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第38話・1959年 『東京オリンピック1964決まる』

スポーツイベント・ハンドボール2022年8月号(7月20日発行号)で特集の通り、日本のハンドボールは7月24日、「伝来100年」を迎え、新たな発展に向け力強く踏み出しました。
積み重ねられた100年はつねに激しく揺れ続け、厳しい局面にも見舞われましたが、愛好者のいつに変わらぬ情熱で乗り切り、多くの人に親しまれるスポーツとしてこの日を迎えています。
ここでは、記念すべき日からWeb版特別企画で「1話1年」による日本のハンドボールのその刻々の姿を連続100日間お伝えします。
テーマは直面した動きの背景を中心とし、すでに語り継がれている大会の足跡やチームの栄光ストーリーの話題は少なく限られます。あらかじめご了承ください。取材と執筆は本誌編集部。随所で編集部OB、OG、常連寄稿者の協力を得る予定です。
(文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

バックナンバーはこちらから→マガジン「ハンドボール伝来100年」

東京オリンピックが決まった。

日本は世界に向けてハンドボールの実施を約束した――1964年夏季オリンピックの開催地を決める第55次国際オリンピック委員会(IOC)総会は、5月ミュンヘン(西ドイツ)で開かれ総会第2日の5月26日、4都市の立候補によるIOC委員の投票が行なわれた。東京都が1回目で34票を獲得、アジアで初めての開催となった。

ほかの3都市は、デトロイト(アメリカ)10票、ウイーン(オーストリア)9票、ブリュッセル(ベルギー)5票で東京都の圧勝だった。公約された実施競技はこの時点でIOC憲章に載る全21競技。ハンドボール界は沸く。
 
1940年返上の無念を知る人の多くが健在、「今度こそ」が自然に合言葉となる。パイオニア・シニア・現役愛好者の一体感が生まれた。
 
全日本学生連盟は選手強化対策の一環とし、1956年から中断していた「選抜東西対抗」(オールスターゲーム。1948年から開催)を4年ぶりに復活させると発表、11月、東京・国立競技場での全日本学生王座決定戦に先立って第9回として開いた(男子11人制のみ)。
 
残念なのは世界男子11人制選手権(6月、オーストリア・ウィーン)への参加が、支援を予定していた西ドイツ・ハンドボール連盟の調達が進まず、「断念」となったことだ。予定通りで進めば「東京1964」が決まって3週後の大会、日本に注目が集まり、得るものの大きい初出場を飾れただろう。
 
8月の全日本総合選手権(熊本・水俣市)の女子は初めて20チームが出場、7人制一本化の効果をのぞかせた。

第39回は8月31日公開です。


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