女子校の存在意義
近頃、毎日上がってくる同德女子大学校のニュースを見守っている。
11月に入って突然「男女共学になる」という噂が上がったことを発端に、学生たちが連帯しデモ活動を行っているのだ。
現代における女子校の存在意義ってなんだろうか。
考えてしまう理由は、私自身が、女子高に通っていたはずが、3年次から突然共学になった…という立場におかれた人間だからである。
まず、私自身の「しらんがな〜」な話から始めると…
当時1年間ほどストーカー被害に遭っており、あの頃の私にとって、学校にいる男性は先生だけという安心感は確かに心強かったと思う。
男性の先生の中に、痴漢などの性被害について決して軽いことと受け止めずに、真摯に耳を傾けてくれる方もいた。
ただこれは私のケースというだけで、この感情や感覚は全員が持っているものではないとも思うので、一旦横に置こうと思う。
そんなことよりも、今回のニュースや記事を見ていて一番考えてしまうこと、考えなくてはならないことは「そもそも女子校は、なぜそこにあるのか」だ。
今回のことをきっかけに、自身の出身校の歴史を調べてみたが、やはりと言うべきか女学校の名残であった。分かりやすく言うと、良妻賢母養成校であっただろうということ。そこには、経済的にも思想にも環境にも恵まれた、ほんの数%の女性だけが通ったであろうということも付け加えておきたい。
(良妻賢母の人材を育てる学校に通わせてもらえることが真に恵まれていることなのかどうかについては今回は触れない。)
男女の区別をすること、女性には男性と異なる教育を施すことが大前提だった時代の女学校。その事実が時代とともに薄れ、隠されていき、結果的に素知らぬ顔で共学にされるとすれば。
その決定は何を意味するのだろう。
私の母校が共学になることを決めた時のことは、うまく思い出せない。私は(おそらく他の人々よりも)幼く、バカで無学だった。ある日突然聞いて、ある日突然校舎に男子がいたといった感じ。
学校は、我々のことをどういう存在として考え、決断したのだろうか。何も考えず決断できる時代だっただろうか。
表面的なことを言うと、理系が弱く進学率として文系しか上がっていかないので、男子生徒を入れることでそこにテコ入れをしたいのだろうという話は当時あった。まぁ、定期テストの結果を実名ランキングにして廊下に貼る学校だったので分からないでもない。
そしてタイミングとしては、センター試験が数年後より科目選択制?を排除する頃の話だから辻褄も合う。
現に私の友人からは、センターの結果を学校が受かりそうな某国立大へ出願していた話も聞いている。別の友人は内申は良いのに模試で結果が出せないタイプ(私はそれが真の実力だと思うけど…)だったので、推薦枠を使ってもらって良い大学に行った。
そんなふうに、彼女達の各自異なる事情とはまるで関係なく、学校側はひたすらに進学率を上げることに注視していた。
ない頭で考えても、女子校を共学にすれば定員拡大の可能性、そして理系合格者の排出率は上がるのだろう。
つまり私達は、進学率ばかりを見られていたことになる。新入学生への印象操作を行い、いわゆる売上を伸ばすために。
少子化が声高に叫ばれるようになって久しい。必要な世代に、対策や然るべき救済をしてこなかったのだから当然の結果だが、20年ほど前に、ひとつの私立学校が、熾烈な新入学生争奪戦の末に共学化を選んだこと、その裏で蔑ろにされた当事者が少なからずいたことは、まぎれもない事実なのである。
話を同德女子大学校に戻そう。
同德女子大学校は、それなり以上に名の知れた、しかもinソウルが叶う大学。(韓国においてソウル圏の大学に進学することは人生設計、キャリア形成の上で最も重要な要素のひとつ)
ソウルの女子大は、ここを含め6校しかない。
というか、四年制の女子大学は全国で7校のみだ。
同德女子大の始まりは、日帝強占期、国権の回復の為、薄れゆく民族魂を奮い立たせる為、女性教育を急がねばならないと考えた創始者が作った学び舎が前身だそう。
時を経て、現在。「女性がいる場所」を標的にした犯罪は後を絶たない。
2016年、女子トイレで待ち伏せし、偶然入ってきた女性を刺殺した江南トイレ事件。
犯人は、動機を「女性への憎悪」とした。韓国のフェミニズム運動、反ミソジニー運動の発端となった事件のひとつだと言える。
女性であるだけで誰でもその対象になりうる、あるいは「女性はどこかで誰かにいつもそう見られている可能性」を悟るほかなく、その誰かというのが、何人いるのかもわからないという現実によって、世の女性達に強烈な恐怖感、或いはそれに付随する反抗心を抱かせることになった出来事だったのである。
韓国の大学には、国際教育院と言って韓国語を学ぶための機関、いわゆる語学堂と呼ばれるところを設置しているところがある。
ソウルの名門女子大、梨花女子大学校の語学堂。
女子校だけど、語学堂は共学だ。
実はここでは2019年、語学堂の男子留学生が寄宿舎でシャワールームを覗いて盗撮した(加害者も被害者も日本人だったような…)として、大問題となったことがある。
それ以外にも女子大では、女装男性や男性の手配犯が女子大内に無断侵入したり、女子大を名指しした殺人予告をSNSに上げたりして検挙されている。
そもそも以前より、学校のみならずあちこちのトイレに隠しカメラを設置するような卑劣な犯罪行為が後を絶たない。我々女性には、当たり前に対策方法(カメラを見つける方法)が回ってくる。ただの生理現象である排泄行為を行う場所ですらも安全ではない。
卑劣を極めたn番部屋事件も記憶に新しく、今年に入ってからもディープフェイクによる組織的かつ大規模な性犯罪に対して多くの女性が声を上げ、活動しているような状況。
本来意図しなかったであろう、副産物的な側面である女子大ゆえに守られる安全すらも、もはや守ることは難しいのだ。好き勝手に侵入し、特定の対象を標的に定めて犯罪を犯す、一部の男性たち。そしてそれが、どこにどれだけいるか分からない恐怖。
これらの現代史が、韓国における男女間の分断をより深いものにしてしまっているのは明らかだ。そんな中で突然、女子大共学化の話が出てきたとしたら、どうなるだろうか。
「これらの現代史」は、ここまでの歴史全てと繋がっている。点で見ることは簡単だが、それでは根底にあるものを理解できない。
女性の教育が疎かにされてきた事実、
女性の学び舎での安全が簡単に脅かされる事実、
経営のためなら簡単に共学にされる事実。
女性、女子校の存在意義とはなんなのか。
数日前、総長室の扉をこじ開けようとしていた同德女子大の学生に対して、対応した警察の口から「いつか子供も産まなくてはならないし、育児もしなくてはならないのに(そんな犯罪行為をするのはやめなさい)」という言葉が出たそうだ。
当たり前におろそかにし、当たり前に貶めて来たものがなかったか。
マネーゲームやルール改正に振り回されるのはいつも女性なのか。
そこには(男女共に)無意識の認識不足があるはずだ。少子化の問題は男女どちらかの問題ではないし、「賢くなった女は子供を産まない」のではないし、女性は子供を産む機械ではないし、男性をパパにしてあげる存在でもない。
奥さんに叱られるからと自身のパフォーマンスに恣意的な色を添える男性がいても、
トランスジェンダーの方のために女子トイレだけが変化を求められても、
女子大が消えても、
男性は何一つ、困らない。
困らないのだ。
我々女性は困る。
安心して学ぶ場所がなくなると困る。旧時代的に別途の教育を施されたり、男より優秀でなければ社会からハブられるのは困る。必要がある毎に男性の要求を飲まされるのは困る。その方が合理的であったとされるのも困る。
いつどんな時も気を抜かずに、対策し、命をかけて、生き、学ばなければいけないのは、大変困る。
普通に息をしたいだけの多くの女性が、ほんの20年ほどしかこの世を生きていない女性たちが、いま、ソウルの片隅で闘っている。
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記事の見出し写真は、ハンギョレの記事からお借りしました。https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1167032.html
本館前に並べられた、과잠(生徒が所持している、学科ごとにデザインが異なるジャンパー)。
そこに人がいなければ、まともに取り合うことなく無視できてしまうこの社会に対する痛烈なフック。他の女子大の生徒たちも自校で同様の行動を取り始め、連帯する態度を見せている。