第10話・1931年 『横浜第一高等女学校、眠っていた歴史』
スポーツイベント・ハンドボール2022年8月号(7月20日発行号)で特集の通り、日本のハンドボールは7月24日、「伝来100年」を迎え、新たな発展に向け力強く踏み出しました。
積み重ねられた100年はつねに激しく揺れ続け、厳しい局面にも見舞われましたが、愛好者のいつに変わらぬ情熱で乗り切り、多くの人に親しまれるスポーツとしてこの日を迎えています。
ここでは、記念すべき日からWeb版特別企画で「1話1年」による日本のハンドボールのその刻々の姿を連続100日間お伝えします。
テーマは直面した動きの背景を中心とし、すでに語り継がれている大会の足跡やチームの栄光ストーリーの話題は少なく限られます。あらかじめご了承ください。取材と執筆は本誌編集部。随所で編集部OB、OG、常連寄稿者の協力を得る予定です。
(文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)
バックナンバーはこちらから→マガジン「ハンドボール伝来100年」
神奈川県立横浜第一高等女学校ハンドボール部。ついに体育の授業で習ったハンドボールの魅力をチーム(部)結成へつなげた「学校」が出現した。
同校校友会(真澄会)誌「花橘」1931年3月18日発行号の「新設の部」欄にハンドボールを紹介した記事が載っている。刊行の日付から推せば部の発足は1930年とも思われる。ハンドボールの競技性を「教材」から見つけ、さらに楽しもうと同好の人たちが集ったのだろう。
じつは、この短信は当時、話題とされたものではない。80年以上経った2011年、同校の歴史を継ぎ男子チーム(部)も設けられた横浜平沼高校のハンドボール部OB・OGたちが“母校”の歩みを探る中で遭遇した。
さらに調査を進めると、記事とは別ページに「雪中のハンドボールチーム」として掲載された写真が1931年2月15日に地元新聞が報じたものとわかった。学校関係者の間だけで伝えられた動きではなく客観的な裏づけを得たと横浜平沼高校OB・OG会は2021年6月に「創部90周年」と謳(うた)った記念誌を世に出した。まさに眠っていた歴史、である。
陸軍戸山学校(第8話・1929年の項参照)同様、横浜第一高等女学校にも対外チームとの試合記録は今のところ見つかっていないようだ。
「高女」のハンドボールは競技スポーツの可能性を多分に持ち合わせていたと思える。最大の難点だった競技ルールが整備されると1930年代後半は岡山県内で急速に発展、1940年代は大阪を中心とした近畿圏で盛り上がる。
第11回は8月3日公開です。
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