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そもそも「愛」って何だ⁈
先日スタエフでも話したお題だが、喋っているうちにわからなくなってしまったので、ここで整理しておきたいと思う。
早速だが「本当の愛」と聞いた時、あなたは何を連想するだろうか。
私の場合、まず思い浮かべるのは、子どもに対する「親の愛」なのだが、それがどうもクセ者のように思えて仕方ない。
そもそも、なぜそんなことを考えたかと言うと、たまたまこの言葉を聞いたことがきっかけだ。
「愛することはただ大好きというだけではありません。特に理解することです。理解するというのは見逃すこと。…余計な口出しをしないことです。」
こちら、一見男女の関係性についての話のように思えるが、親子関係においても当てはまりそうなので考えてみたいと思った。
子どもに対する親からの愛を「無償の愛」とよく言うが、それは見返りを期待しない愛のカタチというだけで、愛情表現そのものではなさそう。
そこで、先ほどの言葉が親から子への愛情の表現の仕方を指すものだったら良いのにな。と直感的に思った。
親たちの中には、子どもへの愛は無償だということを前提に、自分の価値観で子どもの行動や思考をコントロールしようとしたり、見逃すどころか干渉しまくって言葉や行動で追い詰めたりする人がいる。挙句「それもこれも、あなたのことを思ってしていること。」と開き直って、正義を疑いもせず、本気でそれが子どものために良いことと思っている。
要するに、意識の深いところにある、子どもを支配したい気持ちを「愛」で覆い隠しているようなイメージかな。
「見逃して、余計な口出しをしない」ということが望ましい愛情表現なのだとしたら、親子の間でそれを実行することが一番難しそうに思えてしまうのは私だけだろうか。
子の成長や幸せを願わない親はいないはずなのに、むしろそれを願うからこそ「良かれと思って」が出てきてしまうんだろうな。
頭ではわかっているのに、実際できないことの第一位に認定したいくらいだ。
ちょっと横道に逸れるが、
「愛されるより 愛したい」という歌のタイトルを聞いた時、私は断然、愛したい派だな〜。と思ってしまうのは、愛されることがちょっと面倒くさいことと捉えているからなのかもしれない。