チェコ語学校へ行こう♪1348年、ボヘミア王・カレル四世が創立したカレル大学傘下のスクールで、あまり引き篭もらずに仕事のベースを築いたコロナ禍生活。
物価の高〜い欧米でケチケチ生活の日々を過ごした後、日本に戻ると、一瞬、その割安感にホッとするものだが、徐々に危機感を抱くようになってくる。Made in Japanのクオリティは依然、世界最高水準を保ちながらも、国力低下を如実に示す円安が招く海外からの観光客の嵐。一方で、円安の錘が着いて飛び立てなくなった日本人。これでいいのか、我が祖国?それでも円安を是認する日銀・植田総裁のしどろもどろな答弁と隠し事に終始する人間の相は、太陽の沈む国を象徴しているようにも映った。我が国の金融政策を牛耳る首領が、斯様にも不様に、国民に向けて放ったインチキ臭~い茶番会見...hmmm...唖然とさせられましたな@@;
私がコロナ禍暮らしたチェコの独自通貨は”コルナ(koruna; 巷ではKčと表示される)と云って、未だEUの単一通貨ユーロを採用していない稀少な国の一つであるが、ウクライナの空に暗雲が立ち込めて来た頃から、急激な物価上昇のカーブを描いた。それでも、周辺のドイツやオーストリアを旅した直後のプラハで、Kč建てのスーパーの値札を覗くと、生鮮食料品のクオリティはさておき、日本に戻った様な安心感を覚えたものだ。それと同時に、ヨーロッパのどんなに美しい街を旅して帰った後でも「やっぱプラハが一番綺麗!」と必ず、眼前に広がるおとぎ話の様な絶景に、あらためて息を吞み、幸せを踏みしめながら街を歩いたものだ。
寝ても覚めても夢の中にゐる様な、掛け替えのない時間を過ごしたプラハの歳月。私の通ったカレル大学(Univerzita Karlova)傘下のチェコ語学校(通称ůjop:ウーヨップ)は、そんなプラハの街のど真ん中に、堂々と校舎を構える。国民劇場(Národní divadlo)のすぐ裏手に佇み、写真のカレル橋(Karlův most)とプラハ城(Pražský hrad)を見上げるこの絶景まで僅か五分も掛からない好立地。私は、いつしか、この街に暮らさずして、この学校に通わずして、死ねなくなっていたのだ、笑。
案の定、パンデミックの煽りを受け、2020年秋期が開講されて1カ月が過ぎた辺りからオンライン授業に切り替わった。が、そのお陰で、日本からのリモートワークを抱えながらの二元生活を、よりスムーズにこなしていくことが出来た。毎夕、腰痛になるまで百塔の街を練り歩いたが、その後は晩ごはんを挟んで、また脳みそがクタクタになるまでチェコ語の滋養も詰め込んだ。が、毎日が好奇心で満たされ、全く苦ではなかった。オンライン授業は2021年春期いっぱい続けられた。
学校の所在地も超一等地だったが、担任のクオリティも極めて高く、ůjopのチェコ語教師の顔ぶれは、ほぼ女性ばかりだったが、女の人らしいキメ細やかな指導で、時折り、補習まで無償で付き合ってくれた。お陰で、毎日、一歩ずつどころか数段ステップアップ出来ている実感が持てた。
教科書も、入門のA1レベルからA2-B1レベル(いつか市民権が欲しくなった時に必要とされるレベル)までは【krok za krokem:(ステップbyステップ)の意】と云う非常にコンテンツが面白く充実したテキストを用い、チェコに纏わる様々な事柄を幅広く知れるし、遊びながら勉強している感覚が持てた。チェコ語の発音って、中国人やアメリカ人の友人達は酷く苦労していた一方で、日本人にとってはカタカナ読みそのままでも相当なフェーズまでは通用するし、文法に従順な言語でもあるので、我々の舌や国民性、と云うかガリ勉性?にもフィットする外国語だな、とも感じている、笑。
この学校に通う利点の一つは、期末試験が、そのまま国家試験として認定される点かもしれない。つまり、他の少し割安な民間のチェコ語学校に通ったとしても、結局、各レベルの認定試験を受ける際には、受験料を払って、このůjopの先生方を相手に口頭及び筆記試験を受けねばならないから、二度手間を強いられることになる。ここでは当然、期末試験が近づくと、本試験と同型式の模試が数回実施されるので、準備万端でその日を迎える事が出来る。
試験は、読解、文法、作文を最低各60%得点して一先ずクリアした上で、最期に一番緊張する口頭試験が後日、待ち構えている。そこでも、やはり60%の壁を越えなければ合格出来ないどころか、既にクリアしたはずの先日の三科目も、このスピーチのテスト一つに落第してしまえば、全て台無しで、このレベルの試験自体に”不合格”を宣告されてしまうのである。ひえ〜っ@@; 友人達の中には、そうやって数学期間同じレベルに挑戦し続ける輩も居たが、私の年齢では、仮に一度でも落第していたなら、そこまでの気力は、とても生まれなかったはずだ。それだけ一学期の中味はコテコテに濃密で、ぎゅうぎゅうのパンパンに詰まっているのである。
2022年の夏は、アメリカ人の女の子を誘って、夕刻からのB2レベルを受講した。このレベルをクリアすると、大学入試に挑める段階だが、クラスメイトはもう我々二人以外全員が、ロシア人とウクライナ人と云う、チェコ語に酷似したスラブ語を母国語とし、故国は戦時下と云う因縁の両国の生徒達で、完全に語学的には四面楚歌な状況だった。つまり、そこまでの人生で蓄えられたボキャブラリーに圧倒的な開きが横たわる中で、彼らの余裕綽々ムード、かつ多少上から目線の逆境に立ち向かって”おんどりゃ!”と劣勢に風穴を開けねばならない。サッカーの試合に例えるなら、圧倒的なボール支配率の差で90分間絶えず攻め込まれながらも、ひたすら守りを堅め、相手がへとへとに疲れ果てた後半ロスタイムに、あわよくばカウンターで一点奪って勝ちたいのである、笑。
思惑通り、彼らに対しアドバンテージを取れたのは、日本人お得意の文法やチェコ語の正書法などの守備的なカテゴリーだったし、どれだけ周りのロシ杏やウクライ奈が、ペラペラオラオラ東スラブ訛りのチェコ語風を捲し立てて喋り倒し、完全に教室の空気を支配しても、結局、その日の授業の最後に実施されるミニ試験では毎度、日本人の私がトップに躍り出た、笑。上の写真の大先生は、私が優位に立てる場面では必ず、この小さな日本人ガイを前面に推し出して、男勝りなガラガラ声で豪快に褒めちぎり、一方で、スラブ語圏の級友達には痛快な叱咤を浴びせ奮起を促し、クラスの中に確固たる私の居場所を作ってくれた。一昨日は、母の日だったので、そんな深い愛情を、こんな短足アジア人に注いでくれた恩師に想いを馳せ、感謝に耽っていた。仰げば尊し我が師の恩ですな、ぐすん。。。
結局、麗しいウクライ奈やロシ杏のクラスメイト達とも、放課後にはボルシチを啜ったり、ビールを呑んだり、仲睦まじい関係を築くに至った。祖国や家族が戦争を闘う彼らの背負わされた人生の酸味や苦味を、聴き役として受け止めながら、広島の街を思い出すことも多かった。
広島でもまもなく、アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した『マウリポリの二十日間』が封切られることになっている。あの夏の級友達にも想いを寄せながら観賞してみようと思っている。
アサヒビール傘下の”Pilsner Urquell”はじめ、チェコのビールって総じて周辺国より美味しいのに、格段に安い。この季節から徐々にプラハも夏日が増えて来るし、旧市街の石畳で歩き疲れた脚を一旦休め、暫しホロ苦い泡で喉を潤し、また百塔の陰に護られながら街歩きに戻るのは、実に幸せである。チェコ語をちぇこっとでも齧っていると、なお一層、お散歩も充実しますぞ。
末筆ながら、シカゴカブス・鈴木誠也の戦列復帰に”乾杯=Na zdraví(ナズドラヴィー)@@/”
追伸、私の通ったカレル大学傘下のチェコ語学校ůjopのURLを貼っておきますが、私は決してチェ娘の回し者などではありません、笑。
https://ujop.cuni.cz/UJOP-1.html
広島にお住まいの方は、基町クレド(パセーラ)10階の中国新聞文化センターで、昨今、御CARP仲間に入れて頂いた著名な先生がチェコ語講座を開講されています。チェコ旅の前に是非お出掛け下さい。ここでもやはり、私は新聞社の回し者では御座いませんので、笑。
https://www.c-culture.jp/pamphlet/1000024991.pdf
尚、恩師と級友の写真は許可を得て掲載しています◎
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