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チェコアニメ界のドラえもんは、モグラくん《Krteček》
《もぐらたたき》のハンマーを嘲笑うかのように、モグラは自然、土にモグる。チェコ語でモグラを《Krtek:クルテク》と呼ぶから、チェコを象徴するそのアニメのメインキャラクターは、そのまんま何のひねりも無く《クルテク=モグラ》と名付けられたはずなのだが、この愛くるしいモグラくんを、まんま《クルテク》と呼ぶチェコ人は、滅多に存在しない。
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(以降、カレンダーより抜粋)
万が一、そんな輩がゐるとすれば、おそらく他所の土地で生まれ、大きくなってから何らかの事情でチェコに棲む事になった、いわゆるモグリであろう。生粋のチェコ人は、必ずその愛嬌たっぷりのキャラに、愛情たっぷり込めて《Krteček:クルテチェク=モグラくん》と呼ぶからである。まさに、僕が生まれ育った時代のドラえもんの如き《国民的キャラクター》と呼べるだろう。
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幸い、チェコ国内のチェコ語教室に通って、その言語を1から勉強していると、頻繁に愛用される教科書【Czech Step by Step】の2段目のレベル(A2)の第6課で、このモグラくんと、その誕生秘話などについて学ぶ機会に恵まれる。ニューヨークでMLBを通して、お膝元のメッツやヤンキースに熱狂しながら米語を学んだ様に、プラハでクルテチェクに纏わる溢れ話をも通して、チェコアニメの世界に遊びながらチェコ語を教わり、僕のチェコ語への愛も、クルテチェクのキュートな下っ腹のように、モコモコと膨らんでいったわけである。
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ヴルタヴァ河からヴェニスの海原へと漕ぎ出した。
『まる書いてチョン』の絵描き唄に倣って、我々がドラえもんを描くように、担任のズザナ先生が、クルテチェクをオンラインボードに描いてみせた。仕上げの髪の毛を、愛おしそうに下から上へ三本刎ね上げると、一斉に”ON”にスウィッチされたマイクの向こうから、黄色い歓声が”キゃ〜!...””キゃっ!...”途切れ途切れにこだまし、そこに多言語訛りのチェコ語の喝采が”ヨ〜!...””ヨっ!...”(Jo=英語”yeah”的ニュアンス)とまた、途切れ途切れにシンクロし、コロナ禍のオンラインレッスンは、どっぷり胸キュンムードに包まれたものだ。
クルテチェクの産みの親、ズデニェク・ミレル(1921-2011)はプラハからのアクセスも良いクラドノで生まれ、プラハの美術工芸学校に学んでいた折、戦争の煽りを受け、学業を断念し、Baťa(Bata)の靴で有名な街・ズリーンに在った映画制作所で、そのキャリアを踏み出した。その後、プラハで既にチェコアニメ界のトップランナーとして、飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍を見せていたイジー・トゥルンカが、若手アニメーター達に担がれる形で、暫時主宰していたセルアニメの制作スタジオ【トリック兄弟】の門を叩いた。
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このトリック兄弟スタジオのロゴデザインが採用されるなど、瞬く間に頭角を現したミレルは、1954年、制作中のアニメ映画の劇中、小さなこども達に分かりやすくリネン工場の工程を説明する、と云う課題に迫られた折、その役に打ってつけの愛くるしいアニマルキャラの考案を委ねられた。
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彼の生家である事を告げる銘板@クラドノ
来る日も来る日も、ミレルは郷土・クラドノの森をグルグルさまよい歩き、しかし、想いはカラカラ空回りし、ため息交じりにトボトボ歩いていた肌寒い季節の曇天の道すがら、不意に、不自然に盛り上がった土のヤマに目が留まった。いわゆる、モグラ塚である。東の空から押しつけがましくモクモクと、チェコスロヴァキア上空に垂れ込めていた憂鬱なコミュニズムの暗曇を映し出したように、どよ〜んと沈殿していたミレルの迷いも圧も視界も、その一瞬に霧散し、晴れ渡った瞬間であったろう。
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1957年、クルテチェクをメインに起用したアニメ映画【モグラとズボン】は、時を遡ること1948年に、イジー・ウォルケルの原作に基づいて制作した自作【お陽さまを盗んだ億万長者】での特別賞受賞に続き、ヴェネチア国際映画祭に於ける《こども映画部門最優秀賞》を受賞し、ズデニェク・ミレルの名は、鉄のカーテンの西側にも凛々と響き渡った。
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なかよくクルテチェクと並んでスポットライトを浴びたこの2度目のヴェニスでの栄光こそ、故郷・クラドノの森から助走して、駆け出したホップステップのプロローグを、遂にジャンプさせて、四大陸の大地に向かってワイドに跳躍し、キュートに撓んだ曲線を描いてセンセーショナルに着地して、世界を魅了した、云わばズデニェク・ミレルのワールドレコードだった、とさえ言えるのではないだろうか。
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一方で、このクルテク主演作品第一弾【モグラとズボン】が唯一無二、クルテチェクが台詞を吐く作品となった。次作以降は、全篇オノマトペのみで、彼や森の仲間たちの感情をナチュラルに表現し、効果音・サウンドを編み込むスタイルを踏襲しているわけで、その録音の記録と記憶は、チェコアニメ界の歴史を物語る上で、伝説的なアーカイブとなったわけである。
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日本国内でも、1967年以降、クルテチェクの絵本が出版され【もぐらとズボン】【もぐらとじどうしゃ】など、現在に至るまでニッポンの児童に愛され続け、絶えず版が重ねられている。
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クルテク(もぐら)以外の森の仲間たちも、みな一同に、その動物(カエル・ネズミ・野うさぎ・ハリネズミなど》のチェコ語名そのまんまズバリが、キャラのネーミングとして採用されている。つまり、まだ言葉や文字を識らない無垢なこども達がダイレクトに、その大好きなキャラクター名を、大好きなママの口から発せらるるがままに、モゴモゴ真似し、ごにょごにょリピートし、そのまんま愛しのキャラにキャ〜キャ〜熱狂しながら、わさわさ追っかけることが出来るわけである。
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ドラえもんが21世紀に向かう我が国のテクノロジー社会をシンボリックに演じて、こども達に夢や愛を与えてくれた様に、クルテチェクもまた、チェコ人・スロバキア人の想いや時代を背負って、チェコスロバキアらしい守りのキャラを演じながら、こども達に愛や希望を与え続けた国民的シンボルである、と僕は感じている。
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身勝手に《世界》を意味する《ソヴィエト》連邦などと名乗る暴力も厭わない血気盛んな征服者と、巷に跋扈する内なる傀儡の脅威にも晒されながら、チェコスロヴァキアの民衆は、決して奴等に暴力で抗わず、ひたすら守りを固め、その嵐が過ぎ去るまで凍土の中にモグって身を守り、仲間をも大切に護り抜いた。
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特筆すべきは、クルテチェクが演じた様に、余計な言葉の暴力さえ放棄して、チェコ人・スロバキア人らしいユーモアさえコミュニケーション手段のハートとして鼓動させ、愛とユーモアをブレンドさせながら、スープの如くコトコト温め続けてみせたソウルフルなアイデンティティや、その内に滾るスラヴォニックなプライドであろう。
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人が人を支配しない。そんなシンプルな事が叶わない俗世間から離れて、森の仲間達と遊びながら、森に掘った寝床でくつろぎながら、クルテチェクはマイペースに暮らす。言わば、逃げるが勝ちの防空壕から、共産主義のアンダーグラウンドでは『口は災いの元』と言わんばかりに言葉を用いず、しかし、人生で肝心な当たり前の事を、いとも単純明快にスウィートに演じてみせたわけである。
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クルテチェクのそんな丸腰の勇気英気男気、そして心豊かに欲張らないシンプルな生きざまとライフスタイルに、僕も共鳴し、その名も無きキャラクターに自らを投影し、愛し育み続けて来た名も無きチェコの人々にも共感し、彼らが果たして守り切ったボヘミアの都・プラハにモグって暮らした仕合わせなコロナ禍と、そのビフォア・アフターを、いま静かに振り返っている。
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仕事の〆切が迫り、東京からのスマホが鳴った途端に、チェコの森にモグりたい焦燥にも駆られ、ジタバタあたふたドタバタぺこぺこしているのも、広島の、しどろもどろな現実じゃがね...(><)!
叩かれる前に悦んで『モグろう、しかし叩くまい』そんなモグラくんの守備的なライフスタンスは、いつも心にモグらせておきたい、現代を生きる流儀にさえ映るのである。
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追伸、
ズデニェク・ミレルは、現在、ベドヂーハ・スメタナが《交響詩・我が祖国》に謳った『Vyšehrad(高い城)』に横たわる国民墓地にゴソゴソ、クルテチェクとともにモグって、なかよく《モグラ塚》に枕を並べ、スヤスヤと眠っているはずである。
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ヒルトップの国民墓地にお参りしようjo@@/