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第78話・1999年 『全日本高校選手権50年』

日本にハンドボールが伝来して100年になるのを記念した1話1年、連続100日間にわたってお送りする企画も終盤です。21世紀に入っての20年間は“あすの課題”でもあります。大会の足跡やチームの栄光ストーリーは少なくなります。ご了承ください。取材と執筆は本誌編集部。
(文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

バックナンバーはこちらから→マガジン「ハンドボール伝来100年」

全日本高校選手権(インターハイ)が50回目の記念大会(8月、岩手・盛岡市)を迎えた。半世紀の歩みは高校界が日本ハンドボール界の揺るがぬ基盤であることを示すものでもあった。
 
多くの愛好者は高校でハンドボール競技に出会い、熱心な指導者のもとで愛着を深めた。11人制から7人制・室内へ歴史的な大転換も乗り越え国際舞台への進出が盛んになった1960年代後半以降は愛好者たちに夢と目標を与え「高校ハンドボールの質」が高まった。
 
指導者たちが寸暇を割いて地方協会の運営にも力を注いだのは特筆されていい。
 
充実の過程を数字で見てみよう。
 
・初の全国チーム数1000の突破 男子1977年(1039チーム)、女子1985年(1013チーム)
 
・初の全国愛好者数3万人の突破 男子1988年(30831人)、女子は1993年の1万8898人が最多
 
・年度最多全国チーム数 男女計1993年(2563チーム。男1478、女1085)
 
・年度男子最多チーム数 1991年(1481チーム)
 
・年度女子最多チーム数 1993年と94年(1085チーム)
 
・年度全国最多人数 1989年男女計(5万938人。男3万2621、女1万8317)
 
・年度男子最多人数 1989年(3万2621人)
 
・年度女子最多人数 1993年(1万8898人)
 
~数字はいずれも日本協会~
 
初めて男子チーム数が1000を超えた時、男女愛好者人数の合計が5万人ラインを突破した時、高校関係者の歓びはひとしおだった。
 
だが、胸中は複雑だ。少子化の波は上昇カーブの鈍化、下降がはっきりと予測されたからである。
 
記念大会のこの年、男子は1266チーム、2万1796人、女子は936チーム、1万3732人と1980年代前半のレベルに逆戻りしてしまった。中学世代、高校世代の愛好者をいかに“確保”するか。日本ハンドボール界最大のテーマとさえ言える。
 
8月、千葉・富浦町(現・南房総市)の原岡海岸で初の全日本ビーチ・ハンドボール選手権が男子1都4県9チームが参加して行なわれた(女子は翌年)。
 
ヨーロッパや南アメリカにおけるビーチ競技の愛好は日本にも伝えられていたが、会場の設定が難しく関心は広がらずに過ぎた。この2年前、千葉県協会によるローカル大会で歴史のページが開いた。
 
国際ハンドボール連盟(IHF)はビーチ競技の非オリンピック競技・種目に国際総合競技大会「ワールドゲームズ」参加を図り、1997年に同大会の主催団体・国際ワールドゲームズ協会(IWGA)へ加盟した。IHFは日本協会に2001年秋田県で開催される「第6回ワールドゲームズ」への参加支援を要請してきていた。
 
全日本選手権を終えたあと日本協会は国内での“扱い”を競技スポーツとして捉えるか、レクリェーションカラーを濃くして普及するか、当面「様子を見る」とした。
 
〔編集部注・全国高校体育連盟による2022年8月現在の高校ハンドボール登録は男子1171校2万7826人、女子877校1万5634人〕

第79回は10月10日公開です。


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