万物の源である愛
その愛を認識するため、愛の対極・愛の欠乏を疑似体験できる場。
愛の相対的なものを作り出すことで絶対的な愛を確認できる。
疑似体験なのであくまでその愛の対極・愛の欠乏はまぼろし。
愛しか存在しない。
愛の欠乏を体験できるテクノロジーを搭載した装置が肉体。
その中でも主に左脳。
意識を小さく分割し、分離・相対性で認知できる。
しかしその小さな意識で愛の対極・欠乏だと感じている、例えば欠乏感・無価値観・罪悪感などはすべて本当のところは愛(光)である。
それを肉体・左脳を通して愛(光)をネガティブだと歪んだ認知を体験している。
なので左脳から意識の焦点をずらし、フィルターを外すとすべてが愛であったと思いだす。
愛であったという認知は、一度分離・相対を体験したからこそできる。
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