ともに戦おう~日本女子代表キャプテン・原希美のリーダーシップ~
11月30日からの熊本世界女子選手権に臨む日本女子代表・おりひめジャパンのキャプテンを長く務めてきた原希美。しかし、大会直前の11月18日にヒザを負傷し、まさかの離脱となった。それでも直後のジャパンカップではチームに帯同し、なによりショックなのは原本人のはずだが、ファンや報道陣の前で懸命に笑顔を見せた彼女の人間性は感銘を受けるものだった。たとえ本大会のメンバーにいなくとも、彼女はまぎれもなくおりひめジャパンのキャプテンだ。これまでの彼女に敬意を表し、弊誌『スポーツイベント・ハンドボール』12月号で掲載したばかりのスポーツライター久保弘毅氏によるコラムを全文公開する。 text by 久保 弘毅
がんばる子
「みなさん、こんにちは」
日本女子代表のキャプテン・原希美(三重バイオレットアイリス)のスピーチは、この何気ないあいさつで聴衆の心をつかむ。柔らかく、自然なトーンが心地いい。取ってつけたような「それっぽい」言葉ではなく、自分の頭と身体を通過した言葉で、その場の人たちに話しかける。日常会話の延長のようで、砕けすぎることもなく、真っすぐな思いが伝わってくる。
「こんな気の利いたスピーチのできる子じゃなかったんですよ」
長年日本女子代表を見てきた高野内俊也トレーナーは言う。ほどよく肩の力が抜けた原のスピーチから、彼女の内面的な成長がうかがえる。
子どものころから「がんばること」がアイデンティティーだった。ハンドボールを始めた延岡東小スポーツ少年団(宮崎)では、激しいプレーで前歯が吹っ飛んでしまった。みんなあわてながら「ノンちゃん(原の愛称)の前歯、どこ行った?」と探したという。
宮崎学園高(宮崎)では、攻守にチームを背負う存在だった。高校の女子はシュート力が弱いので、守り合いになることが多い。チーム内の構成も「絶対的エースと、その他大勢の守る人たち」になりやすい。エースは「お前は点を取ってくれたらいいから」と、DFでは甘やかされる。その結果、170㎝の「打つだけの人」が量産され、攻守のバランスの悪さから伸び悩むケースが多く見られる。
しかし原は、そこらのエース候補とは ワケが違った。打つだけじゃなく、守っても真ん中でファイトする。身体接触をいとわず、ルーズボールには率先して飛び込む。額に汗して働く選手を好む日体大女子部の辻昇一監督は、原のハードワークに惚れ込み、宮崎学園の鈴木晃監督のところまで直接出向いた。辻監督の誠意を感じ、原は日体大を選んだ。
日体大でもチームの大黒柱だった原は、三重バイオレットアイリスでも1年目から活躍し、日本代表に選ばれている。当時の原のイメージは、スコアで言うなら6/16。相手に止められても、ひたすらロングシュートを打ち続ける。チームでほかに点を取れるオプションがないから、自分が打ち続けるしかない。まさしく孤軍奮闘だった。
試合に負けると、よく泣いていた。負けることに慣れ切っていた当時の三重の中では、異質とも言える存在だった。そういう原の熱を煙たがる選手もいたという。「代表に選ばれてるからって、お高くとまって」といった陰口も聞こえてきた。でも、原は自分のスタンスを崩さなかった。真っ向から対戦相手と向き合い、1年目から勝負の責任を背負って、コート上でだれよりも懸命にプレーした。だが、白星は遠かった。
キャプテン就任後に大ケガ
原が三重に入って3年目に、櫛田亮介監督(現チームマネージャー、日本代表コーチ)が就任した。現役時代にHondaで学んだ櫛田監督は、理にかなったハンドボールでチームを強くしていった。チーム全体のOFのバランスが整った結果、原の打数は1、2年目よりかなり少なくなった。
「なんか私らしくないんですよね」
当時の原は、勝ち試合にも浮かない表情で、こう言っていた。
原は単なる打ちたがりやエゴイストではない。自己顕示欲が強いタイプでもなく、どちらかと言うとシャイで控えめな性格だ。60分間全力を尽くしたいだけである。
今までもそうやってチームを背負い、勝たせてきた。ところが、1試合のシュート数が5本ぐらいで終わることが多くなった。完全燃焼した感じがしない。それが先ほどの「私らしくない」発言の真意である。
櫛田監督体制2年目の2016年から、原は三重でキャプテンになった。原を抜擢した理由を、櫛田監督はラグビー日本代表にたとえて説明している。
「チームを立ち上げる時は、廣瀬俊朗のような聡明で、強烈なリーダーシップを持った人間をキャプテンにして、基盤を作る。ウチで言ったら、前の年までキャプテンだった漆畑美沙ですね。
ある程度チームが軌道に乗ったら、今度はリーチ マイケルみたいな武骨な選手をキャプテンにして、その代わりに周りにサポートする選手を何人か置く。そうすれば、キャプテンも気を回しすぎなくて済むし、周りも成長できます。ウチで言えば、リーチ マイケルが原です」
このたとえはとても分かりやすい。ドラマ「ノーサイド・ゲーム」での好演で注目された廣瀬は、頭脳明晰で求心力があった。リーチ マイケルはいつも密集に参加し、仲間のため身体を張る。
「バイオレット史上最高のキャプテン」とも言われた漆畑と、漆畑を慕って三重に来た原との関係によく似ている。櫛田監督は原をキャプテンに据えると同時に、いくつかの部門ごとのリーダーを選び、原をサポートする体制を整えた。
強い気持ちでチームを引っ張ろうと、原は気合いを入れた。しばらくして日本代表でもキャプテンに就任した。しかし、いきなり試練が襲いかかる。キャプテンになった年の9月に、左ヒザの半月板を損傷した。丈夫な身体が売りで、これまで大きなケガがなかった原にとって、人生で初めての手術だった。術後の回復も遅く、翌年には再手術を受けている。
思うように身体が動かず、復帰してもDF中心でプレーするのがやっと。攻守両面でチームを引っ張れない状態で、それでも三重と日本代表をまとめなくてはいけない。原は悩みに悩み抜いた。
自然な笑顔
背負うものが増え、自分の100%を出せなくなったにもかかわらず、しばらくすると原の表情が柔和になった。試合中にも笑顔を見せるようになった。歯を食いしばってがんばるのが「原らしさ」だったのに、思わぬ方向転換である。
2018年1月の日本リーグで、三重はホームで3連勝している。この時の原のコメントがよかった。
「バイオレットがいい時は、仲間を信じ合えてて、苦しくても『このメンバーでやるぞ!』というのが言葉でも出てくるし、みんなの表情やプレーからも湧き出ていて、本当に1つになれているなと実感します。開幕からの数試合は、それがうまくいかない時に人のせいにしたり、自分の世界に閉じこもったりとかがありました。今回のホーム3連戦は、自分が調子が悪くても、だれかがフォローしてくれたり、シューターズ(三重の応援団)の応援が力になったり、みんなが 1つになった結果が3連勝につながったと思います」
表情や言葉だけでなく、身体も柔らかくなったという。
「ヒザをケガしてからずっとDFばかりで、OFでは自信がなかったけど、3連戦の初戦にカットインを決めた時から『ちょっと戻ってきたかな』と思えるようになりました。身体も柔らかくなったんですよ。ヒザをケガした時にストレッチを徹底して、柔らかくなりました。前屈で床に手が着くようになって、それがプレーにも活かせているかな」
うれしそうに話す原の笑顔は、とてもチャーミングだった。
「ヒザをケガして、それでもキャプテンで、どうやってチームを引っ張っていけるかを考えていた時に、自分の表情や声かけがみんなにすごく影響していると、スタッフからも言われました。自分がプレーできなくて、悔しい感情を出していたら、周りもついてこない。だから笑顔でいようと、昨シーズンは心掛けていました。それが今シーズンは自然にできている。無理なく笑顔でいられます」
このあたりから、原の笑顔は「持ちネタ」になってきた。
若手が辛そうな顔をしていたら「苦しい時は私を見て!」とほほえむ。試合前の円陣では「みんな、大好きだ~!」と、笑顔で叫ぶ。原の突拍子のない発言にみんなが笑い、いい具合に肩の力が抜ける。
日本代表でも、原の笑顔は武器になっている。代表の副キャプテン・永田しおり(オムロン、上写真左)は言う。
「原は、苦しい時やタイムアウトの時に『スマイル』と言います。それでみんなが笑顔になって、チームの雰囲気がほぐれるんです」
代表ではウルリク・キルケリー監督の存在が大きい、と原は言う。
「ウルリクも大事な場面ほど『スマイル』と言ってくれるし、私が険しい顔をしていたら、みんなに伝染してしまうので、意識的にスマイルでいるようにしています」
自分のことだけで精いっぱいだったのが、ちょっと無理して笑顔を作るうちに、いつしかそれが自然になった。仲間にもいい表情が波及するし、自分自身の余裕にもつながった。
原の変化を身近で感じていたのが、三重で7年間、原とともにDFの中心を守ってきた万谷由衣(下写真右)だった。万谷と原、以前はあまり仲がよくなかったという。
「原はグッと歯を食いしばってやりたいタイプ。私はフッと笑っていたいタイプ。こっちからしたら『なんでそんなに怒ってるの?』と思う時があったし、向こうからしたら『なんで笑ってるの?』と思う時もあったでしょうけど、それが 3~4年前からかみ合ってきたのかな。昔はバチバチでしたけど、今ではとなりにいるのが当たり前になって、それが安心感になっています。原がどう思っているかは分かりませんけどね」
今は互いの声かけで、試合中に笑顔を取り戻し、ともに助け合える仲だ。今年度から三重では万谷がキャプテンになり、代表活動が多くなる原の負担を少なくしている。
1つになるために
笑顔を覚えた原は、以前よりも肩の力が抜け、全部を自分でやろうとしなくなった。その一方で、勝負の節目を感じ取る嗅覚は鋭くなっている。
今年2月の日本リーグの飛騨高山ブラックブルズ岐阜戦。3年連続プレーオフ進出をめざす三重は、ブルズの変則的な5:1DFに苦しみながらも、1点差で勝利した。内容のよくない試合で、チームの窮地を救ったのが原だった。
「多田仁美にマークが厚くて、センターの林美里の調子もよくなくて、もうここは行くしかないなと。迷いなく行けたことが得点につながりました。ステップシュート、入るようになったんですよ。器用になってきたのかな?」
この日の原はアウト割りや、河嶋英里からのリターンパスをもらって1歩で打つステップシュートなど、多彩なシュートでチームを落ち着かせた。この日の成績は7/11。高確率で、試合の流れを呼
び寄せている。周りが苦しむ中でも、原のプレーには余裕が感じられた。
「今は『キャプテンだから、こうしなきゃ』ではなく、自分の役割や試したいプレーを思い切りやれているんで。以前は1つのプレーにこだわっていましたけど、今はそういうこだわりはまったくなくて。いろいろできるようになって、今は楽しいです」
けっして器用とは言えなかった選手が、ハンドボールを通じて柔軟な思考と人間的な魅力を身につけた。プレーの幅は、原の人間的な幅と言っていい。
ただ、昔からの「原らしさ」もたまに顔をのぞかせる。今年6月の日韓戦に敗れたあと、観客席から「やる気あんのか!」との声が飛んだ。その言葉を聞いたとたんに、原の表情はこわばり、涙が止まらなくなった。
「あの時は、真に受けてしまったのがいけなかったかな。『そういうところは、プロとしての振る舞いを覚える必要があるね』と、ウルリクからも個人的にアドバイスをもらいました。私、すぐ泣くんですよね。悔しくても泣くし、うれしくても泣くし、なんでも泣いちゃう」
受け流せない誠実さは、時にもろさにもつながる。だが原は、ファンの思いにいつも誠実に答えてきた。所属の三重では、ホームゲームで負けても、観客の前でしっかりとあいさつする。以前は、そういうことをだれよりも嫌がるタイプだった。今は、結果は結果で受け止めながら、自分の言葉で気持ちを伝える。
「悪いところが全部出たような試合でも60分間応援してくれた高校生やシューターズのみなさん、会社の人たちへのあいさつやお礼は大事なんだと感じています。自分がなんのためにハンドボールをしているのか。なんで三重バイオレットアイリスという環境でハンドボールをやっていけるのか。自分たちの力だけで、今この場に立てているのではない。そういったことを感じているので、言葉でも表せるようになったんだと思います」
もちろん所属と代表では、環境が違う。背負うものの重さも違う。その違いを理解したうえで、原は日本代表でも多くの人たちと「ともに戦いたい」と願う。
「サポーターの力を、自分たちのプラスの力に変えていけたら。シュートを決めて、パフォーマンスでサポーターの声援をあおったりとか、男子の代表はそういうのが上手ですよね。土井杏利さん(大崎電気)がキャプテンになって、男子は変わりました。杏利さんは周りを巻き込んでいける人なので、見習いたいですね。せっかく世界選手権が日本で開催されるんだから、1つになって戦わないと」
11月30日から熊本で、女子の世界選手権が始まる。原希美をはじめとするおりひめジャパンに、熱きエールを。
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