないけど、
それを受け入れてやれる大きさが俺にはなかった。


「ああ。あの頃は本当に喧嘩しまくってたな」

息子「パパ、すげー怒ってたよね」


それにしても、なぜそんなものを「思い出第1位」に選ぶのか。
俺にとっちゃあんまり思い出したくない時期なんだけど。


「でもなんで、それが思い出なの?』

息子「わかんないけど、それが一番憶えてるんだよ」


どうやら、「思い出」の意味が良くわからなかったみたいだな。
一番憶えてる事って思ったようだ。
とはいえ、それを選ぶんか。

でも、まぁそんなものなのかな。
あいつにとってもあの時期は、俺に相当キレられて
嫌な時期だったと思うんだけどな。
でも、なんかそういう事のほうが憶えてるのかもしれない。


息子「あの頃、パパはよく言ってたよね」

「何だっけ?」

息子「言いたいことあるなら言え!言わなきゃわかんねーぞってさ」

「ああ、、」


そう、あの頃、息子はいつも泣いてダンマリ決め込んでいた。
無言の抵抗。
だから、そう言い続けた。
今思えば3.4才には早すぎた話しだと思うけど。

でも、言いたいことをちゃんと口にだせるヤツになってほしい。
そう思って言い続けた。

それを、6才になった今でも憶えてる。
まぁ少しは伝わっていたのかもしれない。

それに、男同士は喧嘩して仲良くなる、なんて漫画みたいな事もあるけど、親子だってそうだ。(殴り合いも含め)
お互い、言いたい事を言い合ったあの時期があるから、(殴り合いも含め)今のあいつと俺がある。
だから、あいつのことを理解できるようになった。

だから、あの時期も悪くなかったのかなぁ、と少しは思うのだ。


思えば、すっかり言いたい事を口に出せる奴になったなと思う。


息子「でさ、パパ」

「なに?」

息子「そんなことよか、言いたい事あるんだけどさ」

「おっ!なんだよ。言ってみな」


息子「変身ベルト、買ってよ」


それは言わなくていいから。


息子「いやマジで」


いやマジで。


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