追憶もどき
思えば保育園生だった頃から既に引きこもりで、仮病を使うことを自然としていたのですね。妄想も、この頃から具体的な場面を思い浮かべてはニヨニヨしてました。今で言う、夢的妄想。
僕が総合的に男ということもあり男夢(受け)だったというのは今だから言えることですが。
保育園児ながら、家に一人でいると嬉しくてわくわくして、ベッドの上がいつも以上に楽園だった。
そして、保育園児の時から既に中学校以降の人生が怖くて、成長したくないとも考えてました。まぁ実際、中学校もギリ卒業できたレベルですし、高校ドロップアウトしてるのですが。さらに言えば、高一は修学したもののそこで行かなくなったのですが、親友からとある専門学校のことを聞いて(まあ、デザイン系なのですが)そこに行きたい!と高卒認定試験を受けました。
無事合格したんですけどね、結局専学はギリ一週間行けたかな、位の登校しかしておらず。
要は僕がクズってことなんですが、当時はそれなりに思い詰めてたので包丁でお腹刺したり(腹筋で止まりました)、一人暮らしのバスルームはリストカットの血塗れでそれはもう悲惨だった(掃除したのは母)ようなのですが……いずれ詳しく書きます。
人生における転機といえばやっぱり未遂かました時かな〜とも思います。初めて乗る救急車がそれでした。ですが、ふんわりと言うと服毒系の未遂だったのですが、胃洗浄のち翌日の胃カメラの結果は
👩⚕️「びっくりするくらいキレイやったよ」
らしく。
まあ確実に言えることはそこで一回全てを捨てる事ができたという覚悟(なんて大層なものじゃあありませんが)のおかげか、自分の中で《要るもの》と《要らないもの》の区別ができるようになった……気がします。この時一番辛かったのが、愛犬に「さよなら」と「ごめんね」を伝えた瞬間です。まあ結局生きのさばってるのでイッヌが天寿をまっとうするまでは生きるつもりですけどね。
この記事は僕が僕を振り返る為に書いてる部分もあるので、読んでくださってる方がいらしたら読みづらいかと思います。すみません。
兎にも角にも今日も生きてる。
それで十分、それが十分生きる意味になります。
それでは今回はこの辺りで。そろそろ絵の投稿もしたいもんですな。