第95話・2016年 『リオ逃がし東京2020へ新路線』
伝来100年を1年1話で振り返る企画も残り10話を切りました。記憶に新しい身近な話題が続きます。引き続きご愛読ください。取材と執筆は本誌編集部。(文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)
バックナンバーはこちらから→マガジン「ハンドボール伝来100年」
「東京オリンピック2020」の前に“自力”でオリンピック出場をという目標を果たす最後のチャンスとなった女子のIHF世界最終予選(OQT)、日本は3月メス(フランス)での2組に出場、チュニジアに37-20と快勝、期待を高めたが、オランダに25-33、フランスに17-25で敗れ夢はついえた。
あと4年。日本協会は強化部門を中心に「東京対策」の検討を重ね、「男女とも外国人監督の起用」を決断、女子は早々と6月にウルリク・キルケリー(デンマーク)の新任を発表、男子は複数の候補から11月になってダグル・シグルドソン(アイスランド)に決定した。
シグルドソンは2000年から3シーズン、日本リーグ・湧永製薬(広島)で活躍した経歴を持つ元アイスランド代表選手だ。日本協会の正式発表、就任は世界選手権(2017年1月)のあととなる。
男子代表は1月の第17回アジア選手権(バーレーン)直前、アントニオ・カルロス・オルテガ(スペイン)を監督に迎え、初戦で韓国を31-25で破る好スタート、公式戦での韓国からの勝利は26年ぶりだった。
勢いを得た日本は一気にベスト4へ駆け上がり、準決勝でバーレーンに敗れたが、3位をかけたサウジアラビア戦を25-16で奪い、翌年の世界選手権(フランス)へ3大会ぶりの出場権を得た。日本協会はオルテガに引き続きこの大会までの指揮を要請、承諾を得た。
この人事と並行して「オリンピック男子監督」の選考も進められていたことになる。
アジア・ハンドボール連盟(AHF)が懸案の女子クラブ選手権をスタートさせた。初大会は10月、カザフスタンに4ヵ国6クラブの参加で開かれたが、日本協会は男子同様、日程を理由に不参加を決めた。男子はすでに19回、日本選手権や日本リーグの勝者はほとんど意欲を示さずに過ぎている。再検討を望む声は以前のようにゼロではない。
9月、アジア・オリンピック評議会(OCA)はダナン(ベトナム)での総会で2026年の第20回アジア大会(夏季大会)を「愛知県・名古屋市(共催)」で開くことを決めた。会期は9月19日から10月4日、ハンドボール(男女)会場は春日井市総合体育館と稲永スポーツセンター(名古屋市港区)の予定。
日本車椅子ハンドボール連盟会長に1970年代を代表する名手、木野実(立教大学-湧永製薬)が新任(5月)。ミュンヘン、モントリオール両オリンピック代表、競技生活を終えたあとは大学指導者、車椅子競技の普及に力を注いでいた。「レジェンド」と呼ばれるにふさわしいハンドボール・ライフだ。
第96回は10月27日公開です。
よろしければサポートをお願いいたします。いただいたサポートはよりよい記事を作っていくために使わせていただきます。