第24話・1945年 『勇気づけた関西学生界の狼煙(のろし)』
スポーツイベント・ハンドボール2022年8月号(7月20日発行号)で特集の通り、日本のハンドボールは7月24日、「伝来100年」を迎え、新たな発展に向け力強く踏み出しました。
積み重ねられた100年はつねに激しく揺れ続け、厳しい局面にも見舞われましたが、愛好者のいつに変わらぬ情熱で乗り切り、多くの人に親しまれるスポーツとしてこの日を迎えています。
ここでは、記念すべき日からWeb版特別企画で「1話1年」による日本のハンドボールのその刻々の姿を連続100日間お伝えします。
テーマは直面した動きの背景を中心とし、すでに語り継がれている大会の足跡やチームの栄光ストーリーの話題は少なく限られます。あらかじめご了承ください。取材と執筆は本誌編集部。随所で編集部OB、OG、常連寄稿者の協力を得る予定です。
(文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)
バックナンバーはこちらから→マガジン「ハンドボール伝来100年」
終戦(8月15日)。だれもがまっさきに練習場へかけつけ、チームメイトと平和をかみ締めてのキャッチボール。笑顔がはじける、そして、涙も少し。
各地で“球信”が交わされる。11月、早くも大阪からビッグニュースだ。「戦後3ヵ月後の秋、天王寺中学グラウンドに大阪歯医、関西学院大学、大阪工専など7チームが参加して初の学生の試合が開催され…」(日本ハンドボール史、文・久保義雄。日本ハンドボール協会、1987年2月刊)。
戦前に「関西学生界」はなかった。それが復興のトップを切ったのは、大阪を中心とする旧制中学への普及の成果で、その芽が鮮やかに花を咲かせた。全国のハンドボール関係者を勇気づける狼煙(のろし)であった。
東京では日本ハンドボール協会新生に動きが始まる。東西の素晴らしいエネルギー。ハンドボールの将来に陰りはなかった。
国際アマチュア・ハンドボール連盟(IAHF)が1943年に消滅したのをこの年に知る。最終的な同連盟のメンバーは日本など24ヵ国、カリブ海の島国ハイチの名が見えた。
第25回は8月17日公開です。
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