#20 コロナ禍のスタジアムを考える
去年から今年にかけて数試合、埼玉スタジアムへ観戦にいきました。
まだまだ続くであろう、コロナ禍におけるスポーツとエンターテイメントの世界を自分なりに考えるため、そこで感じた今現在の「素直な感想」を記録しようと思います。
(あくまで私が体感した感想です)
スタジアムの安全性はどうか
まず、感じたのは、「安全性」です。
検温から消毒と、いまではどこでも当たり前な事は、当たり前にやり、席はかなりゆとりを持って配置しているので、いわゆる「密」になることはありません。
もちろんルールをやぶる人がいれば、そこは密になりますが、それはなにもスタジアムだけの話ではないので、ここでは、あくまでルールにのっとることを条件でお話します。
私は埼スタしか経験していませんが、おそらくどこのスタジアムも同レベルの処置がとられているでしょう。
これにはクラブや関係者、リーグの尋常ではない努力を感じます。
これはテレビでは、感じられない体感かもしれません。
だからこそ、ルールをやぶる人には、もう来るなと思いますし、
オリンピック優先でスポーツ界の全てのジャッジが決まることに怒りをおぼえます。
少し話が逸れましたが、私が感じたのは、ルールを守ればスタジアムは思っているより安全だ、という事と、そこに対する人々の努力です。
もちろん、絶対はありません。
家で観ていた方が安全です。
でも、プロスポーツは観客も含めて成り立つもの、という主催者の信念が伝わります。
例えば、埼スタの場合、5000人や、10000人の人数制限がかかった時点でクラブの収益からしたら、全くの赤字なわけです。
それでもリスクをおかしてでもサポーターを入れるという判断に、「サポーターあってのクラブ」という信念を感じます。
そして、そうするからには、安全性を確保する、という努力が必要。
人数制限でチケットが取れにくい状況になりましたが、そこは我慢です。
とにかく今は無観客試合が続くヨーロッパよりも、目の前で試合が観れることに感謝しなければいけない。
そう感じました。
新しい応援スタイルはどうか
さて、いざ試合がはじまると、今度は「新しい応援スタイル」を体感することになります。
現状、太鼓と手拍子はオッケー。声を出すことは固く禁じられています。
白状してしまいますが、声、出してしまう時もあります。チャンスやピンチの時、思わず出る声。これは私のまわりの人たちも同じようでした。
ルールを守ろうとしても出てしまう声は、正直あります。
後ろから急にどつかれたら、声、出ますよね?
ま、少し違うかもしれないですが、、
ようは「咄嗟」は、もう仕方ないのかな、、と。ただし、それ以外は大半、皆さんルールを守り、手拍子オンリーの応援を続けています。
このスタイル、数試合を経験すると少しずつ慣れていく自分に気がつきました。
最初は違和感以外の何者でもなかったわけですが、「今は仕方ないよな」という割り切りと共に受け入れられるようにもなっていきました。
ただ、途中から気づいた事。
これはやはり「本当の応援ではない」と。
え!!?手拍子でも選手を鼓舞したり勇気づけたりできますよ?!という事なんでしょうが、まぁそこは百歩譲ってそうだとして、
問題は、「相手に脅威(恐怖)を与えられるか」なのです。
これが中々、声無しでは厳しいんですね。
色々やってみようと試しました。
例えば相手のコーナーキック時に、
やたらめったら拍手したり(結局ただの拍手)
足を踏み鳴らしてみたり(全く聞こえない)
結局、ブーイング出来ないという事が一番の弊害だという事に気がつきました。
味方へのエールは、前にも書いた通り、手拍子だけでもギリギリ伝えられるのかな、とも思います。
でもブーイング、相手への脅威だけは無理です。
そして、相手への脅威は、味方へのエールと同等に必要なものです。
それがホームアドバンテージです。
このスタジアムはやりにくい、と相手に感じさせる事も大事な応援の要素です。
つまり、今、どのスタジアムでもホームアドバンテージは、ほぼ無い状況と言えます。
どこか平和というか。
今はコロナ禍という時点で、決して平和ではないんですが、試合という点でみれば、どこか平和な空気が流れているのは、一方に対する応援だけでスタンドが満ちているからでしょう。
相手への敵意というものが全く感じない。
というか敵意を表現する術がない。
これは個人で感じる度合いが違うので一概に言えないのですが、私はやはり、相手への敵意なきスタジアムはホームにあらず、と感じてしまいます。
味方への愛と、相手への敵意。
それが渦巻くスタンドからこそ、あの痺れる非日常が生まれると。
だからこそ、今の状況はやはり「本当の応援」にはなりきれていない、と実感しました。
やはり「声」のチカラは大きなものだったんだなぁ、と感じます。
生観戦は最強
しかしながら、さまざまなハードルを乗り越えて、有観客での試合を可能にしている関係各位みなさまの尽力を考えれば、
そんな贅沢を言ったらバチが確実に当たる事も重々承知です。
あくまでも、正直な感想として捉えていただければと思います。
やはり、目の前で選手のプレーを見れる喜びは何者にも変えられない興奮があります。
点が決まった瞬間、ピンチを防いだ瞬間、
失点した絶望感、勝った時の幸福感。
全てが目の前から押し寄せて、一瞬で自分の周りで爆発する感情と、その中に身を置く快感。
あれはダメ、これもダメと言われても、
この感覚だけは変わらないのだ、とコロナ禍のスタジアムで再確認しました。
よくスポーツ観るなら生だ!なんて言いますが、何故なの?という問いにたいする答えがまだ私の中でみつかりません。
いや、なんとなくわかってはいるのですが、
それを言語化する能力が無いんです。
体感的にわかっているだけで。
しいていば、多くの方にスポーツを現場で体感して欲しいというだけです。
みんなで乗り切るしかない
私が体感したコロナ禍でのプロスポーツ観戦。
安全性や応援スタイル。
実際現場で体感して感じた、良さと違和感。
新しいスタイルでは決して補えない壁。
色々ありましたが、この状況が一生続くとは思いません。
何度も言いますが、ここまで尽力されてきた関係各位皆さまには本当に感謝です。
その上で改めて、あの熱狂のスタジアムが一日も早く帰ってきますように、と願わずにはいられません。
そして、今はその時まで、スポーツを愛する人々が一丸となって乗り越えていくしかないのだと、ガラガラのスタンド、声なきスタンドを見渡し、思いました。
最後に少しだけ。
そんな中、オリンピックが近づいています。
無観客か有観客かの議論もおきています。
最後は偉い人が決める事でしょうが、
どうか、スポーツ界のことを「オリンピックファースト」で判断しないでいただきたい。
オリンピックも、Jリーグも、プロ野球もBリーグも、高校野球も、中学の大会も小学生も、
普段の部活動も。
スポーツにかける想いの大きさは同じです。
オリンピアンと高校生。
同じです。
オリンピックは開催。
甲子園は中止。
それはないと、信じたいと思います。