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あのころを語ろう 第86回 藤田明日香選手(バイア・マーレ/ルーマニア)

月刊誌『スポーツイベント・ハンドボール』の大好評連載『あのころを語ろう』第86回を無料配信。今季、ドイツのドルトムントから日本人選手初のルーマニアリーグ(バイア・マーレ)への移籍を果たした藤田明日香選手のインタビューを、本誌未公開部分も含めて公開します。
※無料で全文を読むことができますが、もしよろしければサポートをお願いいたします。
ふじた・あすか/1996年2月14日生まれ、大阪府出身/166cm/62kg/左利き/RW/市岡東中(大阪)→四天王寺高(大阪)→ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング→ドルトムント(ドイツ)→バイア・マーレ
男子部が全国大会優勝経験を持つ市岡東中でハンドボールを始める。四天王寺高で一心にトレーニングを重ねてポジションをつかみ、卒業後はソニーへ。4シーズンを過ごしたあと、ドイツの強豪ドルトムントへ移籍し、昨季優勝にも貢献。今季からルーマニアでプレーする。

全然ハンドボールを理解していなかった中学時代

ルーマニアに入国してから、新型コロナウイルスの感染拡大防止のために2週間隔離ということで、国外から来たほかの新加入選手8人といっしょに、山の中のペンションみたいなところで先週中ごろまで過ごしていました(取材日は7月13日。Zoomを使っての取材)。

木曜日に初めて、用意してもらったアパートに入居したところです。チーム練習には金曜日から移籍組みんなで参加しています。

停電したり、インターネットや水道が使えなくなったりするハプニングもあったんですけど、毎日いっしょにご飯を食べて、トレーニングをして、ゲームをして、と楽しく過ごしていたので、移籍組のみんなとはもうすっかり仲良くなりました。

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バイア・マーレのチームシャツはこんな感じ

共通語は英語で、まだ勉強中ですけど、しゃべらないと慣れていかないので、とりあえずしゃべろうという感じで入っていってます。コミュニケーションがメチャクチャ大切なのはこれまでに痛感しているので。

もともと明るいというか、ふざけたというか(笑)、そういう性格で、みんなでワイワイやるのが好きなので、ハンドボールを始めた市岡東中(大阪)のころからも、それは変わっていないですね。

市岡東中は男子のハンドボール部が全国制覇経験のある強い学校でしたが、女子はそうでもなかったんです。でも、小学校でスポーツをやっていた子はだいたいハンドボール部かバレーボール部に入部するというのがあって。

私は兄の影響でスポーツをするのが好きで、小学生の間は水泳やキックベースボールをやっていたので、そのままその流れでハンドボール部へ。

1年時はゆるい感じでやっていたんですけど、2年時に二塚智徳先生が転任してきて、そこから結構練習が厳しくなりました。強豪の住吉一中(大阪)や四天王寺高(大阪)にもよく連れていってもらい、練習をさせてもらいました。

中学入学時は身長が140cmぐらいでガリガリだったんですけど、3年間で23cm伸びました。左利きだし、身長が高くなっていくから、サイドだけでなくバックプレーヤーもやっていました。

でも、中学生時代はヘタだし、ハンドボールもぜんせん理解していなかったです。全国大会もJOCジュニアオリンピックカップ(各都道府県の選抜チームで戦う大会。ブロック予選を勝ち抜かないと全国大会には出られない)も出ていないですしね。

それなのに、二塚先生から繁田順子先生(当時四天王寺高監督、現・大阪ハンドボール協会理事長)に紹介してもらい、四天王寺高に進学することになりました。

練習で何度も行っていたから、厳しさも知っていましたけど、ヘタながらにハンドボールは続けたいと思っていたので。

チームスポーツが好きだったし、もっとハンドボールを知りたいという気持ちもあったように思います。

自分は底辺からのスタートだと自覚していた

でも、高校では周りは全国大会に出場していた選手たちが日本中から来ていて、その中に実績がまったくない私が1人ポツンと。なにもできない子がいるなあという感じだったんじゃないですかね(笑)。

それで、入学した時に自分の中で決めたことがありました。

「私のレベルはこの中で底辺だから、とにかく最初から必死で食らいついていこう、そのために、先生に言われたことは全部しよう」ということです。

繁田先生にも白鳥貴子先生(現・四天王寺高監督)にも、たくさん怒られたけど、その内容もこなせるようになろうと練習しました。

だから、例えばランニングの練習でも、1人だけずば抜けて前を走ったりしていたんです(笑)。

当時はみんながある程度気を抜いてもこなせる練習でも、私は100%出さないとできないことがたくさんあったので、つねに100%でやっていたいという記憶があります。

ついていくのに必死だったから、朝練もずっとやっていました。本当に周りが見えていないまま3年間やり続けたというか。

だから、今でも1学年上の永田美香さん(北國銀行)たちに「1、2年の時の明日香はマジで空気が読めなかった」と言われます(笑)。

周りにはすごい選手がたくさんいて、先輩だと永田さん、同級生にも木村有沙(元・イズミ、現・四天王寺高コーチ)とか。すごく刺激になっていました。

練習の甲斐あってか、2年生になってから少しずつ試合に出られるように。そこでいいプレーができると手応えになって、それを積み重ねていく毎日。そして、自分たちの代でレギュラーになることができて、さらに試合で自分の持ち味も出すことができるようになったことで、2年間必死にやってきたことに意味があったんだと感じられました。

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一心不乱に練習に打ち込んだ高校時代。
日本屈指の強豪で見事にレギュラーの座をつかんだ。

私たちの代は右バックに橋本南(現・大阪ラヴィッツ)、右サイドに私でした。私の方がちょっと身長は高かったけど、彼女はずっとバックプレーヤーをしてきていたし、私は手足が長かったこともあってサイド向きと先生にも言われていたので。

私自身ロングシュートがあまり好きではなく、1対1も得意ではなかったので、サイドの方が楽しかったです。

サイドプレーヤーのおもしろさとは

私が感じているサイドプレーヤーのおもしろさは、GKとの駆け引きや、それに勝ってシュートが入った時の喜び、そして、速攻で走る楽しさです。

タイミングを図って飛び出して、GKからの際どいロングパスを片手キャッチしてシュートまで持っていく連携プレーなんて楽しいですよね。

今につながるサイドシュートの基礎も高校時代に習得しました。

私が一番大事にしているのは、入りの部分です。そこをこのころに何度も何度も練習しました。

サイドシューターって、ボールが入ったあと、自分の周りのスペースが3mないぐらいなんですね。だから、その限られたスペースを有効に使って、トップスピードで跳ぶためにタイミングをしっかりと取ることが大事。

私の場合、ボールをもらってから一歩で飛び込みます。最後は右足で跳ぶんですけど、その前の左足のタイミングでボールをもらい、右足で跳ぶ時の歩幅や踏み切りの位置を得意な形に合わせます。ボールを持っているバックプレーヤーのパスのタイミングを図るために足を合わせたりもします。そのタイミングが取れていれば、パスが多少ずれても自分のタイミングで跳べるので、だいたいはいいシュートが打てるかな。

先生方にそこが一番大事と言われて、「そこを磨かないと。それが基本なんだ」と思ってずっとやってきたから、持ち味はなにかと言われれば、今説明してきたようなことかもしれません。もちろんシュートも大事なんですけどね。

ヨーロッパに行って感じたのは、彼女たち(ヨーロッパの選手)は手が長いので、遠めにしっかり打ち込めるんですけど、日本人だとそうはいかないということです。

私は日本では手が長いほうだと思いますけど、こっちではそうではないので、最初は遠めのシュートが全然入らなかったです。

だから、世界で通用したいと思うのであれば、若いころから遠めの上を打ち抜けるように練習しておくことも大切だと思います。そこで勝負できる技術を身につけたらバリエーションも増やしやすいし、駆け引きもうまくいくんじゃないかな。

勝つごとに自信を深めた高3の夏

四天王寺高では、1つ上の先輩方はいい選手も揃っていて、全国大会でも優勝候補と言われていましたが、私たちはそうではありませんでした。

高2の3月にあった高校センバツ(2013年)では、4回戦で高岡向陵高(富山)に20-25で負けてベスト8。でも、インターハイではその高岡向陵高と、センバツと同じ4回戦で対戦し、22-18で勝つことができました。

それが自信になって、優勝まで狙えるという気持ちにみんながなったと思います。準決勝でも洛北高(京都)に23-20で勝って決勝へ。

最後は高松商高(香川)にすごいロースコアの試合で競り負けて(13-16)、メチャクチャ悔しかったのを覚えています。でもその一方で、このメンバーでここまで来られたんだ、という思いも強かったですね。

もっとうまくなりたいと、高卒で日本リーグへ

高校卒業後もハンドボールを続けたいと思っていたんですけど、なんとなく大学に行きたいと思いつつもちゃんと考えていなくて。勉強もそんなにがんばっていなかったので、繁田先生には「大学は無理やから、ソニーでがんばりなさい」と言われてしまいました(笑)。

それを高3になる前の三者面談で言われたのですが、いざそう言われて考えてみると、確かにうまくなりたいなら、大学に行くよりもすぐに日本リーグチームに入ったほうがいいんじゃないかと思いました。

経済的に困っていたということはないのですが、親にも学費の負担をさせることなく、ハンドボールをしながらお給料をもらうこともできるのはいいことだなと。

当時のソニーには、田中美音子さん、川﨑美穂さん(ともに現・大阪)など、四天王寺高の先輩方もいたし、同じ右サイドに本多恵さん(旧姓髙橋、元日本代表キャプテン)がいたのも大きかったです。

といっても、本多さんは私が入社した年の夏前にはデンマークに移籍(SKオーフスで1年間プレー)してしまったんですけど(笑)。

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本人は苦しかったと振り返るものの、
ソニーでは初年度から出場機会を得てメキメキと力をつけ、
日本代表にも選出された。

繁田先生も、私は大学よりも日本リーグに行ったほうが、つぶれずにやれるとわかっていてくれたのかなと思います。

繁田先生には、なによりも高校3年間、人間として成長させてもらいました。いつも先生が言っていたのは「気配り、目配り、心配り」。人が今どう感じているのかをよく見ておきなさい、そういうことが大切だということをずっと言われていて、それが一番印象深いです。先生の影響は私にとってとても大きいですね。

今も日本に帰ってきた時とか、先生と2人でご飯を食べに行ったりしますよ。本当は、今年の5月にドイツに観戦に来てくれる予定だったんです。新型コロナウイルスの影響でダメになってしまって本当に残念でした。

結局、ソニーに高卒で入社して4年間を過ごしたのですが、最初の1、2年はとくに苦しかったです。

身体つきなんかぜんぜん違うし、錦織新さん(元・日本代表)にも片手で持ち上げられたりしていたぐらいです。今よりも体重は10kgは軽くてひょろひょろ。みんなに、「こんなんで大丈夫?」と心配されるんですけど、トレーニングにもついていけないし、メンタル面でもかなりやられてしまって「ハンドボール、もういいや」と思うほどになっていたんです。

でも、そのタイミング(15年末)で日本スポーツ振興センターの「女性競技種目戦略的強化プログラム」に選ばれて、デンマークに行くことに。

そこで現地のチームと練習試合をしたり、当時日本代表も出場していた世界女子選手権を観戦したことで、この舞台でやりたいと思ったし、現地の人たちが楽しそうにハンドボールをしているのを見て、余計なことを考えず、自由にハンドボールをやりたいなと思ったんです。

それがドイツに移籍したきっかけです。ヨーロッパに来てからは、私自身がなによりもハンドボールを楽しみ、その姿を見てお客さんも楽しい気持ちになってくれるとうれしいなと思っています。

ドイツでの2年間で身についたのは

ドイツでの2年間で身についたことといえば、一番はコミュニケーションの大切さを身にしみて感じたことでしょうか。

私もドイツに来た当初はドイツ語ができなくて、自分を閉ざすようにしてオープンにできなかったから、チームメイトからも「アスカって全然しゃべらないよね」と言われていたんです。

それで、このままじゃいけないと思って、しゃべれなくてもしゃべれないなりに―もちろん難しいんですけど―なにか知っている言葉を発したり、みんなでワイワイしている時にはその輪の中に入るようにしたりしていくことで、少しずつチームメイトとコミュニケーションが取れるようになりました。それからはいっしょにご飯を食べに行ったり、パーティーに行ったりもできるようになって。

ハンドボール選手ですから、ハンドボールをがんばればいいという考えもあるとは思いますけど、そういう身の回りのところからも信頼関係って生まれてくるんだなというのは強く感じました。やっぱり口にしないとお互いにどう思っているかが伝わらないので。最初は本当にそれがきつかったですけど、ドイツでの経験があったので、ルーマニアでもそこを大事にしています。

日本とヨーロッパでは国や人種が違ったりしますけど、人間であることは同じなんです。だから、ちゃんとコミュニケーションを取れば信頼関係を築くことはできるんと思っています。

海外でプレーしたり、生活をしてみたいと思っている人は、言葉ができなくても、いっしょにはしゃいだり、笑ったり。そういうことを一番大切にしてほしいなと思います。

「これから」の選手たちに伝えたいこと

私の経験から、ではありますけど、中高生の間は、1つでもできることを増やしていけば、自分がなりたい選手に近づいていけると思います。必死に努力しながら、1つずつ焦らず積み上げていくことが大切だというのが私の実感です。

自分で考えることも大事だけど、時には指導者から言われたことを徹底してやり続けることも大事。1つのことができるようになったら1つ階段を登り、下に戻らずできることを増やしていくことを意識してみてほしいですね。

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【スポーツイベント・ハンドボール編集部】

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