首里城の火災は失うことの痛みと大切な記憶の再生と復活へのメッセージなのかもしれません。
今日一番のニュースは、
沖縄の首里城の火災だったのではないでしょうか。
私も、首里城には、たくさんの思い出があります。
今、那覇市に住み、6年目になりますが、
その前は、スピリチュアルツアーで、
参加者として首里城に行ったこと、
そのうち、自分でも、スピリチュアルツアーで、
首里城を案内するようになったこと、
添乗員時代には、バスツアーのお客様や、
修学旅行の生徒さんのチケット購入、
簡単な説明をしたことも。
だからこそ、首里城のことは、
一般の観光客の皆さんよりは、
勉強していました。
今朝、起きて、まだ、ぼんやりしていた時に、
スマホに、速報ニュースで、通知を見て、
一瞬、意味がわからなくて、
読んでも、まだ、過去の記事か何かと、
間違えているのでは?と、
どこか、
頭の片隅で、感じていました。
今回は5回目の焼失
首里城のことを知る時に、焼失、再建を繰り返したことも、大切な歴史だと学びました。
まず、1453年、1660年、1709年に焼失するたびに再建されてきて、
最後、沖縄戦では、町を一望できる立地であったことから、
司令部壕が置かれ、
そして、沖縄戦により、4回目の焼失。
さらに、30年間かけて、
少しずつ再建され続けて、
今日が、5回目の焼失となったのです。
だからこそ、私にとっては、首里城は、再生と復活のシンボルと、
メッセージを携えていました。
しかし、焼失した時を私は、生きていませんでした。
私が、首里城を案内していた、私が生きていた時代の首里城は、
少しずつ、完成へと近付いていく、
復元されていく首里城の姿でした。
そして、たくさんの方の想いや、時間や、
技術などが詰まって、完成したところで、焼失。
私は、今回のニュースで、
エネルギーや意識について感じたことがあります。
それは、たくさんの方が、
失ったことに対する悲しみと、
想いを、
このニュースを通じて、
感じながらも、
失ったからこそ、そこで、
たくさんの方の心の中に、首里城での大切な記憶が、
よみがえったのではないかということです。
あの時、楽しかったなぁ!
あの頃は、まだ、学生だったなぁ。
あの時、まだ、工事中だったなぁ、完成したら、
また、行こうと思ったなぁ。
等々。
そして、今日、日本中、世界中で、
このように、首里城での記憶が、たくさんの方の心に、刻まれたことこそ、
すでに、エネルギーや意識では、
再生と復活なのだとも、感じたのです。
それは、目に見えた再生と復活の前に、
とても、大切なエネルギーだと思うのです。
令和の時代の首里城
明日、令和元年11月1日となり、
数字では、1は、新しい始まり。
令和の新しい始まりの沖縄は、
令和の時代にふさわしい形での首里城の再建を、
目指していくことになると思います。
私個人としては、もう、過去の姿形にとらわれなくて良くて、
全てを琉球王朝時代のままに、
完全に復元することへの期待やプレッシャーを手放し、
そこから、自由になり、
本来の首里城とは、祈りの場所であったことから、
まずは、意識の再生です。
そして、過去の姿形ではなく、
令和の時代の首里城を、関わる方が、
インスピレーションを得て、
創造していって欲しいと思っています。
私の中にも、すでに、ビジョンはあります。
きっと、大切な人も、物も、環境も、
失って、初めて、失うものは何もなく、
心の中に、永遠に、存在していた時よりも、
さらに、輝きを増して、
存在するのですよね。
私は、沖縄に旅行で来ていた時代、
沖縄を離れても、ずっと、
美しく輝いていた海が私の心の中に残っていました。
そして、大切な人と離れ離れになった時に、
初めて、もう一度、
会いたいという気持ちが、生まれました。
一度きりの人生。
二度と戻らない時間を、
どう生きますか?
魂から、問われています。
希望の光だけは、見失うことなく、
生きていきましょう。