書く快感なんて、知らなければよかったのに。
「ああ、もう。ネタが出ない!」
仕事終わり。帰りの電車。
僕は焦りを感じていた。
かねてから文章力をつけたいと思っていた僕は、2月から天狼院書店のライティング・ゼミに通い始めた。
ライティング・ゼミでは毎週課題投稿があって、文章を書いて提出する。
「またチャレンジお待ちしております!」
最初の週の課題投稿。僕は、その一言に跳ね返された。
投稿した文章はスタッフが目を通し、合格したものはサイトに掲載される。
僕の文章は、掲載基準を満たしていなかったのだ。
「結構自信作だったのに。何がダメだったんだ?」
担当者のフィードバックを読んでも、僕は納得できずにいた。
翌日午前も、悶々とした想いを抱えたまま仕事をしていた。
掲載されなかった原因は何か。そればかり考えていた。
そうして迎えた昼休み。
営業先の近くにあった定食屋で、お昼をとることにした。
注文を済ませた後に、お手洗いに入った。
すると、ドアの内側にポスターが貼ってあった。
そこには、手書きでこんなことが書かれていた。
「お手洗いの中まで失礼します。
しかしながらここが、お客様といちばんゆっくりお話ができる場所だと思いまして……」
続いていた内容は、「お食事はお口に合いましたか?」とか、「接客に不満はありませんか?」とか、そのような内容だったと思う。
そして最後に、「何かご要望がございましたら、お気軽にお申し付け下さいね!」と書かれていた。
この文を読んだとき、なんだか心が温まった気がした。
まるで誰かと会話したような、そんな感覚だ。
それと同時に、気づいてしまった。僕の文章が、掲載されなかった理由に。
僕が提出した文章は、確かに論理的ではあった。
内容も、納得できるようなものだったと思う。
だけどそこには、温かみなんてなかった。
僕が一方的に書きたいことを書いて、知識をひけらかしているような、そんな文章だった。
だけど、あのポスターは違った。
店主は恐らく、文章を読むお客様のことを想像して、あの文章を書いたのだと思う。
実際にお手洗いに入り、便座に腰掛けたときに、お客様が読んで、どんな気持ちになるのか。
そこまで考えて、想いを込めて書いたのだと思う。
人の手から生まれた温かさが宿っているような、そんな文章だった。
そうとわかれば、話は早い。
僕はその日から、「書きたいことをただ書く」ことをやめた。
そうではなく、読んでくれた人の心が温まるように。前を向いてもらえるように。そんな想いを込めて、文章を書いた。
今までやっていなかったことだ。当然最初は、苦労した。
だけど二週目の課題投稿の締め切りまで、毎日のように書き続けて、やっと満足のいくものができた。
「よし。これなら納得できる!」
今まで書いた文章の中で、いちばん手間をかけた文章を僕は出した。
たとえ掲載されなかったとしても、「書く」ことにこれだけ向き合えたのだから、成長に繋がるはずだ。
そう思いながらも、掲載への期待を抱かずにはいられなかった。
フィードバックが返ってくるまでの時間は、本当に長く感じた。
掲載されるかな。そればかり考えていた。
提出から2日が経った日の夕方。カフェで休んでいた時だった。
気を紛らわすためにSNSを眺めていたら、ついにフィードバックの通知が入った。
脈拍が速くなるのを感じながら、慌てて開く。
そこには……
「面白かったです!
サイトに掲載しますね」
よっしゃあー!
心の中で、僕は思い切り叫んだ。
あるいは、抑えきれず表情に喜びがにじみ出ていたと思う。
周りのお客さんからすれば、完全に不審者だ。でも今だけは、許してくれ。この喜びに浸らせてくれ。
誰に聞こえるわけでもなく、心の中でそうつぶやいた。
こうして僕は幸いにも、2週目で掲載を勝ち取ることができた。
掲載された時点で喜び絶頂の僕だったが、さらにそれを上回る喜びがこの後にあった。
それは、僕の文章を読んだたくさんの人から感想が届いたことだ。しかも大変ありがたいことに、感想をくれたのは知り合いだけではなかった。
なんとSNSを通じて、会ったことのない人からもメッセージをいただいた。
想像以上の反響の大きさに、最初は驚きが隠せなかった。
だけどいただいたメッセージをひとつ、またひとつと読むたびに、文章を通して伝えたかったことが、読み手に伝わっていることを実感した。
そして僕は思い知った。
これが、「書く」ことの快感なのか、と。
今まで、文章を書いていて最も気持ち良い瞬間は、自分の脳内にあるイメージに、文章が到達した瞬間だと思っていた。
だけど、それは違った。
いちばん気持ち良いのは、自分の文章を通して、誰かの脳内に自分のイメージが到達した瞬間である。
この快感は、何事にも替え難い。
僕が今まで知っていた「書く」快感なんて、ほんの一部に過ぎなかった。
文章が掲載されたことで、たくさんの人にイメージを届けることができた。
この喜びの味を知ってしまった僕は、もう書くことから逃れられない。
また掲載されたい。
さらなる高鳴りを味わいたい!
だから、なんとかして今週も書き上げないと。
それなのに、書くネタがなかなか決まらない!
ああ。もう締切日はすぐそこだ。
今週も僕は、焦りながらネタ出しに奔走する。
そしてこう、嘆くのだ。
書く快感なんて、知らなければよかったのに!
※この文章は、天狼院書店のメディアグランプリにも掲載されています。