文字上での「人間らしさ」を考える。

おれは人間だ。この文章を入力している画面の目の前にいる存在は明らかに人間である。だが、現代では文章など機械でも入力できそうなものである。おれが人間であることに疑いを持っているやつもいるかもしれない。

1.文字の中にいるおれは人間なのか?

文章を入力している存在は人間だ。もっと言えばおれだ。現在おれは風邪気味であり、鼻水が時折出てくるのを拭きながら文を書いている。風邪をひく機械などあるはずがない。もしそんな機械が存在するのだとすれば、風邪により性能がダウンしてしまうことに関して研究する者か性能ダウンを楽しんでいるただのやばい奴だ。おれの知り合いにそんなやつはいない。

だが、その文章が1回おれの手を離れ世に放たれたらどうなるだろうか。それを読むやつからしてみれば、誰が書いたかなど、もっと言えば人間が書いたか機械が書いたかなど気にはしない。そんな文の中におれは存在しないのではないか?当然、この文章も意図をそれなりにもって殴り書いている。だが、読み手からすればそんな意図など、もっと言えば人間が書いたか機械が書いたなど気にはしない。

では人間が文章を書き、それを発信する意味などないのではないか?

2.文章ではなく呟き

おれは日頃から疑問に思うことがあった。おれは普段からTwitter―SNSの1種だが―、これをよく使用している。このSNSでは1人のユーザーが文を発信することを「呟く」と表現されることがしばしばある。簡単に言うのであればコメント、という言葉が似合うだろうか。疑問とは、なぜ呟くという言葉が使用されているのかということだ。その答えをおれなりに見つけた。

此度、おれがこの文章を書いているのはとある人間からお前には人間らしさを感じない!キモい!という意見を貰ったからだ。まあこんなにどストレートな言い方ではなかったが...こんな内容のことだ。確かにTwitter上でのおれは人間らしさがないのかもしれない自分自身こんな文章機械でも書けそうだとは思わないでもない。

3.意図ではなく感情

ではおれ以外のユーザーはどうであろうか。もちろんおれみたいな物言いをしているやつもいる。だがその呟きだけで今何を考え、どう思っているのかが手に取るようにわかる人もかなりいる。つまるところその人の今の感情が伝わってくる。...ん?感情?

なぜその呟きをしようと考えたのか。つまり意図はわからん。でもその瞬間どう思っているのか。つまり感情は伝わってくる。ここでおれの呟きをいくつか振り返ってみると、うむ。なぜか感情が伝わってこない。違いはここにあったのか。

確かにおれは「月曜の朝だるい!学校めんどすぎ!笑」とか、「火曜の朝つらい!学校さぼりたい!笑」みたいなあからさまに感情の伝わってくる呟きはしていない。今後していこうとは思わないが。せめてと思いこの文章では一人称をおれにしている。絵文字に顔文字に感嘆符に...使ってないおれが悪いが、逆に言えばこれだけでも割と感情は伝わるもんだ。

となると、前述したように文字の中に人間はいない、という風には思わないことだろう。恐らくこういった読み書きのセンスも人間との接し方の一部なのだろう。

4.まとまってないまとめ

今回はおれが人間らしくないという意見を貰い、ごもっともだと思ったのでこれについて考え、おれなりの考えを連ねた。だが普通に考えれば人に人間らしくないという発言をするのはマナー違反にも程があり、人によっては怒りを買い、固定資産税を滞納しているという夢を見るように呪われても仕方ないことなので言葉遣いには注意されたし。

こう言っている私が文章を書くのが上手くないのでここまで読み、理解できたやつは誇ってよい。多分。


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