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この世は幻想である

Youtubeで聞きたい方はこちら↓
https://www.youtube.com/watch?v=xtwo0ChqTuM&t=460s
皆さまこんにちわ。

この世は幻想である。
私の私見も交えてつぶやきます。


目次

  1. この世は幻想である事のお話です。

  2. この世界は自由なんです

  3. 幻想の中でなにをするか

  4. 幻想の世界でどう生きる?

  5. この世は幻想:仏教の良い教え

    1. 仏教における「この世は幻想」とは何か?

    2. なぜ「幻想」と言われるのか?

    3. 幻想の中で意識する

この世は幻想である事のお話です。

今日はこの世は 幻想であるっていう話をしたいと思います。
無とか空などというワードをよく聞くと思います。

あの般若心経の中でも、空になるとかこう頭からっぽにしたりとか、
瞑想状態とかってまあ空の空とか無とかのこと言ってるんだと思うんですけれども。
結局この見えている世界っていうのは幻想なんですよね。


なんで幻想なんでしょう。
私たちがこだわってる事っていうのは、
私たちがいろいろなことに楽しく思ったり

悲しいと思ったり、なにかにこだわってることも何でもいいということなんです。
なんで幻想かというと結局1つの根源なんです。

創造主っていう一つの根源から私たちは生きていて、
なんで生まれてきてるのかというと、

それぞれ分離した状態で何かしら経験したくて、
何かしら体験したくてあなたになったり私になったりして体験してます。
結局大元が一緒なんです。

一つの根源 創造主とか神とかなんです。
グレートセントラルさんとか。サムシンググレートとか、
結局その大元から派生されて私たちがこう やって生まれていて、
何か体験したいから分離したんですよね。

私じゃないと体験できないことがあって、
あの人じゃないと体験できないことがあって、
犬じゃないと体験できないことがあって、
それぞれ体験したいことを体験しているという世界なんですね。

結局、何が幻想かっていうと、
結局一つの根源が体験したいからあなたになって私になったりしてるだけなので、
体験したいことを体験しているということであって、

こうやって見えてる世界っていうのは内側が外側に投影されてきますので、
この派生された一つの根源が体験したいことを、
自分の感情を使って外側に映し出して体験しているので、

良いも悪いも特にないし、
良いも悪いもその位置付けとか定義とか決めてもいいんですよね。

それは自分にとっては正しいだけど誰かにとっては間違ってるかもしれないし、
全てが正解で全てが正解であるという創造主の、創造主から見てその人が、学びたいことを学んでいってそれぞれの気づきでやっているわけなので、

それはもう全てが正解であって、それぞれが体験したいことで、
腑に落ちてる事っていうことになるのです。

この世界は自由なんです

それぞれの宇宙をそれぞれが体験しているっていう事なんです。
そうやって考えた時に、すごい自由な

んだなっていうことを、
一つ伝えたいですね。

私たちがどんな世界を体験しても、
この中で、この一つの人生の中でどんな体験をしたっていいんです。

私たちが今体験してること、
一人一人が体験してるって事は、魂の望みなんです。

大変なことかもしれないし、嬉しいこととかいろいろあると思います。
大変なことを体験してる時っていうのはそこじゃないとやっぱり見えてこないことがあって、

やっぱりこの地球で生きているといろんなことがあって、それは宇宙の理にかなってないことが多いので、うまくいかないっていうことが多いんです。

うまくいかないところから、
結局 創造主の根源から生まれてくるからうまくいっちゃうんですよね。

でも、うまくいっちゃうとつまんなくなっちゃうんですよね。
なんか自分って何かっていうことがわからない。

創造主からなんでこうやって分離して、
それぞれになってるかっていうのはやっぱりいろんな体験をしたくて、

自分って何なのかっていうのを分離させた状態で自分を見るっていう形になるので、
それぞれが体験してる世界がやっぱり正解であって、

やっぱりきっと自分が体験してるこのままの世界で、こうやっていろんな人たちがいますが、
特に人っていうのは、自分と同じ形をしていて同じような性質を持っている感じがあるじゃないですか。

わかりやすいんですよね。
その反面教師じゃないけど、こういう風にしちゃいけないんだとかこういう風にするといいんだとか、というのを人を介して結構理解するっていうところが私たちって同じ人間だから、
人間同士で交流することによってそういう気づきがすごくあったりするっていうのもあるなあと思います。

あとは植物とか動物とか何でもそうです。
それぞれ関わってることに対して やっぱりそこ突き詰めていくと結局なんか悟りというか、
この世の原理っていうものに対して行き着くんじゃないかと思います。

結局一つの根源から生まれて分離してると言っていますが、
実は魂では分かってるんです。

この遊び、幻想遊びってことはやっぱり分かってて 幻想遊びっていうことをわかってたけど、
分かってないふりをしていつまで分かってないふりをして遊ぼうかなみたいなところがあると思うんですよ。
いつまでもわからないふりをして遊んでもいいし、わかって遊んでもいいんです。

幻想の中でなにをするか

この世が幻想であるっていうことは、
本当にそういうことがわかってくると虚しくもあるんですよね。
何やってんだろうみたいな。

幻想だけど私たちは生きてるわけなので、
じゃあ生きてるときに何をしたいか。
あなたはなにしたいか私はなにしたいか。

幻想とわかっている世界で何をしたいか。
何をしてもいいし何をしなくてもいい。

幻想なんだからなんだってできますし、
生きてるわけなので生きているときに本当にやりたいことを見つけられたり魂の望みがわかったりする気づきというのが大切です。
気づきっていうのが最高に覚醒するんですよね。

幻想とわかっている世界の中でどんどん気づいていく、
自分ってなにか。人ってなにか。この世の原理はなにか。創造主はなにを想ってこういう世界をつくったのか。創造主は自分自身なんですよね。

自分が創造主であって1人1人が創造主の自由な世界なんです。
幻想っていうのがわかってくるとこの世が結局一つの根源から生まれていて、
なんだっていいんだってことがわかってくると自由なんだなって。

わざわざ自由すぎて暇だから制限を感じるゲームですよね。制限ゲームを感じて今体験しているみたいな感じなので、
そういう風に考えたときに寛容にいろんな事をとらえる事ができるし、
こだわっていることとかも、それもかわいいなっていう感じで客観的に見れたりします。

絶対わかるはずです。
みんな一つの根源から生まれてくるので感覚的に感じてくるとわかってくると思います。
頭じゃなくて、みんな繋がってるし、この世の世界っていうのは結局幻想なんだろうなって。
すごく入り込んでのめり込んでというような事がすごく幸せな事なんです。

分かってくると執着がなくなってきたり、
でも執着したりもするんですけども、だんだん手放してきます。
この世界を客観的にみる事もあると思います。

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幻想の世界でどう生きる?

今一番伝えたい事は、
幻想の世界でなにをやりたいのかという事ですね。

この自由な世界だったら本当に皆さんの望みのような世界を体験できるという事なので、
本当の望みというのはこの世界が自由で、
私自身ももっと自由になりたいですし、自由な人達を増やしたいです。
創造主だからなんでもできますし。

この世界が平和になってほしいし調和できるようにしたい。
今の地球はぎくしゃくしてる。コロナとか戦争とかですね。

ただそれでいろんな事に気づく人も増えてはいますが、
地球全体で見た時に争いがまだまだありますよね。

いつになったらそういう争いが終わるかっていうのは私達が終わらせるって事が大事って事ですね。

まずは自らが自分を大切にしていくこと、幸せになること、
周りの人達と交流していくこと、地球に対して調和していくこと。

1つの根源から生まれた同志であり、私はあなたであり、あなたは私でありという事だから。
結局全てがつながっていて同志ですので。

この地球の中でいろんな争いがありますが、宇宙から見た時に悲しんでいると思います。
そろそろ地球全体を見た時に争いではなくて調和していく事。寛容になっていく事です。
調和していく事によって、
全てをひっくるめて調和していきます。

こう考えていくと全てが幻想であり、
全て繋がっているんだなっていう意識になる人が増えてくるのではないかと思っています。

この世ってこんなに美しい空があったりいろんなものが見えたりいろんな美しいものがある世界なんですよね。これも幻想なんですね。

この幻想世界ではなんでもできます。
のびのびと自由にこの世界を謳歌して頂きたいと思います。

こだわりがあると苦しくなるので、
そんなときはこの世界は幻想であると思いだしてください。創造主の意識です。

誰かを傷つけているって事は自分を傷つけている事。
自分を傷つけるという事は誰かを傷つけているという事。

皆さん同志なのでこの幻想の世界を楽しみましょう。

この世は幻想:仏教の良い教え

仏教には、私たちの日常生活や認識を超えて、宇宙や人生の本質を探求するさまざまな教えや思想があります。その中で、「この世は幻想」という考え方は特に重要なものの一つです。

仏教における「この世は幻想」とは何か?

私たちが日常的に経験する現実は、真実や絶対的な実在はなく、ある種の「幻」や「夢」のようなものであるという仏教的な考えを現しています。これは、私たちの認識や経験が真実そのものではなく、あくまで一つの見方や解釈に過ぎないということを意味しています。

なぜ「幻想」と言われるのか?

仏教の考え方には、すべての物事は以下の三つの特性を持っているという考えがあります。

  1. 無常 (むじょう): すべてのものは絶えず変わり続け、変化し続ける事。恒常的なものは存在しない。

  2. 苦 (く): 人生の経験は最終的には不完全であり、苦しみを伴う。苦しみも楽と表裏一体。

  3. 非我 (ひが): 個人のアイデンティティや「自分」という概念は固定されたものではなく、変動し続ける。

これらの特性を考慮すると、私たちが感じる「現実」は、実は変わり続けるものであり、永続的な基盤を持たないことがわかります。このため、「この世は幻想」と言われるのです。

幻想の中で意識する

「この世は幻想」という考え方を深く理解することで、私たちの人生をより良い方に歩いていきましょう。

  • 柔軟性: 物事に固執せず、変化を受け入れる柔軟な心を持つことができる。執着を手放す。

    1. 解放感: 期待や欲望、失望から自由になり、心の平穏を手に入れることができる。

    2. 深い洞察: 現象の背後にある真実を見る洞察力を培うことができる。

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