世界のコートから ザンビア編 Vol.2
『スポーツイベント・ハンドボール』2019年11月号~20年1月号に掲載した「世界のコートから ザンビア編」を全文公開します。ザンビアとつながるきっかけについての記事・第1回に続き、今回は現地での実際の指導などを紹介していきます。
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海外でハンドボールの普及に携わっているみなさん。その活動について紹介してみませんか?
興味がある方はhandball@sportsevent.jpあてに、題名を「世界のコートから」係としてご連絡ください。
筆者:芳村優太/26才(記事掲載当時)。大学卒業後に海外留学し、その後、ザンビア男子ジュニア代表監督を務めた。現在はJCO専任コーチジュニアアスリート担当として活躍中。
みなさん、こんにちは。芳村優太と申します。前回の記事で、ザンビア共和国(以下、ザンビア)の男子ジュニア代表監督を務めさせていただいたことを田代征児さんにご紹介いただきました。
今回、ザンビアジュニア代表監督としての経験してきたこと、IHFトロフィー・アフリカゾーン6(国際ハンドボール連盟がハンドボール途上国を支援する大会の南部アフリカ大会)という大会に参加した時のことをお伝えしていきます。
人生をかけた挑戦としてザンビアへ飛ぶ
2017年、早大男子部のコーチとして参加した関東学生秋季リーグの際、筑波大の藤本元監督からの、「12月にザンビアに行ってもらうかもしれない」というひと言から、アフリカとのかかわりがスタートしました。
当時、ザンビアでハンドボール発展に尽力していた田代さんは、日本人をザンビアに派遣して強化合宿をしたいが、海外に慣れていて、かつ1週間程度時間を割けるコーチ探しに苦戦していたそうです。そんな中、たまたまその年の6月までフランス・モンペリエにコーチ留学しており、比較的時間に余裕があった私に打診があったというわけです。
話をいただいた時は、治安はどうなのか、病気などの対策は大丈夫なのか、などもとくに気にならず、「1人のコーチとして海外に行けるなら」という気持ちと、なんだか楽しそうなことが起こりそうだと直感的に感じ「YES」と答えました。
そしてその年の12月、初めてザンビアの地に立ちました。現地で指導をした時、彼らの身体能力は予想を超えるほどの素晴らしいものでした。ですが、ハンドボールのレベルはけっして高いとは言えません。パスミス、キャッチミスの連続で、練習にもならないような状況でした。
17年12月での強化合宿のようす。
この時期はパスキャッチもままならなかった…
私自身、英語でのコーチングが初めてだったこともあり、うまく選手たちに伝えられず不完全燃焼でした。「もう少し英語を話すことができたら、もっと時間があったら、彼らの身体能力を活かしたチームを作れるのに…」。日々、そう感じていました。
現地でそんなことを考えていると、ザンビアジュニア代表監督の打診をいただきました。ですが、ザンビア代表が出場予定のIHFトロフィー・ゾーン6は関東学生春季リーグと日程が重なっていたため(18年4月開催)、引き受けるべきか否か悩みました。
しかし、ザンビアの選手たちをもっと成長させてあげられるに違いない、しかも海外の代表チームの監督をやれる機会は二度とめぐってこないと思い、当時の早大の選手たちには申し訳ないと思いながらも、人生をかけたチャレンジとして引き受けることを決意しました。
1週間の合宿を終え、一度帰国し、日本で大会に向けて準備を進めていきます。具体的に話が進んでいくと、さまざまなところで日本との違いを突きつけられました。
出発までに集めることができた情報はごくわずか。メンバーは12月に指導した選手たちが中心であること、どの体育館で練習ができるかといった程度でした。大会に何ヵ国が参加するのかもわからず、組み合わせも決まっていません。大会期間中の宿泊先などは行ってみてから、という状態でした。
日本が国際大会に参加する際、事前にどこの国が参加し、どこの国と対戦するのかを知ったうえで対策を練り、少なくとも対戦相手のイメージを持った状態で出発します。
韓国と聞いたら、なんとなくどんなプレーをしてくるのか予想できるかと思いますが、スワジランド(現在の国名はエスワティニ)と聞いて、プレーのイメージを持てますか? 出発前の私は、このように不確定要素だらけの状態でした。
また、大会が始まってからわかったのですが、エントリーはもちろん事前にあるものの、実際は代表者会議に間に合ったチームが大会に参加できるようです。
アフリカにはまだまだ途上国が多く、チームによっては移動費がかさむ飛行機ではなく、数日かかるバスで移動します。その道中にいろいろなトラブルが起こるため、初戦に間に合わないことがある、ということが理由の1つでした。
話を戻しますが、ザンビアに到着してから大会までは2週間。練習もままならない状況から、この2週間で試合がこなせるレベルにまで彼らを導かなければなりません。
ザンビア協会から課せられたミッションはゾーン6の優勝、かつアフリカジュニア選手権の出場権獲得。不確定要素が多い中でも、どのような相手と試合をするかを想定し、どのようなハンドボールをするかを決め、それに合わせてトレーニングプランを立てました。
対戦相手を想定するにあたり、予想の材料となったのは、12月の強化合宿中にザンビアの選手や協会スタッフから聞いた情報と、彼らのハンドボールレベルでした。
そこから、大会に参加してくるチームはおそらく個人技中心であるだろうと仮説を立てました。それをもとに、こちらは攻守ともに組織的にプレーすることを基本としました。
具体的には、OFではザンビアにはまず存在しなかった「攻撃のきっかけ」を導入し、1人ひとりの役割を明確にして切れ目のない連続した攻撃をめざしました。DFでは3:2:1のゾーンDFを採用し、個で守れなくてもチームとしてフォローすることで失点を防ぐシステムを取り組みました。
大会前は3:2:1DFに取り組んだ
この目標に合わせて、大会前の2週間のトレーニング時間をどう使うかを考えました。この時に非常に参考になったのが、前・日本代表監督のカルロス・オルテガ氏(現・ハノーファー監督)のノウハウでした。
彼が指導できたのは大会前のわずか1ヵ月程度と、かつてないほどの短い準備期間でしたが、なんとかチームを完成させ、3大会ぶりに世界選手権の切符を勝ち取りました。そのチーム作りから、戦術的理解度を向上させることに重点を置くようなプランにしました。
限られた時間の中でどのように戦術を落とし込むか
翌年4月、再びザンビアに飛び、到着後すぐにトレーニングを始めました。3ヵ月ぶりに会った選手たちばかりだったので、打ち解けるまでに多くの時間は必要ありませんでした。
しかしながら、選手だけではなくザンビア協会のスタッフや現地の人々に受け入れてもらったうえで、真のザンビア代表をめざすべきだと考えていました。言葉も英語だけにならないよう、選手からニャンジャ語という現地語を少しずつ教えてもらいながら、あいさつや簡単な会話をかわすなど、私を含めての「チーム・ザンビア」実現に取り組みました。
選手には「大会に出場することは戦争をすることと同じだ」「負けたら多くのものを失う覚悟を持ってプレーをしよう」と何度も話し、ザンビア国民を代表することを意識させることもしました。
練習時間は基本的に1時間30分、長くても2時間。最初の30分はパスゲームを行ないました。パス、キャッチの課題を解決することが1番の目的で、30分であっても少しの工夫で選手の集中力が続き、かつゲーム的性質を持っているためです。
日本であれば対人パスや四角パスを行なうレベルでしたが、そのようなレベルであってもパスゲームの方が効果的だということを留学先のフランスで学んでいたからです。そのため、このメニューは毎日取り入れました。残りの1時間から1時間30分は、OF、DFのどちらかに絞ってトレーニングを組み立てました。
OFにおいては、トレーニングをパッケージ化しました。a-1、a-2、a-3というメニューをこなすことで、Aという場面の解決方法を学ばせていきました。それをB、Cというように増やしていきます。
そこからA、B、Cを組み合わせたり、順番を変えたりすることで、きっかけを作り上げていき、その後の継続・展開からフィニッシュまでを教えました。こうすることで、つねに各選手が判断をしながらきっかけを使用し、シュート局面を作り出すことが可能になりました。
2対2では数種類のパターンの順を追って2対2を学んでいくことで、学習効率がよくなります。DFにおいても同様にパッケージ化し、システムの完成をめざしました。
このような練習を積んでいきながら、トレーニングの映像を選手といっしょに観てノートにメモをさせるなど、毎晩ミーティングを重ねることで練習以外の時間も戦術理解度の向上に費やし、身体能力と戦術理解度を組み合わせたチームを構築しながら、本番を迎えました。
今回は大会準備の面を中心にお伝えしました。次回は実際に参加したIHFトロフィーのようすをお話しします。
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