過去から未来へ Vol.4 ~書籍『物語 日本のハンドボール』をもとに~
スポーツイベント・ハンドボール本誌で現在も連載中の「過去から未来へ」。日本のハンドボールの歩みを紹介した書籍『物語 日本のハンドボール』をもとに、ハンドボールの生い立ち、歴史に触れ、未来を切り開いていってほしいという願いをベースに、書籍に記された事象や時代背景をより掘り下げてお伝えする当連載を無料公開していく。
Vol.1、Vol.2、Vol.3はこちら
著者:杉山 茂(すぎやま・しげる)スポーツプロデューサー。
元NHKスポーツ報道センター長。慶應義塾大学卒。オリンピック、主要国際大会などのテレビ制作のかたわら、スポーツ評論の著述を手掛ける。近著に『物語 日本のハンドボール』
1922年に伝来
――今回は日本にハンドボールが伝来した1922(大正11)年ごろの時代背景をお聞きします。
1922年という年を振り返ると、 国内では全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会、野球の伝来は1872年)はすでに8回目。サッカー(1873年伝来)の全日本選手権も2回目の大会が開かれ、ラグビー(1899年伝来)では第1回の早慶戦が行なわれていますね。
サッカー、ラグビー、野球などは19世紀からのスポーツで、明治時代初期に世界の教育を導入しようとした国策の流れに乗って来日したイギリス人、アメリカ人の宣教師や教育者によって日本に伝えられました。
20世紀になってからですが、バスケットボール、バレーボールもYMCA(キリスト教青年会)を通じて日本に入ってきました。
ハンドボールの伝来は、そうした流れとは無縁、異質なものです。
1922年という年に、ハンドボールはまだ国際競技としての体制が整えられておらず、世界でも『ニュースポーツ』でした。
また、ハンドボールを日本に伝えたのは、文部省留学生として体育・スポーツ情勢収集と研修のためアメリカに派遣され、その帰途、ヨーロッパを訪れ、ドイツでハンドボールと出会った東京高等師範学校助教授(当時)の大谷武一さんです。
長年現場で取材を続けてきた著者だからこそ書けた、日本へのハンドボール伝来から現在までを追った力作。(杉山茂著、グローバル教育出版発行)
――外国人宣教師や教員によってではなく、日本人によってハンドボールは日本にやってきたのですね。
日本人が伝えた、ということに加え、大谷さんが日本でハンドボールを紹介したのは、1922年、東京高等師範学校で行なわれた大日本体育学会主催の「体育科夏期講習会」、体操および遊戯の講義での時間で、その受講者は中等学校、小学校の教師、青年指導員ら指導資格を持った全国からの約100人でした。
野球やサッカー、ラグビーなどを競技スポーツとして受け入れ、打ち込んでいる慶應義塾大、早稲田大、同志社大や東京大などの旧帝大関係者ではなく、小学校や中等学校の教員が対象。競技スポーツではなく、学校体育として育ってきたのもハンドボールならではの特徴です。
この流れは、1911年7月に創立された大日本体育協会(現・日本スポーツ協会)が、同会発足を前にした11年春の準備会で「各種スポーツを普及発達させる方策は、まず東京の諸学校、次第に地方の学校に」と申し合わせ、スポーツを教育現場を基盤に発展させるとしたことが大きく影響しています。
それ以前に伝来したスポーツはいきなり競技スポーツ(おもに大学対抗)として発展していきましたが、ハンドボールのように1911年以降に伝来したスポーツは、まず、教育的、体育的効果が求められたわけです。
私見ですが、第1次世界大戦(1914〜18年)を機に、世界各国はいっそう軍事に目を向けました。現在のような兵器と兵器の戦いではなく、当時は陸軍中心、人と人との激突です。
国を富ませるためには強い兵隊が必要、勉強ができる人よりも身体が強い人が多くいたほうが国が富む、という『富国強兵』が全世界で1つの思想、スローガンだった時代ですから、強い若者、強い男の子を生み出す力(母体)が求められる。
そうした時代背景も大きく関係しているように思います。
また、反論もあるかもしれませんが、ラジオ体操も熱心に普及に努めた大谷さんが、一番興味を持ったのは、競技スポーツよりも健康のための一般体操で、大谷さんはハンドボールも学校体育としての普及に重点を置かれたのではないかと思っています。
そもそも、ハンドボールの国際連盟が生まれたのは1928年だったのですから、競技スポーツとしてよりも学校体育として、となるのは無理もありません。
――大谷さんが存在しなかったら、あるいは、大谷さんによるハンドボール伝来がもう少し遅かったら、ハンドボールの歩みは違ったものになっていたのでしょうか。
あくまで仮説ですが、大谷さんによるハンドボールの紹介が国際競技化が踏み出された1920年代後半にずれていたら、ほかのスポーツと同じく学校体育と競技スポーツの“併行”が見られたかもしれません。
また、学校の教員だけではなく、慶應義塾大、早稲田大などの大学関係者に競技スポーツとして伝えられていたならば、また違った歴史があったでしょう――。
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大谷 武一
1922年7月24日、日本にハンドボールを初めて紹介した東京高等師範学校の体育教官。そのあと、学校体育、競技スポーツ両面で普及に情熱を注ぎ、日本ハンドボール協会設立(1938年2月)にあたって副会長となり1942年度まで務めた。