我が愛しのインドネシア語講座: 仕事の基礎は、夜な夜なこの教室で培われた◎
ヨーロッパのことをエロパと読んだり、ベースボールはビスボル、ソフトボールはソフボルだったりと、ただただ響きの可愛さが、私にとっては漫才レベルで面白かったが故に、インドネシア語とやらを第二外国語に選択してしまった。デヴィ夫人くらいは知っていたけれど、バリ島やジャワ島がそのインドネシア共和国とやらに属することすら知らぬ青二才の春だった。
田舎者が、大都会の下町・三軒茶屋のキャンパスにメトロに揺られて通う日々はクールに楽しかったけれど、履修科目では四年間、インドネシア語以外には面白い科目が皆無だった。その唯一無二、どっぷりハマったインドネシア語も週2コマのみ。19歳の書生のしたたる欲望はそんな頻度では収まらず、老齢のインドネシア人教授が、かわいい女の子達に向かって「キミたち〜夕方から大使館のインドネシア語講座行かな~い❓」と誘っているのが聴こえるや「はい、あたし行きますpak」っと即座に横槍を挟んだ。Pakと付けるのは、目上の男性に対して日常的に用いる敬意で、女性への場合はBuと呼びかけるので、日本人女性は常に微妙なリアクションを強いられることになる。何せ、ブですからね、bu!
インドネシア共和国大使館が主催する日本インドネシア協会[JAPINDA]のインドネシア語講座(KOI)は当時、目黒の大鳥神社に近い高級住宅街のド真ん中に、異国の飛び地の様に横たわる東京インドネシア人学校【通称バライインドネシア=インドネシアの集会所、の意】で開催されていた。20世紀末に私が毎度通っていた頃には、初中上級の三クラス合わせて百名近い受講者が、インドネシア人学校のこども達の机や椅子を拝借して、夜な夜な席を埋め尽くしていた。交換留学予定の高校生から80代の高齢者まで老若男女問わず、インドネシア人教師達の温和なキャラクターやイケメン教師の人気ぶりも相まって、毎晩、満員御礼の賑やかな学び舎だった。私の周りも、講習会の会長として大団円の頭に座るに相応しい、ルックスもキャラもカーネルサンダースそっくりの高齢のお医者様から、バリ島のビーチボーイズとの恋の空騒ぎに焼け焦げ気味のお色気振りまくお姉ども、歳も近い他大学の学生たちまで、実にごちゃ混ぜに座っていた。
ちなみに、ゴハンの上に数種好きなオカズを選んで乗っけて食べるインドネシアの定番は、ナシチャンプル(ごちゃ混ぜゴハン)と呼ばれる。当時の修了証授与式には、必ず駐日インドネシア大使も出席して盛大に執り行われていた。その晩餐には毎回、ルンダンと云う牛肉のココナッツミルク煮込みや、デザートには甘いココナッツ団子が供されて、美味しかったなぁ。インドネシア国内で食べるビーフって、一概に肉質が硬いので、あんなに柔らかく煮込まれた美味しいルンダンは現地では食べられないのである、笑。落語に噺された目黒の秋刀魚もさぞや旨かったのかもしれないが、目黒のルンダンも格別に刺激的な美味だった。当時は、この修了式を合わせて全21回で¥22,000ポッキリと云う破格だったが、昨今は心持ち円安な受講料に変動しているようである。コロナ禍に陥った2020年の4月途中から、ZOOMを使ってのオンライン講座に切り替わってしまったが、我が愛しのインドネシア語講座、ド薦めします。
お問い合わせは日本インドネシア協会まで。
https://www.japinda.or.jp/indonesiaclassjapan
2019年の秋の夜に、約20年ぶりに懐かしのインドネシア人学校の教室に通ってみた。翌年からチェコに暮らすことに決めていたので、その前に脳みそ内のインドネシア語部みたいな室を、最大限覚醒しておきたかったのである。2010年からバリ島に在る国立ウダヤナ大学に留学したりして、インドネシアに暮らした歳月も流れたが、また老後に暮らすかもしれないので、冷凍保存のインドネシア語パックみたいなものを備蓄しておきたかったわけである。お陰様で、チェコからの帰国後もインドネシア語通訳が無難に務まっていると云うことは、インドネシア語ってやっぱり、日本人の舌や脳みそにぴったりフィットする外国語なのだろう。
ひさしぶりに在籍したクラスの規模は以前の三分の一程度で、講師も以前とは別のジャワ人紳士が務めていたが、相変わらず、講師は変われど教え方がすこぶる洗練されていた。テキストも日本の書店で市販されているものとは段違いに実践的で、コンテンツも面白い。これはどこの国の大学や語学学校に通っても、毎度ほぼ同じ感慨を受ける。その国の教育機関が外国人学習者用に練り上げた教科書って、総じて凄い渾身の完成度を誇るものである。
写真は、その秋季の東京インドネシア人学校での講習会の一景であるが、この夜の講師は、いつものジャワ人講師のお嬢さんで、見事に父上の代役を務めてみせた。この学校の卒業生でもある彼女は、Erikaちゃんと云ってJKT48でも活躍した美少女。あの晩ほど、神に、いやアラーに感謝した夕べはありませんな、笑。しかも、普段は人前に出る宿命のエンターテイナーな娘さんだから、ひとたび調子に乗ってくると、父親顔負けの熱血インドネシア語教師ぶりで【恋するフォーチュンクッキー】こそ聴けなかったものの、奇跡の熱〜い90分間の熱弁パフォーマンスに、クラスのムードも、このオっさんのモチベーションも最高潮に達した、笑。
オマケのインドネシア語を少しだけ。
インドネシア共和国大使館のことは、
KBRI(カーベーエルイー)と短略して、インドネシア語読みで頻繁に用いられます。Kedutaan Besar Republik Indonesiaの略称です。
が、JKT48の場合は、インドネシア語読みそのままならば「ジェーカーテーウンパップルドゥラパン」と読みますが、そうは呼ばれずに、日本同様にジャカルタでも「ジェイケーティーフォーティーエイト」と英語読みで呼ばれています、笑、pak秋元康プロデュースですから。ちなみにJKT48のメンバーみたいな未婚のまだ若〜い娘たちには、敬意を示したつもりで「Bu~!」とか呼び掛けても、振り向いてくれないかもしれませんので、ご注意ください( ´∀` )笑。一方で、ビジネスの場では、取引先の相手が若くても、必ずpakやbuを相手に付けて呼び掛けることをお勧めします。