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過去から未来へ Vol.3 ~書籍『物語 日本のハンドボール』をもとに~
スポーツイベント・ハンドボール本誌で現在も連載中の「過去から未来へ」。日本のハンドボールの歩みを紹介した書籍『物語 日本のハンドボール』をもとに、ハンドボールの生い立ち、歴史に触れ、未来を切り開いていってほしいという願いをベースに、書籍に記された事象や時代背景をより掘り下げてお伝えする当連載を無料公開していく。
Vol.1、Vol.2はこちら
著者:杉山 茂(すぎやま・しげる)スポーツプロデューサー。
元NHKスポーツ報道センター長。慶應義塾大学卒。オリンピック、主要国際大会などのテレビ制作のかたわら、スポーツ評論の著述を手掛ける。近著に『物語 日本のハンドボール』
国際スポーツへと発展
――前号では『ハルパストウム』という家元から、世界各地にいろいろな『流派』の競技が生まれていったとお話ししてもらいました。世界各地で行なわれていた競技が、どのように国際的な『ハンドボール』へと発展していったのでしょうか。
世界中にハンドボールへとつながる萌芽はありましたが、限られたテリトリーを越えて発展させていこうという志向はとぼしいものでした。
その中で例外がドイツです。
ドイツでは1890年代に考案された男子の“格闘技的球技”「ラッフ・バル(ひったくりゲーム)」が、1897年に女子用に「トア・バル」と改良されて人気となり、さらに1915年、「トア・バル」に男子用のルールも加えて再び男子も楽しめる「ハン・バル(ハンドボール)」が生まれました。2年後の1917年にはルールの統一が図られます。
国際ハンドボール連盟(IHF)は1990年「世界で最初のハンドボールの試合は1896(明治29)年夏、デンマーク・フェーン島の東端ニュボルで行なわれた」との見解を証明する文書などをもとに発表、1906年にホルガー・二ールソンによって世界最古のルールブックも完成するなど、ハンドボールの「デンマーク発祥」は揺るぎのないものですが、他の国々にもハンドボールを広めよう、他の国々と競い合おう、というエネルギーは、はるかにドイツが上回っていました。
長年現場で取材を続けてきた著者だからこそ書けた、日本へのハンドボール伝来から現在までを追った力作。(杉山茂著、グローバル教育出版発行)
音楽、文学、政治、軍事などなど、さまざまな面で世界の中での「ドイツ」を示そうと、国家的な視点、野望が、ハンドボールにも反映されたのではないかと思います。
第1次世界大戦(1914〜18年)を機に、強い肉体が求められ、その根源となる母体もしっかりさせようと、女子スポーツが奨励され、「トア・バル」が脚光を浴びた、といった時代との関連も見逃せません。
――国際組織結成を呼びかけ、その中心となったのもドイツでしたね。
1926年、オランダで開かれた国際陸上競技連盟総会でドイツを中心にヨーロッパ各国の陸上競技界からハンドボールの国際組織結成が呼びかけられ、10ヵ国によって同年11月同連盟内に「ハンドボール委員会」が編成されました。
そして1928年、アムステルダム(オランダ)・オリンピックで国際オリンピック委員会の支持を得て、国際アマチュア・ハンドボール連盟(IAHF)が設立されました。
急速にスポーツ界での階段を駆け上がっていったハンドボールは、1931年に開催が決まった36年のベルリン・オリンピックで、正式種目として実施されます(男子11人制)。
これはドイツの力以外のなにものでもありません。
じつはベルリン・オリンピックは、20年前の1916年に開催される予定でしたが、第1次世界大戦により中止となっています。
もし、1916年にベルリン・オリンピックが開催されていたら、国際組織のなかったハンドボールが実施されることはありませんでした。
また、1916年に実施されていたら、そのわずか20年後に再びベルリンが開催地となることも考えにくいです。
1936年のベルリン・オリンピックだったからこそ、ハンドボールにチャンスがめぐってきました。時代の流れや目に見えない大きな力がハンドボールに与えた影響の大きさを感じます。
――ドイツ、デンマークの両国を中心にハンドボールは発展していった、と言っていいのでしょうか。
中央ヨーロッパ有数の世界都市、プラハ(現在、チェコの首都)を中心に、『ハゼナ』と呼ばれる屋外ボールゲームが行なわれていたことも見逃せません。チェコでは現在もハンドボールのことを『ハゼナ』と呼びます。
世界女子ゲームズ(1922、26、30、34年の4回開催)の第3回大会(30年、プラハで開催)で、女子最初の公式国際試合が行なわれたのも、チェコ(当時はチェコスロバキア)の存在があってこそです。
言葉の難しさもあり、チェコの発祥には日本人がだれも深く踏み込んでいませんが、ドイツ、デンマークを超える歴史が出てくるかもしれません。
ドイツの「インドア(7人制)」はヨーロッパ各国より遅れ、冬の長い北欧諸国が第2次大戦後、国際組織の主導権を握ったことで「フィールド(11人制)」との立場は逆転。中でもデンマークは熱心に歴史を掘り起こしました。ハンドボール史のおもしろさです――。
今月のキーワード
「ドイツとデンマーク」
“元祖”をめぐる論争の激しい時代もあったが、IHFはデンマークを「近代ハンドボール発祥国」とし、1997年にはデンマーク・ニュボルで世界選抜とデンマーク(男子)による「ハンドボール生誕100年記念試合」を行なった。
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