ポッドキャスト『POP LIFE』の#072を聞いて、勇気が出た私の宣言と諸々。
三原勇希(以下 勇希ちゃん)と田中宗一郎(タナソーさん)のポッドキャスト『POP LIFE』を聴いていて、涙が出そうなくらい勇気づけられたのでキーボードをカタカタしています。
この回のテーマは『自由と平等を獲得しようとする過程で』。フェミニズムとそれを描くカルチャーについてトークしていた。ゲストは勇希ちゃんの友人のあっこゴリラ(以下あっこちゃん)、長井優希乃(優希乃さん)、そして準レギュラー(でいいのかな?)の宇野維正(宇野さん)です。
これは、POP LIFEへの感想とともにお送りする、「私にとってのフェミニズムとはなにか」という、いわば宣言になるような気もする。かなり拙いけれど、もし興味があればお付き合いください。
フェミニストと名乗ることについて
今回のPOP LIFEでは冒頭、あっこちゃんが「自分のことをフェミニストだっていう風に自覚するようになったのって、いつ頃で、なにか具体的なきっかけとかあるんですか?」と問われるところから話が深まっていく。
そこから、優希乃さん、勇希ちゃんと、3名各々が考える「フェミニスト、フェミニズムとは?」について話してくれた。中でも私が共感したのが、優希乃さんの考え方。
大々的に、例えばInstagramのプロフィールにわかりやすく「フェミニストです」って書いてあるわけではないけど、「フェミニストなの?」って聞かれたら、「ああ、私はフェミニストだよ」って感じかな。
フェミニストやフェミニズムに限らないかもしれないけど、「生まれ持ったもので差別されない社会がいいな」と思っているから、女性においても、女性というもので差別されない社会がいいな。
そういう考え方がフェミニズムだと気づいたのは、大学院生のときかな? 3年前くらいかな? あ、私フェミニストなのかな、と思った。
(※ 一部文章的に調整しています)
私も優希乃さんと同じように「生まれたときから持ち合わせたもので差別に遭う社会はよくない」と思っている。
私は女として生まれ、(一応)女という自認のもとで生きている。偶然そのように生まれてしまっただけで、これは私自身が選択したものではない。
母の胎内から出てくる前に決まっていたそれだけのことで、悔しい思いをした経験がたくさんある。そういうことはあってはいけないし、なくしていきたいと思っている。
つまり、やっぱり私もフェミニストなのだ。
わざわざ口に出して言ったことも、Twitterのプロフィールに書いたこともないけれど。こういう風に明言するのは、長い間ずっと抵抗があった。
過激だと思われたくない。常に怒っている人だと思われたくない。「フェミニストなのに(と続く否定の言葉)」と言われるのがこわい。私の中に間違いなくあった感情だ。
勇希ちゃんたち3人も、フェミニストと名乗ることへの葛藤を話していたけれど、本当にその通りで。フェミニストやフェミニズムという大きなくくりの中にも、さまざまな価値観や解釈があるのは当然。「これはわかるな」と思うものもあれば、「私は違う」ということももちろんある。そういうのをすべて一緒くたにされるのはなんか違うな、と思っていたのだ。
でも。
私はフェミニストである。それがベースにあることに、間違いはないのだ。名札みたいに常にぶら下げて、だれかに見せつけて回るつもりはないけれど。
これからは、聞かれたら答えるよ。「私はフェミニストだよ」と。これはやっとの思いでできた私の「宣言」だ。
フェミニズムに興味を持ったきっかけ
「フェミニズムに興味を持った」というのはやや語弊があるかもしれない。日常生活の中で明確に感じているにもかかわらず、言葉にすることができない「女であることのモヤモヤ」。その正体に迫りたいという思いが先だったから。
そんなとき、偶然手に取った本に衝撃を受けた。上野千鶴子の『女ぎらい』だ。
「ミソジニーってよく聞くけどどういうことなんだろう?」と思って図書館で借りたこの本。これこそが、居心地悪く感じていたこと、「なんか嫌だな」と思っていたことに対する答えのひとつだった。やっとたどり着いたと思った。
この日本社会には、おかしい構造がある、制度がある、仕組みがある。そこに気づいてはじめて、やっぱり変じゃん! 私が悪いんじゃなくて、そもそも世の中がおかしいんじゃん! と「ちゃんと怒る」ことができるようになった。
POP LIFEの中でも話題に出た、米・FOXで実際にあったセクハラ&パワハラ事件をベースにした映画・『スキャンダル』(私も観た)。それを受けた上での勇希ちゃんの告白、あっこちゃんの発言に、ものすごく共感して泣いてしまいそうになった。全面的に私も同じだから。
「ずっと自分が悪いと思っていた」
「自分が悪い、って価値観を持っていたあの頃の自分がかわいそうだと思う」
「それを解体してあげたいんだよね」
「若い世代に同じことがあったとしても、おかしいと思っていいんだよって気づいてほしい」
そう、自分の呪いを解体したい。若い世代に同じ道を歩ませたくない。だから私はフェミニズムを学ぶ。
でも、知れば知るほど「もっと早く勉強しておけばよかった」と後悔することも数えきれない。
私と同じように嫌な目にあっているあの子に手を差し伸べられなかった。知識がなくて、嫌なことをする人に正しく「それはダメ」と言えなかった。口を出すなと言われれば反論する言葉を持ち合わせていなかったから。何がダメなのか論理的に説明することができなかったから。
学ぶ分、感じる苦しみもある。でも、学びを得たいまの私は違う。なにがおかしいのかを説明することができる。
きっと救える。寄り添える。
「女」であるだけで降りかかるもの
勇希ちゃんの告白を受けて、私もさまざまなことを思い出した。「女だから」というただ一点のためだけに降りかかってきたさまざまな理不尽を。小さいものから、それはそれは大きなものまで。
祖母から「女の子なんだからお母さんの手伝いをしなさい」と言われ、「なんで弟には言わないの? 男だから?」と聞くと決まり悪そうに黙ったのち、「いいから手伝いなさい」と強めに返されたこと。
父から「言葉遣いが悪い」と注意され、「わかった、ごめんなさい。でもお父さんも同じ言葉を使っているよ」と返すと、「俺は男だからいいんだ」と言われたこと。
高校生の頃。通学中に電車でふたり掛けの席に座っていたとき。隣に男の人が座り、私の脚と密接している方のズボンのポケットをずっとごそごそしていたこと。
最初は「なにかを取り出すのかな?」と思っていたけれど、ありえない時間ずっとまさぐっていて、「あ、これは私に触ってるんだ」と気づいて逃げた。「さっきから何してるんですか」と声を上げても、きっと「ハンカチを取り出したかっただけだ」とかなんとか言われて丸め込まれてしまったんだろうな、むしろ逆ギレされたかもしれないなと思った。
これ以外にも、ここには書けない、もうお墓に入るまでだれにも言えないんだろうこともいくつかある。
これらは全部、私が「女」であるから起こったのだ。
私が実際にどんな人間で、なにが得意で、どういう風に振る舞いたいのかなんてまったく関係なく、「私が女の姿形をしているから」降りかかってきたのだ。
くやしい。くやしい。
こういうのはもう、なくしていきたい。
おかしいよと声をあげた人に、もうバックラッシュも降り注いでほしくない。
それではどうしていけばいいのか、はまだ分からない
こういうさまざまな自身の経験もあって、そこから本も読んだし、POP LIFEにも上がっていた『スキャンダル』、『軽い男じゃないのよ』など、フェミニズム、ジェンダーを表象したカルチャーにもいくつか触れた。
声を上げる重要性もわかったし、その上で社会を変えたいとも思っている。
でも、どう関われば、どういうアクションを起こせば社会が変わるのかが現状よくわかっていない。自分になにかできないかな。それをずっと考えつづけている。
まだまだ書きたいこと、言いたいことはあるけれど、一旦ここで終えます。私も令和GALSの勇希ちゃん、優希乃さん、あっこちゃんの3人のようになりたい。私も『GALS!』はバイブルだったからさ。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます!