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小津の「東京暮色」は不可解な作品

小津安二郎の「東京暮色」を観た。なんとも評価が難しい作品だ。

この映画の季節設定は冬だ。そのせいか、ストーリーも重くさびしい。「小津が冬を撮るとこうなるのか」という感じの作品だ。BGMだけは他の作品と同じく軽快だが。

戦後の小津は、秋の作品が多いイメージがあるが、この作品を見て、春夏秋冬それぞれの設定で、撮っていたことを初めて知った。

有馬稲子演じる娘は、うっかり妊娠した「アプレ」の「ズベ公」だ。山田五十鈴演じるその母親も、夫を裏切って、男と逃げた不義理な女だ。原節子演じる姉は、夫とうまくいかず、実家に帰っている。それに対して、笠智衆演じる父親は、古風で善良だが、どこか無気力だ。

ストーリーは、この3人の女を中心に、静かに、激しく進行していく。この映画をドライブしているのは、この3人の女の情念だ。中でも、娘は情念の塊のようだ。

たとえば、姉や母親を詰問するシーンがあるが、そのときの娘の目がスゴい。この目だけでも、この映画を観る価値があるさえ言いたい。娘が母親に「お母さん、キライ!」と言い放つシーンも見ものだ。このときの言いっぷりが、なんとも好きだ。

それにしても、この娘は、あちこちに出入りしては、無気力な素振りをするかと思えば、傍若無人に突っかかったりと、終始、情緒不安定だ。最期の場面でも、正気に戻ったかのようだが、やっぱり取り乱している。なんとも不可解な存在だ。

小津はこの作品で、世間(あるいは小津自身)にとって、不可解な存在(との関係)について撮りたかったのかないう気がしてならないが、どうも確信が持てないでいる。そういう意味では不可解な作品だ。