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第53話・1974年 『混乱、革新。揺れ続ける国際シーン』

「ハンドボール伝来100年」を記念した1話1年の企画も後半に入ります。オリンピック競技への定着で日本ハンドボール界に国際シーンの激しい波風が吹き込み、国内のトピックスを押しのける年も増え始めます。世界の中の日本ハンドボールが主題となる内容は各大会の足跡やチームの栄光ストーリーをごく限られたものとします。あらかじめご了承ください。
(取材・本誌編集部。文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

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年明けから揺れる。

2月の第8回世界男子選手権(東ドイツ)のアジア予選、日本-イスラエル戦が、2試合とも国際ハンドボール連盟(IHF)の提案でテルアビブ(イスラエル)で行なうことが前年に決まったが、日本協会の諸会議で遠征に慎重論が高まる。1972年に日本の過激組織がテルアビブのロンド空港で銃の乱射事件を引き起こし死傷者が出た。中東の政情不安が続いていたのだ。

日本協会は安全が保証されないとして、不参加の意があることを前年末、内々にIHFに伝えたが、IHFは非公式ながら「不参加(棄権)の場合、なんらかのペナルティーが課せられる」と連絡を寄せた。日本協会は1月19日、緊急理事会で5時間近い議論の末、「参加」を前提に会長(田村正衛)と副会長(林達夫)が現地に先行し、大使館など関係当局と「安全」の確認をしたあと、選手団を派遣すると決定。

両首脳からのゴーサインを受け、選手団(選手13人、役員2人)は2月17日出発、第1試合14-14のあと、第2試合を18-14で奪い、5回目の出場を決めた。2週間後、本大会(東ドイツ)へ乗り込むが、1次リーグで東ドイツ、ソ連に敗れ、アメリカを破って9-12位決定リーグへまわり12位。大会期間中、東ドイツの今秋9月の来日が合意され、世界選手権で2位となった東ドイツはベストメンバーで姿を見せ、日本は3戦3敗で終わる。

同じ9月、「アジア・ハンドボール連盟(AHF)」結成のニュースが飛び込んできた。テヘラン(イラン)での第7回アジア大会開幕直前のアジア競技連盟(AGF。現・アジア・オリンピック評議会、OCA)の総会でクウェートが提案、その設立とAGFへの加盟が承認されたものだ。

動きは急。AGF総会を受けてすぐ、テヘランで7ヵ国(バーレーン、中国、インド、イラン、クウェート、北朝鮮、パキスタン)の代表者によってAHF発足への会合が開かれ、2年以内の正式設立が決定したと、中国の国営通信社・新華社が伝える。

日本協会はまったく一連の動きを事前につかんでいなかった。アジア大会競技ではなく、テヘランにハンドボール関係者は1人も行っていない。「アジア・ハンドボール連盟」を極東以外の国が働きかけるとは予想されず、クウェートの行動力も知らずに過ぎてもいた。

オリンピックに変革の大嵐が吹きつけていた。国際オリンピック委員会(IOC)のミカエル・モーリス・キラニン会長(アイルランド)は、4月29日ロンドンで「オリンピック憲章26条を現実に即して改める」との見解を明らかにした。ひと言で表せば「アマチュア規定」の“排除”だ。IOCは10月の第75次総会(オーストリア・ウィーン)で、キラニン会長の示した改章案を採択・発効する。

オリンピックにプロ競技者が参加する時代の到来だ。「アマチュアリズム」を守り貫き通してきた日本スポーツ界、ハンドボール界は戸惑いを隠せなかった。

10月イタリアでの第15回IHF総会を前に、日本協会はモントリオール・オリンピック女子参加枠6のうち、3を世界女子選手権1~3位、1をヨーロッパ、1を開催国(カナダ)、1を「アジア・アフリカ・アメリカ3大陸代表」とする案をアフリカ大陸連盟(CAHF)に呼びかけ賛同を求めた。

総会はヨーロッパ勢の反対で激しい議論となり、投票での採決に持ち込まれ、「3大陸」案が過半数を得て決まる。日本協会が国際ハンドボール界に初めて投じた一石と言っていい。イスラエルのヨーロッパ転籍(復帰)は反対多数で否決された。

1970年からの5年間、日本協会は国際シーンへの対応で明け暮れた。地方協会は「オリンピック至上」の流れに反発があり、「底辺拡充への意識が低下している」との批判も強く、全国評議員会はしばしば荒れ模様となる。執行部は「この機を逸しては日本ハンドボールの将来はない」と突き進んだ。

その中で「社会体育」として歩んできた中学校(生)の全国大会が、日本中学校体育連盟による「全国中学校大会」の実施競技として組み込まれる。

全日本実業団連盟内では「日本リーグ待望・促進論」が強まり始めていた。高等専門学校(高専)の全国大会がスタートした。

第54回は9月15日公開です。


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