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第90話・2011年 『大震災乗り越え各カテゴリーで躍動』

日本にハンドボールが伝来して100年になるのを記念した1話1年、連続100日間にわたってお送りする企画も終盤です。21世紀に入っての20年間は“あすの課題”でもあります。大会の足跡やチームの栄光ストーリーは少なくなります。ご了承ください。取材と執筆は本誌編集部。
(文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

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3月11日14時46分、東日本各地の大地が大きく揺れた。宮城県沖を震源とするマグニチュード9.0、東北地方太平洋沖地震の発生だった。

東京・駒沢体育館では、翌12日から予定されていた第35回日本リーグ・プレーオフの設営準備の真っ只中。体育館の設備などへの被害はなく、運営スタッフは12日、予定通りに試合を始められる準備を整えたが、時間の経過とともに深刻な被害が伝えられ、日本協会、日本リーグ機構(JHL)は、11日、夜のうちにプレーオフの延期を発表した。

目前に迫っていた春の全国大会の開催も、早急な対応が迫られる。3月13日には日本協会が全国高体連ハンドボール専門部などと協議の結果、大きな被害を受けた岩手県(花巻市)が舞台となる第34回全国高校選抜大会(センバツ)の中止を決めた。15日には延期が発表され、協議が続けられていた日本リーグ・プレーオフの中止(レギュラーシーズン順位で優勝を決定)も決まった。さらに18日には、ギリギリまで開催の可能性が探られた第6回春の全国中学生選手権大会(春中)も、日本協会と開催地の氷見市(富山)との協議の結果、中止が決断された。

福島第一原発事故や電力不足、交通網の分断などを思えば、やむを得ない決定で、戦後のハンドボール界が経験したことのない大会中止が選手たち、愛好者に与えた影響は、極めて大きかった。

アジア、世界の大会は待ったなし。4月9日からは中国で第8回東アジアクラブ選手権が開かれ、日本からは男子が日本リーグ・レギュラーシーズン1位の大崎電気が、原発事故や電力不足の現状に配慮して辞退したため、代わって2位の湧永製薬と女子1位・北國銀行が出場。両セブンともにユニフォームに「がんばろうニッポン」、「がんばろう東日本」のメッセージを縫いつけ、腕には喪章をつけてプレーした。

4月には、秋のロンドン・オリンピックアジア予選の前哨戦となる男女代表チームの日韓定期戦(会場は韓国)も行なわれ、男子(24-30)、女子(18-32)ともにホームの韓国に軍配が上がった。

国内各カテゴリーでたくましく再起が図られる。象徴となったのが、7月末から8月にかけての全日本高校選手権(インターハイ)。被災地の1つで、3月はセンバツ中止を余儀なくされた岩手県花巻市に全国から1チームも欠けることなく男女各48チームが集い、例年以上に熱い戦いが繰り広げられた。

10月、日本代表がロンドン・オリンピック出場権をかけた大一番に挑んだ。先に中国・常州市でのアジア予選に向かった女子は、6ヵ国総当たりのリーグ戦で、開幕のカザフスタン戦を皮切りに、中国、北朝鮮、トルクメニスタンとライバルを倒して4連勝。最終日、全勝の韓国とロンドン行きをかけて激突した。前半11-10と先行、理想的な展開で試合を運んだものの、後半、韓国のスパートを許し、22-27と敗れ、アジア代表の座はものにできなかった。

女子の敗退から2日後、韓国で始まった男子のアジア予選。日本は韓国と同じ予選リーグB組に入り、韓国に先行を許したものの、B組2位で準決勝進出、サウジアラビアとの死闘を22-21で制し、韓国との決戦に駒を進めた。懸命の戦いを見せた日本だったが、後半、正念場での退場など、わずかなスキで明暗が分かれ、21-26で韓国に道を譲った。

男女とも2番手を確保したことで、IHF世界最終予選(OQT)への出場権をゲット。オリンピックへの夢を翌年につないだ。

大きな動きがあった。1965年からトップゾーンをリードしてきた全日本実業団連盟(実連)が年度末の3月をもって全日本社会人連盟へと改組(改称)、「実業団」(企業によるチーム)以外の社会人クラブを含めた組織に変わったのだ。背景に「実業団チーム」の減少(休部、廃部)に歯止めがかからなかったことがある。

この結果、全日本実業団選手権は2010年7月の第51回で歴史の幕を閉じ、2011年7月「第1回全日本社会人選手権(男女)」が北海道・函館市でスタートした。

第91回は10月22日公開です。


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